朴殷植

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朴殷植
各種表記
ハングル 박은식
漢字 朴殷植
発音: パク・ウンシク
日本語読み: ぼく・いんしょく
ローマ字 Park Eun-sik/Pak Ŭn-sik
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朴 殷植(パク・ウンシク、1859年9月30日 - 1925年11月1日)は、朝鮮の歴史家、作家、民族主義運動家、政治家。大韓民国臨時政府の第2代大統領(1925年3月 - 7月)を務めた。ペンネームは「太白狂奴」[1]

略歴

  • 1859年9月30日 - 黄海道黄州で生まれる。
    • 40歳までの経歴についてはあまり知られていない。
  • 1898年 - 皇城新聞に参加(旧大韓皇城新聞)。
  • 1911年 - 西間島桓仁県に亡命。
  • 1924年11月 - 大韓民国臨時政府国務総理兼大統領代理
  • 1925年3月 - 大韓民国臨時政府第2代大統領
    • 7月 - 同大統領退任
  • 1925年11月1日 - 死去

主な著書

  • 『東明聖王実記』
  • 『大東古代史論』
  • 『明臨答夫伝』 - 暴虐の次大王を廃して新大王を擁立し高句麗の宰相となったという伝記(三國史記卷第四十五)。
  • 『蓋蘇文伝』
  • 『夢拜金太祖』
  • 『渤海太祖建国誌』
  • 『韓國痛史』(1915) - 全編3部114枚、1864年の光武皇帝即位から1910年日韓併合まで。
  • 韓国独立運動之血史』(1919-1920)

以上をまとめた全集として「白巌朴殷植全集 全6巻」(編纂委員会編刊)がある。

評価

作品は、朴の漢文の素養と宋明理学への深い造詣を下地とした、高い文章表現力によって支えられていると韓国では評価され、韓国歴史学で多く参照、引用される。『韓國痛史』では、韓国の東限を東経130度50分と記されている[1]

その主著『韓国独立運動之血史』はきわめて民族主義的性格の強い著作で[1]、朝鮮人の民族意識鼓舞の目的で1919年から1920年にかけて、亡命先の上海で、文献や伝聞、新聞資料等の資料から作成したもので、そのため数値や事実関係の検証が徹底しておらず、韓国人の歴史家によっても多数の誤りが指摘されている。内容については、民族主義を鼓舞するための政治的著作であって考証を意識したものではないとの指摘[2][3]がなされることも少なくない[注釈 1]

脚注

注釈

  1. ^ たとえば、1906年島根県の一行が鬱陵島を訪問し、前年の日本の竹島公式編入を通知した出来事も、鬱陵島のこととして叙述している[1]

出典

参考文献

  • 黒田勝弘『韓国人の歴史観』文藝春秋文春新書〉、1999年。ISBN 4166600222 
  • 勝岡寛次『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する - 歪曲された対日関係史』小学館小学館文庫〉、2001年。ISBN 4094023763 

外部リンク