Wikipedia:井戸端/subj/「要出典」の必要性について疑問があります。

「要出典」の必要性について疑問があります。[編集]

{{要出典}}は、ずいぶんたくさんのページに使われているテンプレートなので、こんな疑問を投げるのもけっこう勇気のいることなのですが・・・そもそもこのテンプレートには、必要性があるのでしょうか?

Wikipedia:「要出典」をクリックされた方へによれば、{{要出典}}の目的は、

論争の発生しやすい記事においての突然の除去は編集合戦につながることがありますし、出典を明記すべき範囲についての見解の相違などもあります。そのため、利用者による議論や出典提示の機会を与えるために「要出典」、「要出典範囲」などのテンプレートが用意されています。

とのことで、要約すると、

主にこの2つ、ということで合っていると思いますが・・・私には、{{要出典}}がこの目的を果たせているとは思えません。

まず、今の{{要出典}}の使われ方は、ほとんど全部Wikipedia:「要出典」をクリックされた方へに従ってない気がします。
出典が必要だと思ったのではなくて、ただ書いた人の「私見」になってる所に貼ってるだけだったりします。実際私もそういう使い方ばっかり見慣れていたので、最近まで私も誤解してたところがありました。
でもこれは、使う方にそのつもりがなくても、皮肉とか嫌味とかにしか見えません。
時とすると、注釈の中にまで{{要出典}}が貼られている記事もありますが、これは使い方が誤解されてるとしか。
もちろん、本当に嫌味や皮肉で、悪戯のつもりで使っているらしい記事もありますが。


悪意のない誤用か意図的な悪戯かはともかく、そういった使い方はしょっちゅう見かけます。
しかもこれがなかなか修正されません。ほとんどの人は、こういう使い方を見ただけで編集意欲が削がれてしまって、そのままにしてしまうのです。多分同じ経験がある人も多いでしょうが、そういうことが私も多いです。

してみると、結果的に{{要出典}}は、人の編集意欲をなくさせて、本来消せば済むはずの「私見」を、逆に載せっぱなしにさせる効果のほうが強い気がします。

もちろん中には、ちゃんとWikipedia:出典を明記するに基づいて、うっかり見失ってしまった出典を募集したり、出典がなきゃいけないと思うところに{{要出典}}を使っている方もいます。
けれどももう{{要出典}}には、誤用のほうの悪いイメージが定着してしまっていて、みんな編集控えてしまうので、正しい使い方をしても全然反応がありません。


長々としてしまってすみませんが、つづめるとこういう感じです。

  • {{要出典}}は誤用(ないしは皮肉、嫌味)が極端に多い
  • 誤用は、人を不快にするおそれがある
  • 誤用は、人の編集意欲を削ぐおそれがある 
    • 記事をなかなか編集されなくしてしまう
    • 出典明記の徹底をむしろ遅らせる

⇒残しても、メリットよりもデメリットのほうが多い。

  • 正しい使い方をしても、効果があまりない (嫌味だと勘違いされることもある。)
  • 正しい用法は、他の方法でも代用できる (後述)

⇒撤廃しても、デメリットがほとんどない。


長く使われてるテンプレートでも、これだけ害が大きいなら、使い続ける理由はないのではないでしょうか。
もし私のほかにも同じ意見の人が多いのなら、これは撤廃するべきだと思います。それを提案したいです。

{{要出典}}を撤廃して、代わりに例えば{{出典の明記}}の仕様を少し変更して、 「具体的にどの記述に出典がいるか」 を列挙できるようにすればいいと思います。
要出典は簡単に貼れすぎるから余計なところにまで貼られるんだと思いますが、{{出典の明記}}なら本当に必要な時しか使われないと思うので。

以上、ご意見お待ちしています。

あと、{{}}のノートにも同様の意見をしています。こちらもご覧頂ければ幸いです。--118.1.228.66 2010年4月21日 (水) 03:06 (UTC)[返信]

