コンテンツにスキップ

アナスタシア・ミスキナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アナスタシア・ミスキナ
Anastasia Myskina
アナスタシア・ミスキナ
基本情報
フルネーム Anastasia Andreyevna
Myskina
国籍 ロシアの旗 ロシア
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
生年月日 (1981-07-08) 1981年7月8日(43歳)
身長 174cm
体重 59kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1995年
引退年 2007年
ツアー通算 15勝
シングルス 10勝
ダブルス 5勝
生涯通算成績 455勝283敗
シングルス 355勝191敗
ダブルス 100勝92敗
生涯獲得賞金 $5,606,725
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2003・04)
全仏 優勝(2004)
全英 ベスト8(2005・06)
全米 ベスト8(2003)
優勝回数 1(仏1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト4(2005)
全仏 3回戦(2004・06)
全英 3回戦(2006)
全米 1回戦(2003-05)
国別対抗戦最高成績
BJK杯 優勝(2004・05)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 2位(2004年9月13日)
ダブルス 15位(2005年2月21日)

アナスタシア・ミスキナ英語: Anastasia Myskinaロシア語: Анастасия Андреевна Мыскина1981年7月8日 - )は、ロシアモスクワ市出身の女子プロテニス選手。

2004年全仏オープン女子シングルス優勝者で、ロシア人の女子テニス選手として初の4大大会優勝を達成した。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス15位。WTAツアーでシングルス10勝、ダブルス5勝を挙げた。身長174cm、体重59kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

来歴

[編集]

ミスキナはモスクワ市の名門クラブ「スパルタクラブ」で、アンナ・クルニコワエレーナ・デメンチェワと幼なじみだった(3人とも同じ年である)。このクラブは、旧ソビエト連邦時代の名選手オルガ・モロゾワがテニスコーチの夫とともに設立したものである。

2002年に女子テニス世界ランキングを59位から11位に上げ、世界トッププレーヤーの仲間入りをする。20歳を過ぎてからの急成長は、女子プロテニス界では比較的遅い。2003年全豪オープン全米オープンでベスト8に入り、22歳で世界トップ10入りを果たす。全豪オープンの準々決勝では、2003年2004年と2年連続でキム・クライシュテルスに敗退した。

2004年全仏オープンで、アナスタシア・ミスキナはロシア人の女子テニス選手として初の4大大会優勝を達成する。幼なじみのエレーナ・デメンチェワとの「ロシア対決」の決勝は女子テニス史上初の快挙であった。(ロシア人のテニス選手で初の4大大会シングルス優勝者は、1996年全仏オープン男子シングルスを制したエフゲニー・カフェルニコフである。ミスキナは最初の女子シングルス優勝者になった。)

この後、ミスキナはロシア代表選手としてアテネ五輪にも出場したが、女子シングルス準決勝でベルギー代表選手のジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れて「銅メダル決定戦」に回った。2人の準決勝敗退選手によって争われる銅メダル決定戦で、ミスキナはオーストラリア代表選手のアリシア・モリクに 3-6, 4-6 のストレートで敗れ、銅メダルも逃して4位に終わった。

ミスキナの全仏優勝に続いて、ウィンブルドン選手権ではマリア・シャラポワ全米オープンではスベトラーナ・クズネツォワが優勝し、2004年度の4大大会では「3大会連続」でロシア人の女子シングルス優勝者が誕生した。

2005年全豪オープンでダブルスの自己最高成績を出し、同じロシアのベラ・ズボナレワと組んで女子ダブルス4強入りを果たした。ミスキナとズボナレワは、準決勝でスベトラーナ・クズネツォワアリシア・モリクの組に 2-6, 3-6 で敗れた。ところが、全仏オープンでは1回戦でマリア・サンチェス・ロレンツォスペイン)に 4-6, 6-4, 0-6 で敗れ、全仏オープンの大会史上初めて、女子シングルスの前年度優勝者が1回戦で敗退する屈辱をなめた。この後、ミスキナはウィンブルドン2005年2006年で2年連続のベスト8に入ったが、準々決勝では2年連続でアメリ・モレスモに敗れた。

2007年初頭から、ミスキナは左足の故障に悩まされるようになる。2007年全仏オープンの1回戦でメガン・ショーネシーアメリカ)に 1-6, 0-6 で惨敗した試合が、最後のツアー出場になった。2008年4月、彼女はシングルマザーとして長男を出産した。2010年8月には次男を2012年3月には三男を出産した。現在はロシアでテレビの仕事を中心に活動している。

WTAツアー決勝進出結果

[編集]

シングルス: 19回 (10勝9敗)

