スタンリー・ラウス

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スタンリー・ラウス
Stanley Rous
個人情報
誕生日 (1895-04-25) 1895年4月25日
出身地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドサフォークワトフォード
死没日 (1986-07-18) 1986年7月18日(91歳没)
死没地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドンパディントン
国内
リーグ 役割
1934年 - 1962年 The FA 理事
国際
リーグ 役割
1927年 - 1934年 国際サッカー連盟 審判員
1961年 - 1974年 国際サッカー連盟 第6代会長

サー・スタンリー・ラウス英語: Sir Stanley Rous, 1895年4月25日 - 1986年7月18日)は、国際的に活躍したイングランドの元サッカー審判員であり、フットボール・アソシエーションの理事および国際サッカー連盟(FIFA)の第6代会長を務めた人物である。

生涯[編集]

オランダのベルンハルト王配(右)と(1964年)。

元々、ワトフォード・ボーイズ・グラマースクールの体育教師だったラウスは、皮肉にもその学校での主要競技をサッカーからラグビーに変える役割を担っていた。ラウスの選手歴は、アマチュアレベルのゴールキーパーに留まったが、同時に国際審判として36の国際試合で審判を務めた。

競技生活から引退した後、ラウスは管理職へと転じた。ラウスは1934年から1962年にかけてフットボール・アソシエーションの理事職を務め、さらに1961年から1974年の間、国際サッカー連盟(FIFA)の第6代会長の座にあった。1974年7月11日に会長職を退く際はFIFA名誉会長に推挙された。

ラウスのサッカーに対する貢献として特に著名なものに、1938年サッカールールLaws of the Game)改訂が挙げられる。これは、ルールをより単純で理解しやすいようにしたものである。

短命に終わったラウス・カップ英語版は、ラウスの名にちなんでいる。

ラウスは1986年に91歳で死去した。ラウスの遺灰は、生地の村にほど近いノーフォークのサッカー場に散骨された。

外部リンク[編集]