ご意見としては個人的には面白いですが、「ルールを守るつもりがない」と「ルールが実行不能」は違います。つまり前者は第一義的には行為者に責任があり、後者の場合のみルールに瑕疵があるのということです。{{要出典範囲}}テンプレートなどもあるので、ご提案は「車輪の再発明」の域を出ないように考えます。--あら金 2010年4月21日 (水) 03:24 (UTC)[返信]
さすがにセンテンスごとに{{要出典}}を貼るようなのは、{{出典の明記}}貼ってノートでやってくれとは思いますが、個人的な観測では、{{要出典}}が貼られるのは記事に問題がある場合が多いと言う印象です(過去に、ノートで出典を求められて逆切れし、{{要出典}}を貼りまくったなんて事例もあった気がしますが、そういうのは論外として)。<ref>での記述が独自研究でしかない場合もありますから、注釈/脚注に要出典があっても何ら問題はないでしょう。濫用は避けたほうがいいでしょうが、テンプレートの問題ではなく、編集者ないしはテンプレート使用者側の問題だと思います(ちなみに{{}}も同根ではないかと)。-- 2010年4月21日 (水) 03:51 (UTC)[返信]
出展が明らかではない記述であることを示すことは、誤った情報で読者に被害が及ぶことを防ぐために有用です(本来は信頼できる内容に編集するべきですが、それはいつもできることではありません。)。不快な思いをする編集者の方もいらっしゃると思いますが、読者の視点から考えれば、一時的にやむをえない措置であるとも考えます。ただ、「要出典」の使われ方が適切でないのなら、それを除去することも検討できると思います。--有足魚 2010年4月21日 (水) 11:47 (UTC)[返信]
コメント「要出典テンプレートを適切ではない形で使う人がいる」というのはあるとは思います。しかし、その場合はそれを編集除去するなり、その人に対して何らかの行動 (諌めるとかコメント依頼とか) を起こす方がいいでしょう。そして、ご提案の《代わりに例えば{{出典の明記}}の仕様を少し変更して》については、それを導入したとしても、次はそれを適切ではない形で使うだけだとは思います。
《ほとんどの人は、こういう使い方を見ただけで編集意欲が削がれてしまって、そのままにしてしまうのです。多分同じ経験がある人も多いでしょうが、そういうことが私も多いです。》については、根拠なく《ほとんどの人は》と言ってしまうことはどうかと思いますが、それよりもそもそも最初から出典と共に記載しておけば、「要出典の悪用」については被害を受けることはないので、「ちゃんと出典と共に記述する人」という、当たり前の行動をとっている人は編集意欲が削がれるまではいかないと私は想像します。出典なしの記述をしてしまう人の編集意欲が削がれるというのはきっと気にしなくていいし。--2010年4月21日 (水) 14:01 (UTC) —以上の署名の無いコメントは、Iwai.masaharu(会話履歴)さんによるものです。


ご意見ありがとうございます。
ただ、説明がどうも下手なので、ところどころ誤解が伝わってしまったようですみません・・・。

  • 私も、「ルールを守るつもりがない」と「ルールが実行不能」は違うというのは、同意ですが、
 「人を『ルールを守らなく』しやすい」 と 「ルールが実行困難」 は、同じではないでしょうか。
私は、{{要出典}}が 「人を『ルールを守らなく』しやすい」 テンプレートだと思ったので、
他にも同じように思う人がいるかどうか、疑問を提出しました。
(長々としてるうちに疑問文じゃなくなってしまったようで、回答が得られませんでしたが・・・)
  • 出典がない記述には、そう示したほうがいいというのも同意です。
ただ、{{要出典}}でそれを示すと人を不快にさせる恐れがあるなら、別のテンプレートを使ったほうが記事的にもいいのではないかと思いました。
  • 根拠なく《ほとんどの人は》と表現した件ですが、、、
すみません、記事ではだめでも意見を述べる場所では、根拠のない私見や独断が入っていても問題ないと思ったので、こう言いました。
一応ここで私の言うことは、全部「私見」だということで、納得して頂ければ幸いです。


上の説明では具体例を挙げていなかったので、要出典のリンク元から抜粋してみます。(せっかく列挙するので、修正用リストも兼ねてたくさん載せてみます)
理屈はひとまず置いて単純に、このまま放置しても出典が提示される可能性が低いと思うもの。

