ネーデルラント連邦共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。MathXplore (会話 | 投稿記録) による 2020年9月1日 (火) 11:32個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎関連項目)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ネーデルラント連邦共和国
Republiek der Zeven Verenigde Nederlanden
ネーデルラント17州 1580年頃 - 1795年 バタヴィア共和国
ネーデルラント連邦共和国の国旗 ネーデルラント連邦共和国の国章
国旗国章
国の標語: Eendracht maakt macht
国歌: Wilhelmus van Nassouwe
ネーデルラント連邦共和国の位置
公用語 オランダ語
首都 アムステルダム
総督(統領)
(1572年) - 1584年 オラニエ公ウィレム1世
1625年 - 1647年オラニエ公フレデリック・ヘンドリック
1672年 - 1702年オラニエ公ウィレム3世
1747年 - 1751年オラニエ公ウィレム4世
1766年 - 1795年オラニエ公ウィレム5世
人口
1795年[1]1,880,500人
変遷
ユトレヒト同盟結成 1579年1月23日
Plakkaat van Verlatinghe
(一般的には独立宣言とみなされている)
1581年7月26日
ミュンスター条約
(スペインが独立を承認)
1648年1月30日
滅亡1795年1月19日
通貨ギルダー

ネーデルラント連邦共和国(ネーデルラントれんぽうきょうわこく、オランダ語: Republiek der Zeven Verenigde Nederlanden英語: Republic of the Seven United Netherlands)は、16世紀から18世紀にかけて現在のオランダおよびベルギー北部(フランデレン地域)に存在した国家。現在のオランダ王国の原型であり、そのことからオランダ共和国などと呼ばれることもある。

連邦共和国はヘルダーラント州ホラント州ゼーラント州ユトレヒト州フリースラント州オーファーアイセル州フローニンゲン州のネーデルラント北部7州からなり、これにドレンテ準州、国境地帯の連邦直轄領ブラーバントリンブルフフランデレンなどが加わっていた。中でもホラント州が連邦の経費の半分以上を負担し、人口、富、対外関係の面で他の6州より抜きんでていた。そのため、この州の名がそのまま連邦共和国、さらに今日の王国の通称となった。日本語名の「オランダ」もホラントのポルトガル語名に由来する。

歴史

成立

1579年ユトレヒト同盟が基礎となって成立したが、建国宣言や独立宣言のようなものはなかったので、成立年は明確ではない。1795年フランス革命軍の侵攻によって崩壊した。

歴史教科書などでは、宗主国スペインフェリペ2世の統治権を否定した1581年の宣言を独立宣言とするものも多い。ただし、この時点では独立国家の樹立や共和制国家の成立を目指していたわけではないので注意を要する。

終焉

1794年9月、フランス軍はオランダへの侵攻を開始し、10月2日ルール川を渡り、1795年1月にはフランスの傀儡国家バタヴィア共和国が宣言される。1795年5月16日、オランダはハーグでフランスと講和条約を結び、500万フローリンの賠償金支払いを約束させられた[2]

国旗

国旗は橙・白・青の横三色旗だったが、1630年代以降は色褪せしやすい等の理由で、現在のオランダの国旗と同じ赤・白・青の配色へと変えられた。なお、オランダからの移民であるアフリカーナーをルーツの一つとする南アフリカ共和国では、1927年から1994年まで国旗の地色に橙・白・青の横三色を用いていた(南アフリカの国旗を参照)。

脚注

  1. ^ Demographics of the Netherlands, Jan Lahmeyer. 2017年5月26日閲覧
  2. ^ ソブール 下144-146

参考文献

関連項目