スタンレー・フィッシャー
ニューケインジアン経済学 | |
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イスラエル銀行総裁・スタンレー・フィッシャー | |
生誕 |
1943年10月15日(81歳) 北ローデシア (現在のザンビア) |
国籍 |
イスラエル アメリカ合衆国 |
研究機関 |
イスラエル銀行(2005年–2013年) シティグループ(2002年–05年) 国際通貨基金(1994年–01年) 世界銀行(1988年–90年) MIT(1973年-88年, 1990年–94年) |
研究分野 | 金融経済学 |
母校 |
MIT (Ph.D.) LSE (B.Sc., M.Sc.) |
博士課程 指導教員 | フランクリン・M・フィッシャー |
博士課程 指導学生 |
フレデリック・ミシュキン オリヴィエ・ブランチャード ベン・バーナンキ 植田和男 N・グレゴリィ・マンキュー デビッド・ローマー リカルド・カバレロ |
影響を 与えた人物 | ケネス・ロゴフ |
スタンレー・フィッシャー(Stanley Fischer、1943年10月15日 - )は、アメリカ合衆国とイスラエルの経済学者、イスラエル銀行前総裁。
北ローデシア(現在のザンビア)でユダヤ系移民の子として生まれ、1956年ごろに現在のジンバブエに移住し、高校最後の年に経済学を履修した。1962年からイギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで修士課程まで学び、アメリカ合衆国のマサチューセッツ工科大学へ渡った。ここでは金融政策が効果的な雇用拡大につながるとの持論を展開している。1969年、同大学でPh.D.を取得した。シカゴ大学を経て多年にわたりマサチューセッツ工科大学で教職にあった。受講者には、ベン・バーナンキ、マリオ・ドラギ、ローレンス・サマーズ、グレゴリー・マンキュー、植田和男などがいる。アメリカとイスラエル両国の市民権を得ている[1]。
1988年からの世界銀行チーフエコノミスト就任時から政策運営に関与することへの意欲が高まり、サマーズの援助も有って1994年に国際通貨基金の筆頭副専務理事となった。 1996年にIMF筆頭副専務理事としてタイバーツがドルに対して高すぎるとタイ中央銀行に対して警告をしたが、市場混乱を恐れて公開されなかった。
2002年にシティグループ副会長に就任後、2005年12月に打診を受けてイスラエル中央銀行総裁となった。2011年、同行において金融政策委員会を作り総裁の裁量権を放棄した。2014年6月に中銀総裁の任期が終了する予定であったが、2013年6月末に退任した[1]。
2014年1月、オバマ大統領から米国連邦準備理事会副議長に指名された[2]。6月17日就任[3]。
2017年9月6日、トランプ大統領に対し辞意を伝えた。大統領にあてた辞表によると「個人的な理由」で10月中旬に副議長職と理事職をともに辞任するとしている[4]。
略歴
[編集]- 1943年 北ローデシア(現在のザンビア)で生まれる。
- 1962年 - 1966年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)でB.Sc.(学士)およびM.Sc.(修士)取得。
- 1969年 マサチューセッツ工科大学(MIT)でPh.D.取得。
- 1969年 - 1973年 シカゴ大学准教授。
- 1973年 - 1977年 MIT 経済学部准教授。
- 1977年 - 1999年 MIT 経済学部教授。
- 1988年 - 1990年 世界銀行チーフエコノミスト。
- 1994年 - 2001年 IMF筆頭副専務理事。
- 1998年6月2日 国際通貨シンポジウム(財団法人国際通貨研究所)に出席。
- 2001年 - 2002年 IMF専務理事への特別顧問。
- 2002年 - 2005年 シティグループ副会長。
- 2005年 - 2013年 イスラエル銀行(中央銀行)総裁。ヘブライ大学(エルサレム)およびThe Hoover Institution at Stanford客員教授。
- 2014年 - 2018年 アメリカ連邦準備理事会副議長・理事。
- 2019年 - ブラックロック・インベストメント・インスティチュートシニアアドバイザー[5]
著作
[編集]- (ルディガー・ドーンブッシュ共著)『マクロ経済学(上)(下)』改訂版、シーエーピー出版、1998年.
- (オリビエ・ブランチャード共著)『マクロ経済学講義』、高田聖治訳、多賀出版、1999年.
- (スタンレー・フィッシャー他著)『IMF資本自由化論争』、岩本武和監訳、岩波書店、1999年(Fischer, Stanley et al., Should the IMF Pursue Capital-Accunt Convertibility? (Essays in International Finance, 207), Princeton University, 1998).
- 「生産要素の移動可能性と国際通貨」、『金融研究』、第8巻第3号、日本銀行金融研究所、1989年10月.
出演
[編集]テレビ
[編集]- 『ETV2002アジア通貨危機の真相』(2002年、日本放送協会)インタビュー
脚注
[編集]- ^ a b “情報BOX:米FRBの次期副議長に指名されたフィッシャー氏の横顔”. REUTERS. (2014年1月15日) 2014年1月16日閲覧。
- ^ “米大統領、フィッシャー前イスラエル中銀総裁をFRB副議長に指名”. INTERNATIONAL BUSINESS TIMES. (2014年1月11日). オリジナルの2014年1月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ フィッシャー氏が米FRB副議長に就任宣誓、他の2理事も ロイター2014年6月17日
- ^ “FRB副議長が10月に辞任 任期8カ月残し”. 日本経済新聞. (2017年9月7日) 2017年9月7日閲覧。
- ^ ブラックロック:シニアアドバイザーにフィッシャー前FRB副議長 bloomberg
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- スタンリー・フィッシャー - 経済思考家 ABC 順索引
- スタンリー・フィッシャー - ECB掲載フィッシャーの略歴