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寿岳しづ

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寿岳 しづ(じゅがく しづ、1901年10月13日 - 1981年6月27日)は、日本英文学者随筆家

経歴

大阪市生まれ。旧本名・岩橋 静子梅田高等女学校中退。

日本ライトハウスの創始者で愛育事業を行った岩橋武夫の妹。兄武夫が早稲田大学在学中に失明し関西学院に転じたため、兄の杖がわりとなって一緒に通学、ノートをとるなどして助けた。 英文学者・寿岳文章と結婚[1]1927年に小説『朝』を発表した後、1933年に居を京都府向日市に移した[2]1937年ウィリアム・ハドソンの『はるかな国とほい昔』を翻訳するなど、文筆活動に活躍。

文章とともに和紙の研究を行い、1943年、共著『紙漉村旅日記』を私家版で刊行。戦後は平和・女性運動に携わり、市川房枝の婦人運動に参加、京都の「憲法を守る婦人の会」代表幹事、「明るい民主府政を進める婦人の会」代表委員を務めた。国語学者社会運動家寿岳章子は長女[3]天文学者寿岳潤は長男。

著作

  • 朝 岩波書店, 1927
  • 歳月を美しく 靖文社, 1947
  • 荒野に歌ふ 西村書店, 1948

文章との共著

  • 向日版だより 私家版, 1943
  • 紙漉村旅日記 私家版, 1943 のち講談社文芸文庫
  • 紙漉村旅日記 明治書房, 1944
  • 樫と菩提樹 白凰社, 1966
  • 寿岳文章・しづ著作集 全6巻 春秋社, 1970

翻訳

  • はるかな国・とほい昔 ハドスン 岩波文庫, 1937
  • わが心の記 ヂェフリーズ 岩波文庫, 1939
  • 四人の少女 第1部 オールコット 岩波文庫, 1949
  • 四人の少女 第2部 オールコット 岩波文庫, 1952
  • 世界の名作図書館 博物学者の本 ハドソン 講談社, 1966

脚注

  1. ^ 寿岳しづ『出身県別 現代人物事典 西日本版』p904 サン・データ・システム 1980年
  2. ^ 向日で築いた「知の世界」 市資料館で寿岳文章回顧展 日記やバイニング夫人書簡 /京都”. 毎日新聞 (2021年3月8日). 2022年7月9日閲覧。
  3. ^ 故寿岳章子さんを語る”. 新聞あかはた (2005年). 2022年7月9日閲覧。