李国文
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李 国文 | |
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誕生 |
1930年8月24日 中華民国 上海市 |
死没 |
2022年11月24日 (92歳没) 中華人民共和国 北京市 |
職業 | 小説家 |
言語 | 中国語 |
国籍 | 中華人民共和国 |
教育 |
南京国立戯劇専科学校 華北人民革命大学 |
活動期間 | 1976年 - 2022年 |
ジャンル | 小説 |
代表作 | 『冬天裏的春天』 |
主な受賞歴 | 茅盾文学賞(1982年) |
ウィキポータル 文学 |
李 国文 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 李國文 |
簡体字: | 李国文 |
拼音: | Lí Guówén |
英語名: | Li Guowen |
李 国文(り こくぶん、1930年8月24日 - 2022年11月24日)は、中華人民共和国の小説家[1]。代表作に小説『冬天裏的春天』。中国共産党党員。第四回中国作家協会理事。
略歴
[編集]1930年、上海市に生まれた。
1947年、南京国立戯劇専科学校理論編劇専業に入学した。
1949年、北京に転居、華北人民革命大学(現在の中国人民大学)で造詣を深め。
1950年-1953年、天津鉄路文工団、中国人民志願軍某部文工団創作組組長を歴任する。
1954年、中国鉄路総工会の宣伝部担当文芸編輯となった。
1957年7月、短篇小説『改選』は『人民文学』掲載された。「右派分子」として徹底的な非難にさらされる。後、鉄路工地に下放され労働に従事[2]。
1976年10月、四人組失脚後、短篇小説『車到分水嶺』『空谷幽蘭』等を発表。
1978年、中国鉄路文工団の創作員。1980年3月、『月食』が第三回全国優秀短篇小説賞を受賞。
1981年、長篇小説『冬天裏的春天』を発表。1982年に同作品で中国文学の最高権威茅盾文学賞を受賞している。
1982年、中国作家協会に入会。
1983年、中国共産党に入党。
1984年、『危楼紀事』が第四回全国優秀短篇小説賞を受賞。
1986年-1989年、中国作家協会の『小説選刊』担当主編となった。
2022年11月24日、北京市で病気のため死去した[3]。92歳。
作品
[編集]長篇小説
[編集]- 『冬天裏的春天』
散文集
[編集]- 『罵人的芸術』
- 『淡之美』
- 『大雅村言』
- 『楼外談紅』
- 『中国文人的非正常死亡』
- 『中国文人的活法』
- 『唐朝的天空』
受賞
[編集]『大雅村言』、第二回魯迅文学賞。
1980年、『月食』、第三回全国優秀短篇小説賞。
1982年、長篇小説『冬天裏的春天』、第一回茅盾文学賞。
1984年、『危楼紀事』、第四回全国優秀短篇小説賞。
脚注
[編集]- ^ “李国文:我為何早就不写小説” (中国語). 騰訊網. (2016年2月27日)
- ^ “李国文:我与茅盾文学奨” (中国語). 新華網. (2016年1月22日)
- ^ 鍾煜豪 (2022年11月25日). “当代著名作家李国文逝世、曽獲得首屆茅盾文学奨” (中国語). 澎湃新聞 2022年11月25日閲覧。