  • オンラインゲーム  公式サーバよりも楽にゲームが進むというメリットがあるため手を出してしまうプレイヤーが多いようだ[要出典]
  • PHS  制御キャリア移行に対応していない、相当に古いPHS端末[要出典]は、公衆モード端末としては使用できなくなる。
  • C言語  それらの組み合わせで処理できるため、C を使うのはある意味最後の手段であって[要出典]
  • 経済学  一番有名で多くの人々に支持されている定義[要出典]は、
  • スラッシュ (記号)  文末に使用し恥ずかしさや照れを表している場合もある[要出典]。「例:だめっ///」
  • 小池田マヤ  基本的に器用で多作の作家である。[要出典]
  • 仮面ライダークウガ  名称の頭に来る集団名は、ベルトのバックルの色に由来する[要出典]
  • Java  「JAVA」や「java」は正式な表記ではない[要出典]
  • ウサギ  現在では鳥類とウサギをまとめて数える場合、または食肉として扱う場合を除き、通常の小動物を数える「匹」を用いることが一般的になりつつある[要出典]
  • 自転車  共有自転車(レンタサイクル、バイシクル・シェアリング)を都市内で大規模に導入する動きもみられ、パリのヴェリブはその中でも代表例で、利用者・台数が多い[要出典]
  • 2002年  キングギドラが6年ぶりに復活、日本ヒップホップ界だけではなくメジャー音楽業界からも失笑を買う[要出典]
  • Macintosh  「過去との互換性は画期的な製品進歩の抵抗である」(創業者であるジョブズの発言[要出典])
  • 写真  冷却することで長時間露光時の相反則不軌を低減できることが、経験的に知られている[要出典]
  • めぞん一刻  高橋が大ファンである筒井康隆の短編小説『死にかた』から発想を得たとも言われている[要出典]
  • 電子メール  断り無くHTML形式のメールは送信しないようにすることが、いわゆるネチケットであると言う意見もある[要出典]
  • マクドナルド  2店舗以上を配下に置くトラディショナル店舗も珍しくない[要出典]
  • 2月13日  アンドリュー・ワイルズのフェルマーの最終定理の証明が正しいことが確認され、360年に及ぶ歴史にピリオドを打った。[要出典]
  • 宇多田ヒカル  宇多田本人のギターの使用はテレビ等では『Devil Inside』が最初[要出典]
  • ギャラガ  降下攻撃中のボスを破壊すると、敵が数秒間弾を撃って来なくなる。これは「指揮系統が混乱したため」との理由付け[要出典]が為されている。
  • 大乗仏教  それに対し大乗仏教側にはその正統性を主張する以下のような論もあるようだが、具体的な反論はあまり見られない[要出典]
  • 小津安二郎  映画監督以上に映像芸術家として[要出典]国際的に知られる。
  • ウェブサイト  一部の管理者は、ウェブサイトの閉鎖を宣言してから完全に削除するが、このような事例はまれである[要出典]
  • 仮面ノリダー  当時ノリダーごっこで遊んでいた子供達は父親のゴルフクラブを背負ってファンファン大佐の真似をしている者も多数いた。[要出典]
  • カルト  過激な環境保護・動物愛護運動を行う集団に対して「環境カルト」という言葉が用いられる[要出典]
  • マイクロソフト  多くの外資系企業と同じく、部門の消滅、統合が多々行われている。[要出典]
  • 地衣類  某地衣類観察会は年末に行われ、この時期に行う理由を指導者に尋ねたところ、「年中観察できるからいつでもいい。むしろ夏はマムシやアブがいるから嫌」とのことであった[要出典]
  • みゆき (漫画)  上記の荻野目の演技の好みが分かれたことや、原作進行とのペースを合わせるため、オリジナルのエピソードを挿入した結果、あまりにもシリーズの一部としてそぐわない内容の作品が多すぎた、原作とアニメと全く描き方が異なるエピソードが多々ある…等、数々の理由から視聴率が伸び悩んだ[要出典]と言われる。
  • 風邪  風邪(かぜ)は急性上気道炎と称する[要出典]、としている文献もある。いわゆる「風邪(風邪症候群)[要出典]」としている文献は多い。急性上気道炎、急性鼻咽頭炎、急性咽頭蓋炎までふくめる[要出典]、とする文献もある。 [1]
  • 滋賀県  そのことによって生じた近江閥と秀吉出身地の尾張閥の対立が関ヶ原の戦いを促したとも言われる[要出典]
  • 栃木県  毛野国は筑紫、出雲、吉備などと並び強大な発言力を有していたと言われる。[要出典]
  • エルヴィス・プレスリー  エルヴィスはシャイでテレ屋な性格であった[要出典]
  • メーリングリスト  サーバ側でウイルスチェックを行うことが望ましいが、ウイルスチェックを行っているメーリングリストはほとんど存在しない[要出典]
  • 生物  少なくとも過去においては生命に適した環境が存在していたと考えられている[要出典]
  • 特撮  特撮=「着ぐるみのキャラクターがアクションをするドラマ」というコンセンサスが出来ている節があり[要出典]
  • イラン  これら三宗教の信者は極端な迫害[要出典]を受けることはないが
  • ホワイトデー  >お返しは3倍返し
  • ゆうきまさみ  >アシスタント
  • 細野不二彦  >アシスタント

