角田正紀
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角田 正紀 | |
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生年月日 | 1949年12月9日(74歳) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 一橋大学法学部 |
任期 | 2011年2月9日[1] - |
前任者 | 設樂隆一[2] |
後任者 | 青柳勤(2012年10月27日 - )[3] |
任期 | 2012年10月27日[1] - 2014年12月9日(定年退官)[1] |
補足 |
角田 正紀(つのだ まさのり、1949年12月9日 - )は、日本の裁判官・検察官。法務省刑事局付検事[1]や司法研修所教官兼司法試験考査委員[4]・東京高等裁判所部総括判事などを歴任した[1]。瑞宝重光章受章。
人物・経歴
一橋大学法学部卒業。第31期[1]司法修習生として司法修習修了後、名古屋地方裁判所判事補、新潟地方裁判所長岡支部判事補、東京地方裁判所判事補、東京地方検察庁検事兼法務省刑事局付、京都地方裁判所判事、司法研修所教官兼法務省司法試験考査委員、東京高等裁判所判事、大阪地方裁判所部総括判事、東京地方裁判所部総括判事を経て、2011年新潟地方裁判所長。2012年東京高等裁判所部総括判事。2013年からは小川正持の異動に伴い法務省法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会委員も務めた[4]。2014年12月9日に[1]定年退官後、日本大学大学院法務研究科教授[5]。2017年には衆議院法務委員会参考人として、司法修習生の修習給付金制度創設のための裁判所法改正案への賛成意見を述べた[6]。検察審査会情報公開・個人情報保護審査委員会委員長なども務めた[7]。2021年瑞宝重光章受章[8]。
担当した裁判
- JT女性社員逆恨み殺人事件(1997年に発生) - 東京高裁第3刑事部(裁判長:仁田陸郎 / 陪席裁判官:下山保男)の陪席裁判官として、2000年(平成12年)2月28日に被告人の男(殺人前科あり)に死刑判決(第一審・東京地裁の無期懲役判決を破棄自判)を言い渡した[9]。同事件は2004年に死刑が確定し、2008年に死刑を執行された。
- 平野母子殺害事件(2002年に発生) - 2005年8月3日、大阪地裁の裁判長としてDNA型鑑定の結果などから被告人の刑務官に無期懲役判決(求刑:死刑)を言い渡した[10]。同事件はその後、控訴審で死刑が言い渡されたが最高裁で破棄差し戻しの判決が言い渡され、差し戻し後の一・二審で無罪判決を言い渡され確定した[11]。
- クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件 - 即日結審により控訴を棄却し、無罪判決が確定した[12]。
著書
脚注
出典
- ^ a b c d e f g h i “裁判官情報 角田正紀”. 新日本法規WEBサイト. 新日本法規出版. 2020年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月5日閲覧。
- ^ “裁判官情報 設樂隆一”. 新日本法規WEBサイト. 新日本法規出版. 2020年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月5日閲覧。
- ^ “裁判官情報 石井宏治”. 新日本法規WEBサイト. 新日本法規出版. 2020年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月5日閲覧。
- ^ a b “法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会第20回会議 議事録” (PDF). 法務省 (2013年6月14日). 2020年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月5日閲覧。
- ^ 「教授インタビュー」スタディサプリ
- ^ 「法曹めざす若者を応援」公明新聞-2017/03/24
- ^ 検察審査会情報公開・個人情報保護審査委員会(第1回)議事概要
- ^ 秋の叙勲受章者毎日新聞 2021/11/3 東京朝刊
- ^ 東京高等裁判所第3刑事部判決 2000年(平成12年)2月28日 『高等裁判所刑事裁判速報集』(平12)号73頁、『判例タイムズ』第1027号(2000年6月15日号)284頁、『判例時報』第1705号173頁、『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28055166、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28055166、平成11年(う)第1202号、『殺人、窃盗被告事件』。
- ^ 大阪の母子放火殺人、刑務官に無期判決 読売新聞2005年8月3日
- ^ 「【平野母子殺害】被告の無罪確定へ 大阪高検が上告断念」『産経新聞』産業経済新聞社、2017年3月15日。オリジナルの2020年6月5日時点におけるアーカイブ。2020年6月5日閲覧。
- ^ クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件 国賠訴訟は請求却下TAXニュース
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