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フェリーなみのうえ

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フェリーなみのうえ
鹿児島港に接岸中の「フェリーなみのうえ」
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 船舶整備公団[1]/運輸施設整備事業団/鉄道建設・運輸施設整備支援機構
大島運輸/マルエーフェリー[1]
運用者 大島運輸/マルエーフェリー
建造所 林兼船渠(1006番船)
航行区域 近海(非国際)[1]
船級 JG[1]
信号符字 JM6328
IMO番号 9105205
経歴
起工 1994年1月17日[1]
進水 1994年4月13日[1]
竣工 1994年6月21日[1]
就航 1994年6月
引退 2012年10月2日
清海鎮海運にほぼ鉄屑として売却
最後 セウォル号沈没事故で沈没
要目
総トン数 5,997 トン[1]
載貨重量 3,891 トン[1]
全長 145.6 m[1]
垂線間長 132.0 m[1]
型幅 22.0 m[1]
型深さ 14.0/7.7m[1]
満載喫水 6.3 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 DU-SEMT Pielstick 12PC2-6V×2[1]
最大出力 18,000 PS[1]
定格出力 16,200 PS[1]
最大速力 23.8ノット[1]
航海速力 21.5ノット[1]
旅客定員 804名[1]
乗組員 36名[1]
積載能力 コンテナ304個[1]
車両搭載数 トラック60台、乗用車90台[1]
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フェリーなみのうえマルエーフェリーが運航していたフェリー

概要

波之上丸 (3代)の代船として林兼船渠で建造され、1994年6月に就航。初代波之上丸から通算して4代目にあたる。後継船のフェリー波之上の就航により、2012年10月2日に引退した。

その後、スクラップ同然として8億円程度で韓国清海鎮海運に売却[2]、客室増設等の無理な改造をされて「SEWOL(セウォル、세월)号」として仁川 - 済州島航路に就航。2014年4月16日、観梅島沖で転覆・沈没し、乗員乗客犠牲者299人および行方不明者5人の大惨事となった。

航路

鹿児島航路

就航当初はフェリーあけぼの (初代)、2003年2月以降はフェリーあかつき、2008年7月以降はフェリーあけぼの (2代)と2隻で2日に1便を運航していた。

設計

右舷船首部と両舷船尾にランプウェイを装備しており、トラック、乗用車などをロールオン・ロールオフ方式で車両甲板に搭載するほか、船首甲板がコンテナスペースとなっており、コンテナをデリックによるリフトオン・リフトオフ方式で搭載する。

船内

船室

  • 1等
  • 2等

設備

パブリックスペース

  • 案内所
  • エントランス

供食・物販設備

  • レストラン
  • 売店

入浴設備

  • 浴室

娯楽設備

  • ゲームコーナー

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 新造船写真集 カーフェリー フェリーなみのうえ FERRY NAMINOUE 船舶整備公団・大島運輸株式会社 - 船の科学1994年12月号
  2. ^ (세월호 침몰 참사)日서 ‘고철값 +α’에 인수한 배(セウォル号惨事 日本でスクラップ+αで買った船) ソウル新聞 2014年4月21日付

外部リンク