これらの記事に使われている{{要出典}}は、誰かが出典を提示してくれる見込みは、ほとんどないと思います。
これらの要出典は、どこを探しても、信用できる出典は見つかりそうにありません。
もちろんそれなら、記述と要出典を一緒に消すべきだろうとは、思うのですが・・・
群集心理というものでしょうか?理屈はよく分からないのですが、とにかく今現在、こういう要出典がある箇所を見つけても、進んで修正するのは抵抗を感じます。

逆に、要出典は貼られてないけど、書いた人の私情が入ってるらしい記述などは、見かけたらすぐ修正することが、私は多いです。
これならむしろ要出典がないほうが、たくさんの人が気軽に修正してくれるのではないかと思うのです。


最後に、正しい?用例

  • パリ  ルーヴル美術館を含む1区を中心に、時計回りに20の行政区が並ぶ(エスカルゴと形容される[要出典])。
  • エジプト  英語を通じて日本語に入った「エジプト」の名は古代ギリシア語で「暗い」を意味するアイギュプトス (Αιγυπτος Aigyptos) に由来している[要出典]

今やこれも、一見しただけだと誤用(悪戯)と見間違えてしまいそうです。
要出典に、こういう悪いイメージが定着してしまってるなら、いっそ撤廃して、他のテンプレートで代用したほうがいいと、思うのですが、、、。--118.1.228.66 2010年4月21日 (水) 21:36 (UTC)[返信]

