ザット・ラッキー・オールド・サン

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ザット・ラッキー・オールド・サン (That Lucky Old Sun)」は、ビーズリー・スミス (Beasley Smith) 作曲、ヘイヴン・ガレスピー (Haven Gillespie) 作詞による、1949年ポピュラー音楽の歌曲。「オール・マン・リヴァー (Ol' Man River)」と同じように、歌い手の人生の苦しみや重荷と、それを忘れているかのような自然界の営みとを対比した内容の歌詞となっている[1]

1949年の録音[編集]

この曲の録音の中で、最大のヒットとなったのは、フランキー・レインが歌ったもので、マーキュリー・レコードからカタログ番号5316でレコードがリリースされた。『ビルボード』誌のベスト・セラーのチャートには、1949年8月19日に初めて登場し、22週にわたってチャートに留まり、一時は首位にも立った[2]

ヴォーン・モンロー (Vaughn Monroe) と彼のオーケストラ による録音は、アメリカ合衆国ではRCAビクター・レコードからカタログ番号20-3531(78回転盤)と47-3018(45回転盤)でリリースされ、イギリスではEMIからヒズ・マスターズ・ボイス (His Master's Voice) のカタログ番号B-9836としてリリースされた。こちらは『ビルボード』誌のベスト・セラーのチャートには、1949年9月16日に初めて登場し、14週にわたってチャートに留まり、最高9位まで上昇した[2]

ルイ・アームストロングによる録音は、デッカ・レコードからカタログ番号24752でリリースされた。『ビルボード』誌のベスト・セラーのチャートには、1949年10月14日に初めて登場し、3週にわたってチャートに留まり、最高24位まで上昇した[2]

フランク・シナトラも、コロムビア・レコードからカタログ番号38608で、自身の競作盤をリリースした。このバージョンは、『ビルボード』誌のベスト・セラーのチャートには、1949年10月29日に初めて登場し、最高16位まで上昇した。この曲は、その後、アルバム『The Best of The Columbia Years 1943–1952』にも収録された。

その他のカバー[編集]

日本語詞による歌唱[編集]

この曲には、京都市ライブハウス拾得』のオーナーである通称「寺田TERRY」が、「拾得テリー」名義で日本語訳詞を付けており[6]1977年久保田麻琴夕焼け楽団のアルバム『ラッキー・オールド・サン』[7]に「ラッキー・オールド・サン」として収録された。さらに、歌詞の一部を書き換えて、歌の主人公を女性に置き換えたバージョンが、2004年大西ユカリと新世界のアルバム『七曲入』に「That Lucky Old Sun〈ユカリの七番勝負〉」として、また、2005年のライブDVD『5-6-7 & more Live』に「ザット・ラッキーオールドサン」として収録されている。

出典・脚注[編集]

  1. ^ Bush, John, That Lucky Old Sun — Brian Wilson, AllMusic, https://www.allmusic.com/album/that-lucky-old-sun-r1407726/review .
  2. ^ a b c Whitburn, Joel (1973). Top Pop Records 1940–1955. Record Research 
  3. ^ James Brown – A Family Affair”. Discog. 2014年1月6日閲覧。
  4. ^ southbankcentre.co.uk (PDF) - 2015年1月20日閲覧
  5. ^ レオン・ラッセルの最新作『Life Journey』が日本でも発売に”. amass.jp (2014年4月15日). 2018年6月10日閲覧。
  6. ^ That Lucky Old Sun”. うたまっぷ.com. 2014年1月6日閲覧。
  7. ^ 1977年、LPアルバムとしての発売当時は「夕焼け楽団」名義であったが、その後のCD再発時などには「久保田麻琴と夕焼け楽団」名義とされているので、ここではそちらに従う。

外部リンク[編集]

先代
You're Breaking My Heart
ヴィック・ダモーン
ビルボードベスト・セラーズ・イン・ストアズ 首位
フランキー・レイン盤)

1949年10月1日 - 11月19日
次代
Mule Train
フランキー・レイン