恵須取町
えすとるちょう 恵須取町 | |
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廃止日 | 1949年6月1日 |
廃止理由 |
国家行政組織法施行 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 樺太地方 |
都道府県 | 樺太庁 恵須取支庁 |
面積 | 366 km2. |
総人口 |
39,026人 (1941年12月1日) |
隣接自治体 |
恵須取郡塔路町、鵜城村 名好郡名好町 元泊郡知取町 敷香郡泊岸村 |
恵須取町役場 | |
所在地 |
樺太庁恵須取郡恵須取町 |
座標 | 北緯49度04分47秒 東経142度04分16秒 / 北緯49.0797度 東経142.0711度座標: 北緯49度04分47秒 東経142度04分16秒 / 北緯49.0797度 東経142.0711度 |
特記事項 | 1943年4月1日以降は北海地方に所属。 |
ウィキプロジェクト |
恵須取町(えすとるちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。
恵須取という地名は、アイヌ語の「エストル」(岬が長く伸び出ている所)、「エツウトル」(岬の中間)、「エシトリ」(湾の外れにあり、本当に人間の居る所)による[1]。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照のこと。現在はロシア連邦がサハリン州ウグレゴルスクなどとして実効支配している(行政区分は一致しない)。
概要
間宮海峡に面する恵須取川河口に位置する。恵須取支庁が設置され、真岡町と並ぶ樺太西海岸の中心的都市であった。王子製紙(元樺太工業)の製紙工場と炭鉱の町として急速に発展し、1945年(昭和20年)10月1日には市制が施行される予定であったが、ソ連による占領のため実現しなかった。1941年(昭和12年)末の人口は39026人で、樺太最大の人口をもつ市町村であった。市街地は港湾を中心とする浜市街と鉱山を中心とする山市街に分かれていた。
戦前の建造物はソビエト連邦時代に改築が進み、ほとんど残っていない。現在も残存している物には、旧王子製紙工場や旧恵須取小学校の奉安殿や旧恵須取神社の鳥居や標柱等がある。
以前NHKラジオ第2放送の気象通報では敷香(ポロナイスク)から入電がないときは恵須取からの気象情報を放送していたが「ウグレゴルスク」ではなく「エストル」としていた。近郊(塔路)に日本軍によって建設されたウグレゴルスク空港がある。
歴史
- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により恵須取村が行政区画として発足。名好郡に所属し、泊居支庁名好出張所が管轄。
- 1922年(大正10年)10月 - 鵜城支庁の管轄となる。
- 1923年(大正12年)12月 - 鵜城支庁が廃止され、泊居支庁の出張所となる。
- 時期不明 - 恵須取村が恵須取町となる。
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により一級町村となる。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 一部の区域より塔路町が分立。
- 1940年(昭和15年)1月 - 管轄支庁が恵須取支庁に変更。
- 1942年(昭和17年)11月 - 所属郡が恵須取郡に変更。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日恵須取町廃止。
町内の地名
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交通
鉄道路線
軽便鉄道である王子恵須取軌道を除いて鉄道は敷かれておらず、省線樺太東線内路駅より省線省営自動車内恵線(107.3km)のバスで結ばれていた。なお、樺太西線を久春内村から珍内町を経て恵須取まで延伸する計画が存在しており、実際に建設中であったが、ソ連による占領のため、完成に至らなかった。
地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[3]。
国民学校
- 樺太公立天内第一国民学校
- 樺太公立天内第二国民学校
- 樺太公立恵須取第一国民学校
- 樺太公立恵須取第二国民学校
- 樺太公立恵須取第三国民学校
- 樺太公立神多国民学校
- 樺太公立上恵須取国民学校
- 樺太公立布礼国民学校
- 樺太公立上布礼国民学校
- 樺太公立白樺国民学校
- 樺太公立清里国民学校
- 樺太公立翠樹国民学校
- 樺太公立長島国民学校
- 樺太公立胡桃沢国民学校
- 樺太公立武道国民学校
- 樺太公立大平第一国民学校
- 樺太公立大平第二国民学校
中等学校
- 樺太庁恵須取中学校
- 樺太公立恵須取高等女学校
- 樺太公立恵須取工業学校
著名な出身者
脚注
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.370
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1688、p. 1692 - 93