118.1.228.66さんは「要出典が付与されているところは直す気があまり起こらないが、そうではない箇所に同種の問題がある場合は修正を実施する」(意訳) とのことですが、私はむしろ要出典とされている箇所を優先的に修正しようと思っています。《これならむしろ要出典がないほうが、たくさんの人が気軽に修正してくれるのではないかと思うのです。》については、統計的データを取らない限り、どちらが適切なのか判断がつかないだろうし、しかもその結果は時と共に変遷していく類のものであろうと思います。118.1.228.66さんは「現在要出典テンプレートを不適切に使っている人がそれなりにいるから、要出典テンプレート箇所の修正をする気が起こらない」とのことですから、その前提が変わってしまえば118.1.228.66さんの要出典テンプレートに対する印象もかわりますよね?とすれば、変えるべきは「要出典テンプレートを不適切に使っている人」なのではないですか?
具体例、ありがとうございます。こういうものを出していただけるとどのような閾値で考えていらっしゃるのかがわかって良いと思いました。個別には延べませんが、私の判断では、該当記述を出典なしに記載すること自体がかなり問題というものもありますし、そこに出典を付与することは可能であると思うものもあります。そもそも (たぶんいつまでも未完成であろうというのはともかく) 各記事が完成するとしたらすべて出典が付与されているはずですよね。また、仮に《これらの要出典は、どこを探しても、信用できる出典は見つかりそうにありません》ということが正しかったとすれば、それはウィキペディア日本語版には不適切な記述であるということです。とすれば、そこだけを狙って要出典テンプレートを付与した人の意図はともかく、それがもたらすその記述に対しての効果は否定されるべきではないとも思います。--iwaim 2010年4月22日 (木) 04:20 (UTC)[返信]
コメント 118.1.228.66さん、こんばんは。「要出典は簡単に貼れすぎるから余計なところにまで貼られるんだと思いますが」とのこと、確かに簡単に貼ることができる点が長所(効率的に出典追加依頼を告知できる)でもありまた同時に短所(乱用を招きやすい)でもあると思います。{{出典の明記}}を拡張して指摘箇所を列挙するようにしてはどうか、とのご提案ですが、今度は記事上でより大きなスペースを占有して邪魔・冗長と受け取られるかもしれません(デザインにもよると思います)。出典追加依頼のハードルが高くなり過ぎるデメリットも考慮する必要があります。現時点では、現状のように必要に応じて{{出典の明記}}、{{要出典}}、{{要出典範囲}}を使い分けるのが現実的なのではないかと思います。
ただ、「要出典」という言い回し、言葉自体にどこか(乱用を誘う?)挑発的な印象があるのかもしれませんね。これと同等の簡潔な表現は難しいとは思いますが、もしこれに代わる新しいラベルのいいアイディアがあれば検討する価値はあると思います。--Penn Station 2010年4月22日 (木) 10:28 (UTC)[返信]
「出典募集中」とか…要出典のノートに議論を移してもいいかもしれません。--有足魚 2010年4月22日 (木) 11:19 (UTC)[返信]
せっかくですのでTemplate‐ノート:要出典でご意見を募集してみましょうか。--Penn Station 2010年4月22日 (木) 13:24 (UTC)[返信]
報告 という訳で、Template‐ノート:要出典#「要出典」のラベル変更提案にラベル変更提案・代替案提示を行いました。ご意見募集中ですので、よろしくお願いいたします。--Penn Station 2010年4月22日 (木) 16:23 (UTC)[返信]
情報 今気付いたのですが、Template‐ノート:要出典#仕様変更希望にて118.1.219.13さんが今回の118.1.228.66さんと似た趣旨のご提案をされています(ドメインが同じですが、もしかすると同じ方でしょうか?)。念のため参考情報としてご紹介させていただきます。--Penn Station 2010年4月22日 (木) 13:24 (UTC)[返信]
提起してる問題については同意します。「要出典」が貼ってあるので可能なら追記しようと思って記事を読んでも「何について出典が欲しくてこれ貼ったんだ?」と思うことはしばしばあります(そして誰がいつ貼ったのか追いかけること自体が非常に手間)。記述について疑問があるならその旨をノートで指摘すればいいものを、それをせずにただイタズラに「要出典」のテンプレを貼り付けて歩いている人がいる。「何について」要出典なのかがサッパリわからないので誰も追記をしない、テンプレがそのまま残り、記事の相当な部分が改変されていてもテンプレは貼られたまま。…そんなケースは結構あると思います。だからといって一律にテンプレを廃止すればいいというもんでもないと思いますが、例えば「{{要出典範囲}} 」との併用を義務として(「何について出典が欲しいのか」の明示)、併用していないものは全部剥がす。そういう「リセット」は一度必要かなと思います。--そら太 2010年4月22日 (木) 10:43 (UTC)[返信]
{{要出典範囲}}をもっと活用すべきとのご意見には賛成です(義務かどうかは別にして)。ただ、個人的にはあの下線(点線)の見栄えの悪さ(というより目立ち過ぎ?)が気になっていました(抵抗感が大きくなるという意味で)。こちらも改善提案を検討中です。--Penn Station 2010年4月22日 (木) 13:27 (UTC)[返信]

皆様、ありがとうございました!
微妙な問題だったので、実は気になり始めた頃から数年くらい迷っていたのですが、提案してよかったと思います。

ほんとに私は、言いたいことの取捨選択ができなくて、分かりづらい文章になってしまいましたが、
そら太氏の説明を見て、まさにこれが私の思うことの要点だなと思いました。
また、要出典や要出典範囲の見た目についても、私は大いに同意見です。(これは、要出典のノートで続けます。)

