アディウソン・ルイス・アナスタシオ
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名前 | ||||||
本名 |
アディウソン・ルイス・アナスタシオ Adílson Luíz Anastácio | |||||
カタカナ | アディウソン | |||||
ラテン文字 | ADÍLSON | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1959年1月10日(65歳) | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1980-1981 | インテル・ジ・ベベドウロ[1] | |||||
1981-1984 | インテルジ・リメイラ[1] | |||||
1985 | ポンチ・プレッタ[1] | |||||
1985 | コリンチャンス[1] | 12 | (4) | |||
1985-1986 | スポルチ[1] | |||||
1987 | キンゼ・デ・ジャウー[1] | |||||
1987-1989 | ヤマハ発動機 | 35 | (19) | |||
1990 | キンゼ・デ・ジャウー | |||||
1991-1992 | ジャボチカバウ | |||||
1992-1993 | インデペンデンチ・ジ・リメイラ | |||||
1994 | イガラパヴァ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アディウソン・ルイス・アナスタシオ(Adílson Luíz Anastácio、1959年1月10日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。日本での登録名はアディウソン。
来歴
[編集]1980年にサンパウロ州選手権2部のインテル・ジ・ベベドウロでキャリアをスタート[1][2]。インテル・ジ・リメイラを経て1985年にポンチ・プレッタへ移籍[1]。ポンチ・プレッタでの在籍期間は3か月のみとなったが、ブラジル全国選手権で9得点をあげる活躍を見せた[1]。同年、コリンチャンスへ移籍すると、12試合に出場して4得点を決めた[2]。同年、スポルチ・レシフェへ移籍するとミルトン・クルスとチームメイトとなりペルナンブカーノ州選手権で準優勝[1]。その後はキンゼ・デ・ジャウーでプレーをした[1][2][3]。
1987年9月13日、同僚のアンドレとともに日本サッカーリーグ (JSL) 1部のヤマハ発動機に移籍した[1][4]。ヤマハにとっては初の外国人選手であり、1987-88シーズン開幕まで1か月に迫った中での移籍となった[1]。開幕戦からスタメンに名を連ねると、1987年5月21日に行われた第3節の古河電工戦で初得点を決めるなど[5]、アンドレとともに攻撃陣を牽引[6]。1987年5月21日に行われたJSL1部第20節、マツダ戦ではフリーキックからアンドレの決勝点をアシストするなどヤマハのリーグ初優勝に貢献し[6]、年間優秀11人賞に選ばれた[7]。
翌1988-89シーズンにはアンドレ、サントスらとともにコダック・オールスター・サッカーに出場[7][8]。リーグ戦ではラフプレーや審判への抗議などから警告を受ける機会が多く、通算6試合の出場停止処分が科せられた[6]。その後、第19節から連続得点をあげて得点ランキング首位の前田治(全日空)を追走すると、最終節の三菱重工戦で2得点をあげて前田を抜き得点王となった[6][9]。
翌1989-90シーズンは1989年10月8日に行われた開幕戦の日産自動車戦でスタメンに名を連ねたものの、以前から痛めていた右膝の状態が悪化[10]。第2節以降は出場機会はなく[11]、同年10月27日付で登録抹消となった[10]。ヤマハ退団後はキンゼ・デ・ジャウー、ジャボチカバウ、インデペンデンチFC、イガラパヴァECでプレーした[2]。
個人成績
[編集]日本国内成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1987-88 | ヤマハ | 34 | JSL1部 | 19 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 19 | 8 |
1988-89 | 15 | 11 | 1 | 0 | 4 | 1 | 20 | 12 | |||
1989-90 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 1 | ||
通算 | 日本 | JSL1部 | 35 | 19 | 1 | 0 | 4 | 1 | 40 | 21 | |
総通算 | 35 | 19 | 1 | 0 | 4 | 1 | 40 | 21 |
選抜歴
[編集]- JSLオールスターサッカー
- 1回出場(1988年[12])
個人タイトル
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 「ヤマハ発動機 ニュー三銃士」『サッカーマガジン』1988年5月号、ベースボール・マガジン社、6-9頁。
- ^ a b c d “Adilson Igarapava - Que fim levou?”. Terceiro Tempo. uol.com. 2021年10月16日閲覧。
- ^ “Adilson Igarapava Ex-atacante do Corinthians e Yamaha do Japão” (PDF). A Gazeta de Jaboticabal (2013年6月1日). 2021年10月16日閲覧。
- ^ “BIG HOPES for Brazilian soccer power” (PDF). YAMAHA MOTORS NEWS (1988 NO.8). 2021年10月16日閲覧。
- ^ 「Result JSL1部」『サッカーマガジン』1988年1月号、ベースボール・マガジン社、222-223頁。
- ^ a b c d e 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会 編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、166-169頁。
- ^ a b c “クラブの歴史”. ジュビロ磐田公式サイト. 2021年10月16日閲覧。
- ^ 「魅せたブラジルパワー、WEST圧勝」『ストライカー』1988年11月号、学研、16-17頁。
- ^ 「笑った、泣いた、チーム、人、記録……etc. JSLマルチパノラマ総決算」『ストライカー』1989年7月号、学研、30-31頁。
- ^ a b 「第25回JSL1部序盤戦 日産、全日空を古河急追!大混戦の首位戦線」『ストライカー』1990年1月号、学研、36-37頁。
- ^ 日本サッカーリーグ 編『日本サッカーリーグ・イヤーブック '90→'91』日本サッカーリーグ、1990年、94,118頁。
- ^ 「ブラジル勢大暴れ!西軍快勝!」『サッカー・マガジン』1988年1月号、ベースボール・マガジン社、52-53頁。