[編集]
大会グレード
グランドスラム (1–0)
ティア I (2–1)
ティア II (3–4)
ティア III (2–2)
ティア IV & V (2–2)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 1999年7月18日 イタリアの旗 パレルモ クレー スペインの旗 アンヘレス・モントリオ 3–6, 7–6(3), 6–2
準優勝 1. 2002年6月16日 イギリスの旗 バーミンガム セルビア・モンテネグロの旗 エレナ・ドキッチ 2–6, 3–6
準優勝 2. 2002年6月22日 イギリスの旗 イーストボーン アメリカ合衆国の旗 チャンダ・ルビン 1–6, 3–6
優勝 2. 2002年9月14日 ブラジルの旗 バイーア ハード ギリシャの旗 エレニ・ダニリドゥ 6–3, 0–6, 6–2
準優勝 3. 2002年9月29日 ドイツの旗 ライプツィヒ カーペット (室内) アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 3–6, 2–6
優勝 3. 2003年2月16日 カタールの旗 ドーハ ハード ロシアの旗 エレーナ・リホフツェワ 6–3, 6–1
優勝 4. 2003年4月6日 アメリカ合衆国の旗 サラソタ クレー オーストラリアの旗 アリシア・モリク 6–4, 6–1
優勝 5. 2003年9月28日 ドイツの旗 ライプツィヒ カーペット (室内) ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 3–6, 6–3, 6–3
優勝 6. 2003年10月5日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) フランスの旗 アメリ・モレスモ 6–2, 6–4
準優勝 4. 2003年11月2日 アメリカ合衆国の旗 フィラデルフィア ハード (室内) フランスの旗 アメリ・モレスモ 7–5, 0–6, 2–6
優勝 7. 2004年3月6日 カタールの旗 ドーハ ハード ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ 4–6, 6–4, 6–4
優勝 8. 2004年6月3日 フランスの旗 全仏オープン クレー ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ 6–1, 6–2
準優勝 5. 2004年8月1日 アメリカ合衆国の旗 サンディエゴ ハード アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート 1–6, 1–6
優勝 9. 2004年10月17日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ 7–5, 6–0
準優勝 6. 2005年8月14日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク 5–7, 2–6
優勝 10. 2005年9月25日 インドの旗 コルカタ カーペット (室内) クロアチアの旗 カロリナ・スプレム 6–2, 6–2
準優勝 7. 2006年5月27日 トルコの旗 イスタンブール クレー イスラエルの旗 シャハー・ピアー 6–1, 3–6, 6–7(3)
準優勝 8. 2006年6月24日 イギリスの旗 イーストボーン ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 6–4, 1–6, 6–7(5)
準優勝 9. 2006年8月13日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード 中華人民共和国の旗 鄭潔 4–6, 1–6

ダブルス: 6回 (5勝1敗)

[編集]
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2003年10月5日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) ロシアの旗 ベラ・ズボナレワ ロシアの旗 ナディア・ペトロワ
アメリカ合衆国の旗 メガン・ショーネシー
3–6, 4–6
優勝 1. 2004年9月19日 インドの旗 バリ ハード 日本の旗 杉山愛 ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ
スペインの旗 アランチャ・サンチェス・ビカリオ
6–3, 7–5
優勝 2. 2004年10月17日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) ロシアの旗 ベラ・ズボナレワ スペインの旗 ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
アルゼンチンの旗 パオラ・スアレス
6–3, 4–6, 6–2
優勝 3. 2005年9月25日 インドの旗 コルカタ カーペット (室内) ロシアの旗 エレーナ・リホフツェワ インドの旗 ネハ・ウベロイ
インドの旗 シーカ・ウベロイ
6–1, 6–0
優勝 4. 2005年10月9日 ドイツの旗 フィルダーシュタット ハード (室内) スロバキアの旗 ダニエラ・ハンチュコバ チェコの旗 クベタ・ペシュケ
イタリアの旗 フランチェスカ・スキアボーネ
6–0, 3–6, 7–5
優勝 5. 2006年5月7日 ポーランドの旗 ワルシャワ クレー ロシアの旗 エレーナ・リホフツェワ スペインの旗 アナベル・メディナ・ガリゲス
スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク
6–3, 6–4

4大大会優勝

[編集]
大会 対戦相手 試合結果
2004年 全仏オープン ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ 6-1, 6-2

4大大会シングルス成績

[編集]
略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 通算成績
全豪オープン A A A 2R QF QF 4R 4R A 14–5
全仏オープン A 1R 1R 1R 2R W 1R 4R 1R 11–7
ウィンブルドン A 3R 2R 3R 4R 3R QF QF A 18–7
全米オープン 2R 1R 1R 3R QF 2R 3R 1R A 10-8

: 2005年全豪3回戦の不戦勝は通算成績に含まない

外部リンク

[編集]