では全廃は無し、という方向で決着とさせて頂きます。
上に列挙したような、出典が出せそうにない要出典については、反対がないようでしたら、問題の記述とともに可能な限り除去してしまおうと思います。(できれば要出典の使い方説明にも、こういう要出典は修正していいという断りがあれば、安心して修正できそうです。)--118.1.228.66 2010年4月24日 (土) 02:55 (UTC)[返信]

コメント 《出典が出せそうにない要出典については、反対がないようでしたら、問題の記述とともに可能な限り除去してしまおうと思います》については、先に書いたように出典を特に求めることが妥当なもの、出典がだせそうなものはあると思っています。そもそもの話をすると出典がない記述が異常なわけです。ですから、それを《出典が出せそうにない要出典》という理由で要出典テンプレートのみを編集除去することはありえないと思います。出典が出せそうにない記述というものが本当にあるのでしたら、それはその記述を編集除去する必要があると私は判断します。
ただ、(非常に残念なことですが、検証可能性が軽視されている) 現在のウィキペディア日本語版では、記述に出典がなくても許容されるという状況ですので、それを踏まえた上で「この箇所にだけ取り立てて要出典テンプレートを付与する必要はないと思う」という理由で要出典テンプレートのみを編集除去することは、一応許容範囲なのかも知れません。その場合でも、より穏当に実施するのであれば、ノートでの問題提起を経るという手はありますね。
要出典系テンプレートに、「何故その箇所に特に出典が必要だと考えたか」ということを記載することは、現在のウィキペディア日本語版では必要なのかも知れないですね。しかしながら、積極的に要出典系テンプレートを編集除去することを後押しするようなものは書くべきではないので、どこか適切なところで文面案などを相談した方がいいですね。--iwaim 2010年4月24日 (土) 03:59 (UTC)[返信]
◆もっと早くコメントを付けようと思っていたのですが、まとめるのに時間がかかりました。すみません。
例に挙がっているものの多くは、おそらく情報源を示すことができることだと思いますし、記述があったほうがいいものだと思います。そこには違和感を覚えました。これは推測なのですが、例にあるものを除去した方がいい、という考えは、出典がないこと、というよりは、その表現や内容から除去した方がいいというものではないか、と感じました。
たとえば、2002年で、まず必要なのは「キングギドラが6年ぶりに復活」という部分の情報源でしょう。あるいは、2002年という括りの中でキングギドラの復活が、少なくとも日本のポピュラー音楽界における重要な事柄だということを示す情報源が、ほんとうは必要です。しかし、「日本ヒップホップ界だけではなくメジャー音楽業界からも失笑を買う」という表現に疑義があり、「要出典」が付けられているのだと思います。そして、ひょっとしたら、この分野で一定の信頼ができる音楽雑誌や評論家の意見として、このような表現もあるかもしれないとも思います。それでも、この表現は、百科事典のなかの「2002年」という項目の記述としては、出典があったとしても不要だから除去、というのが好ましい対応だと思います。
検証可能性の方針からは、そもそも全部に情報源が必要だということになります。それでも、全部というのは難しいとか、おおむね共有されている知識だとかといった急を要しないものもあるので、「出典の明記」を使うことへの批判というのが過去にあったと記憶しています。そこで、いかにも不自然な記述に対して「要出典」、追って「要出典範囲」が使われるようになってきた。それは、そもそも全部に必要なものに対して、意見が分かれると思われるものにだけ出典を付ければいいという、ウィキペディアの方針からは外れた用法になってしまっているという側面があります。記事の質を向上させるための修正を考えるなら、「要出典」の場所は放置して、記事全体の重要な記述内容の出典を付けることが必要な記事も多いだろうと思います。そういう記事に、「出典の明記」を貼るということが、多くの執筆者に許容されるなら、そのほうがいい。そこらへんは、今のウィキペディア日本語版のコミュニティの執筆を主にしている参加者と、その加筆・修正・メンテナンスなどを主にしている参加者の間の対立が生じないように、バランスが取れていればいいのかな。
「書いた人の私情」なのか、「示されていない情報源の著者の私情」なのか、の区別は意識する必要があると思います。「と言う意見」や「と言われている」というのは、しばしば資料を確認せずに記事を書く人が使う言い回しでもありますが、具体的な意見、発話者が存在するはずのものです。あるいは、誰かを明示しないままに「と言われている」という表現が用いられている、信頼できる情報源があるのかもしれません。それらは、今のところ情報源が示されておらず、検証可能性を満たさない、不確かな記述ですが、実際に情報源があり、それを書いていなかったという場合もある。その記述内容自体を、虚偽または投稿者の独自研究と決めつけることも難しいでしょう(いわゆる悪魔の証明になります)。写真の「経験的に知られている」あたりは、探せばそういう表現が出てくるものだと思いますし、「理論的に」ではないことを示す意義はある。単に除去することは、「要出典」を貼ることよりも反発を生むことも少なくないと思いますから、そこは気を付けて欲しいと思いました。--Ks aka 98 2010年4月24日 (土) 07:20 (UTC)[返信]

