コンテンツにスキップ

中村紀彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。流華鎖 (会話 | 投稿記録) による 2023年3月27日 (月) 05:26個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (博士論文はヒットせず)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

中村 紀彦(なかむら のりひこ、1991年平成3年)8月18日[1] - )は、日本の映像・映画理論研究者。タイ人映画監督アピチャートポン・ウィーラセータクンの映像に関する日本で唯一の研究者[要出典]

略歴・人物

大阪府生まれ。大阪府立清水谷高等学校[2]立命館大学映像学部を卒業[3]し、神戸大学大学院人文学研究科博士課程修了[要出典]

当初アジアドキュメンタリー映画をテーマに研究する予定だったが、京都市で開かれたタイ人映画監督アピチャートポン・ウィーラセータクンの個展を見て衝撃を受けたのを機にアピチャートポン研究を始めた。

中村の訪れた個展では美術館やギャラリー展示するインスタレーションが中心で、アピチャートポンがタイの映画史上で初めてカンヌ映画祭パルム・ドール(最高賞)受賞した監督(2010年ブンミおじさんの森』)にもかかわらず、「映画は、アピチャッポンを構成する一要素に過ぎ」なかったことに気付く。

そして「東北タイという凄惨な歴史が埋れる土地で、彼は映画だけでなくインスタレーションやMVや写真まで制作することで、はじめて複雑かつ広大なネットワークをつくりあげた」アピチャートポンの「異次元の複雑さ」に惹きつけられ、「ひとりの作家に焦点をあてることを決意した」[3]。以後、日本で唯一のアピチャートポン映像の研究者となった。2016年にはアピチャートポンに取材インタビューも行っている(「美術手帖web」に掲載[4])。

そのほか映像研究では、立命館時代の2012年インターンシップの一環で山田洋次監督の映画『東京家族』の撮影に参加。神戸大大学院では人気女性アイドルグループ乃木坂46」の映像制作や美術誌「美術手帖」で映画論評に携わったりしている。

なお、2019年神戸市役所の設けた市職員採用「デザイン・クリエイティブ枠」を知り、「培った創造力を魅力的な街づくりに貢献できる」と考えて応募。競争率13倍超の難関だったが1期生として採用され、2020年令和2年)4月から神戸市役所職員として勤務[5]している。アピチャートポン研究は、市の了承の範囲で続けていく予定。

著書

共著

  • 『アピチャッポン・ウィーラセタクン:光と記憶のアーティスト』(フィルム・アート社、2016年)
  • 『小津安二郎 大全』(朝日新聞出版、2019年)
  • 『躍動する東南アジア映画~多文化・越境・連帯~(論創社、2019年)

雑誌

  • 美術手帖』(2017年5月号はじめ「美術手帖web」[4]など)
  • 『エクリヲ』(vol.9、2018年)

評論

  • 中村紀彦「彷徨う魂/キャメラ : アピチャッポン・ウィーラセタクン『世紀の光』におけるトラッキング・ショットとロング・テイクの相互作用を中心に」『美学芸術学論集』第12巻、神戸大学文学部芸術学研究室、2016年3月、88-103頁、doi:10.24546/81009443hdl:20.500.14094/81009443ISSN 18801943 

脚注

関連項目

外部リンク