アピチャートポン・ウィーラセータクン
アピチャートポン・ウィーラセータクン อภิชาติพงศ์ วีระเศรษฐกุล | |||||||||||
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![]() 2010年撮影 | |||||||||||
生年月日 | 1970年7月16日(48歳) | ||||||||||
出生地 | バンコク | ||||||||||
国籍 |
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職業 |
映画監督 脚本家 映画プロデューサー | ||||||||||
活動期間 | 1993年 - 現在 | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
『世紀の光』 『ブンミおじさんの森』 | |||||||||||
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アピチャートポン・ウィーラセータクン(อภิชาติพงศ์ วีระเศรษฐกุล, Apichatpong Weerasethakul, 1970年7月16日 - )は、タイの映画監督・映画プロデューサー・脚本家、美術家。チェンマイを拠点に映画やビデオ映像、写真を制作する。愛称は、ジョー (Joe)[1]。
経歴[編集]
1970年7月16日、タイのバンコクに生まれる。両親は医者で、コーンケン県の病院で働いていた[2]。1993年に短編映画『Bullet(原題)』で監督デビュー。
1994年、コーンケン大学で建築学士号を取得、1997年、留学先のシカゴ美術館附属美術大学で美術・映画製作の修士号を取得。
1999年、映画製作会社キック・ザ・マシーンを設立。2000年、初の長編映画『真昼の不思議な物体』を発表。
2002年、『ブリスフリー・ユアーズ』が第55回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品され、同部門のグランプリを受賞した。 また、第3回東京フィルメックスでも最優秀作品賞を受賞している。
2004年、『トロピカル・マラディ』が第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、審査員を受賞。第5回東京フィルメックスで2作連続となる最優秀作品賞を受賞した。また、カイエ・デュ・シネマの2004年の映画トップ10の第1位に選出されている。
2006年、『世紀の光』が第63回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品された。
2010年、『ブンミおじさんの森』が第63回カンヌ国際映画祭でタイ映画史上初めてとなるパルム・ドールを受賞。審査員長のティム・バートンは「我々は映画にサプライズを求めている。この映画はそのサプライズを多くの人々にもたらした」と語った。(のち、アレクシス・ヴェレル監督のドキュメンタリー映画『カンヌ 伝説が生まれる街』に出演した際、パルム・ドール受賞後にタイに帰国した際、タイ国内で非難の声が多かったと、語った)
2011年、母校のシカゴ美術館附属美術大学より名誉博士号を授与。
2012年、『メコン・ホテル』が初の英語で製作された作品となった。第65回カンヌ国際映画祭のスペシャル・スクリーニングで上映され、第13回東京フィルメックスでも特別招待作品として上映された。
2013年、第24回福岡アジア文化賞芸術・文化賞を受賞[3]。
主な監督作品[編集]
- 真昼の不思議な物体 ดอกฟ้าในมือมาร/Mysterious Object at Noon (2000年)
- ブリスフリー・ユアーズ สุดเสน่หา /Blissfully Yours (2002年)
- アイアン・プッシーの大冒険 หัวใจทรนง/The Adventure of Iron Pussy (2003年)*共同監督マイケル・シャオワナーサイ
- トロピカル・マラディ สัตว์ประหลาด/Tropical Malady (2004年)
- 世紀の光 แสงศตวรรษ/Syndromes and a Century (2006年、日本公開は2016年[4])
- ブンミおじさんの森 ลุงบุญมีระลึกชาติ/Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives (2010年)
- メコンホテル Mekong Hotel (2012年)
- 光りの墓 รักที่ขอนแก่น Rak Ti Khon Kaen/Cemetery of Splendour(2015年、日本公開は2016年[4])
和名問題[編集]
アピチャートポン・ウィーラセータクンについては、日本語のカタカナ表記が乱立した。美術作品のエージェントであるトモ・スズキ・ジャパン(東京)によると、2007年に来日した際、本人の同意を得て「アピチャッポン・ウィーラセタクン」で統一作業を行っていると主張している。しかし、日本人の名前と同様、タイ人の名前は意味ある語彙の集合によって形成されるため、アピチャート(อภิชาติ「高貴な血筋」)、ポン(พงศ์「子孫」)とすでに確立された日本語表記がある[5]。また、「アピチャッポン・ウィーラセタクン」では短母音と長母音の表記が混同されて使用されており、表記上の不備が多い。そのため、国際交流基金、東京外国語大学等では、「アピチャートポン・ウィーラセータクン」の名称が使用されている[6]。ただ、国際交流基金は、2009年に開催した上映会「国際交流基金アジア映画ベストセレクション」以降、展覧会の後援も含め、アピチャッポン・ウィーラセタクンと表記している。
脚注[編集]
- ^ [1] -IMDb > Biography for Apichatpong Weerasethakul
- ^ Rithdee, Kong (July 28, 2006). Everything is illuminated, Bangkok Post (retrieved July 28, 2006).
- ^ http://fukuoka-prize.org/laureate/prize/cul/apichatpong.php
- ^ a b “眠り病にかかる兵士たち…『ブンミおじさんの森』監督新作、2016年日本公開決定!”. シネマトゥデイ (2015年11月18日). 2015年11月18日閲覧。
- ^ 富田竹次郎「タイ日大辞典」東京:日本タイクラブ・メコン、1997年
- ^ http://www.jpf.go.jp/j/culture/media/domestic/movie/kantoku10.html
関連文献[編集]
- 夏目深雪、金子遊編『アピチャッポン・ウィーラセタクン:光と記憶のアーティスト』、フィルムアート社、2016年。ISBN 978-4-8459-1617-7
- 東京都写真美術館編『アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち』、河出書房新社、2016年。ISBN 978-4-309-27795-0
- 中村紀彦「遮られる運動、遮る静止:アピチャッポン・ウィーラセタクンの諸作品における静止画面をめぐって (PDF) 」、『美学芸術学論集第11号』、神戸大学人文学部芸術学研究室、2015年、76-87頁。
- 中村紀彦「彷徨う魂/キャメラ:アピチャッポン・ウィーラセタクン『世紀の光』におけるトラッキング・ショットとロング・テイクの相互作用を中心に (PDF) 」、『美学芸術学論集第12号』、神戸大学人文学部芸術学研究室、2016年、88-103頁。
- アピチャッポン・ウィーラセタクン、空族・富田克也「自由に開かれた〈プラットフォーム〉な映画を作りたい」、nobody、2011年公開。
- アピチャッポン・ウィーラセタクン「感覚そのものをとらえる。アピチャッポン・ウィーラセタクン インタビュー」文:中村紀彦、通訳:樅山智子、美術手帖web、2017年7月28日公開。
- 『ブンミおじさんの森』アピチャッポン・ウィーラセタクン監督インタビュー - CINRA.NET2011年3月4日掲載
- PUBLIC-IMAGE.ORG インタビュー(2011年3月12日時点のアーカイブ)