初めまして。私も新規ページを作成しましたが、まだwikipediaについてのルールが理解しきれてない点も多くタグが2つ付いてますが、どう修正すれば良いか分からずそのままとなってます。このページを例にすると「スタイル」のタグについては何度か他のページを参考にレイアウト修正しましたが、結局は元に戻された部分もあり、「どれを直せばタグが外れるのか分からない」という状態です。出典タグについては商品ライフサイクルマネジメントと同じぐらいどこでも使われる理論(誤解を覚悟して例えると 1+1がなぜ2になるかの出典を求められてるような感覚)なので、商品ライフサイクルマネジメントが不要で何故プロダクト・ポートフォリオ・マネジメントは出典タグ?と考えてしまいます。これはタグ貼り付けに共通することかも知れませんが、私のような経験の浅いユーザーからすれば、出来ればタグを付ける際はノートにその問題個所をお知らせ頂きたいと感じます。これが解決しないので、他に新規ページを作るのを躊躇してる状態ですが、多分タグを貼られたユーザーで同じ気持ちの方も多いと思います。--kei 2010年5月4日 (火) 15:44 (UTC)[返信]

コメント レイアウトなどの問題 ({{Wikify}}関連) についてはあんなものでいいんじゃないでしょうか。多少手直しして外しておきました。
《商品ライフサイクルマネジメントが不要で何故プロダクト・ポートフォリオ・マネジメントは出典タグ?と考えてしまいます》については、そもそも出典が全く存在しない「商品ライフサイクルマネジメント」にも{{出典の明記}}はあってもよいのかも知れません。が、「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント」については「私の記憶で書きました」(iwaimによる意訳) と主張なさっているのですから、付与されてしまったのではないかと思います。《出来ればタグを付ける際はノートにその問題個所をお知らせ頂きたいと感じます》については、仰ることには同意します。付与した方に「どの記述が特に問題であると判断したのか」ということを聞いてみてはいかがでしょうか。(まあ、記述されている内容が本当に基本的なことと仰っているのですから、聞く前に先に出典を付与した方が手間もかからないとは思いますけど)
他の新規ページ作成については、基本的にウィキペディア日本語版は「Wikipedia:検証可能性」にあるように全ての記述に出典が必要であり、また、「Wikipedia:独自研究は載せない (注: 「独自研究」とはウィキペディア日本語版の専門用語)」というものもあるのですから、まずは出典と共に記載するようにしていただければと思います。「検証可能性」を満たすことで、他者にもそれが「独自研究」ではないことを立証することになるのです。両方針について、まだあまりお読みになっていないのでしたら、まずはお読みいただいた方がよいかと思います。--iwaim 2010年5月4日 (火) 18:22 (UTC)[返信]
コメント ありがとうございます。「私の記憶で…」に関しては、私もそういう気がしてました。付与した方に「どの記述が特に問題であると判断したのか」を聞くことに関しては、おっしゃる通りなんですが、個人ページのノートで言い争いになってるのを見ちゃうと、一対一の対話となりやすい個人ノートでは「聞きづらい」という気持ちがあります。それとスタイルもそうですが、どこまで修正や出典を載せればタグが外れるかの程度が分からない為、付けられた側からすると慎重にならざるを得ず、タグ貼り付け者が定期的に検証されるとかノートへ問題個所を明示するとか、ある程度のルールは欲しいと感じます。--kei 2010年5月5日 (水) 14:30 (UTC)[返信]