コンテンツにスキップ

茂木賢三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。SeitenBot (会話 | 投稿記録) による 2021年3月17日 (水) 16:54個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Botによる: {{Normdaten}}を追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

茂木 賢三郎/第十三代茂木 七左衞門(もぎ けんざぶろう/もぎ しちざえもん、1938年1月18日 - )は、日本の実業家。独立行政法人日本芸術文化振興会理事長。1973年にハーバード大学MBAを取得し、のちにハーバード・ビジネス・スクール日本同窓会会長も務めた[1]。日本芸術文化振興会の理事長就任を機に、名前を七左衞門(しちざえもん)に改めた。茂木啓三郎は父、茂木友三郎は実兄。妻は東ソー創業者岩瀬徳三郎の孫。

人物

1938年千葉県出身。1960年3月一橋大学経済学部卒業。大学時代は中山伊知郎ゼミナール柔道部に所属[2]。1960年4月東京銀行に入行。

キッコーマンが、野田醤油として設立されて以来、茂木家からは各家一世代に一人しか入社できないという不文律があったところ、既に兄の茂木友三郎が入社していたため、賢三郎は入社できないこととなっていたが、後に一族の本家である茂木本家茂木潤一郎(第十二代七左衛門)の養子となったことから、入社が可能となり、1962年東京銀行を退社し、キッコーマンに入社した[3][4]

1973年にハーバード大学経営大学院を修了し、MBAを取得。茂木のキッコーマンについてあつかった卒業論文がきっかけとなり、1974年には日本の会社としてはじめてハーバード・ビジネス・スクールでキッコーマンがケースとして取り上げられたほか、アグリビジネス・エグゼキュティブ・セミナーでも教材として用いられた。1984年には改訂版が作られ、その際には茂木もコメンテーターとして授業に参加した[5]。このハーバード・ビジネス・スクールへの留学経験については、のちに、学習内容は英語力を別にすれば会社の中でも身につけられるものだが、それを2年間で身につけることができる点に時間的な効率があると述べている[6]。同時期にハーバード大学に留学し既婚者用のアパートに居住していた大来洋一(元経済企画審議官)、中谷巌(経済学者、一橋大学名誉教授)、伊佐山建志(元特許庁長官)と知り合い、帰国後も4組の夫婦で年1回ゴルフをやる仲となった[7]

キッコーマンでは開発事業部長等を務め、のちにキッコーマン事業開発社長として、スイミングスクール事業や米国でのフィットネスクラブ事業を展開した[8]。キッコーマン代表取締役副社長等を経て、2009年に独立行政法人日本芸術文化振興会理事長就任。

また少子化問題に関心があり、子育ては授乳など三歳までのスキンシップが重要という持論を持ち、2005年から日本経済団体連合会の少子化対策委員会で初代の委員長を務めた。キッコーマンでは育児短時間勤務制度等を設け、女性社員の定着率向上を実現させた[9]

略歴

脚注

  1. ^ 日経産業新聞1996/10/28
  2. ^ 日本経済新聞1985/04/18
  3. ^ 日経流通新聞1995/12/21
  4. ^ [1]HQ
  5. ^ 日本経済新聞1985/03/11
  6. ^ 日本経済新聞1989/01/06
  7. ^ 「マスオ会の宴――経済企画庁審議官大来洋一氏(交遊抄)」1996/12/09日本経済新聞
  8. ^ 日本経済新聞1991/05/02
  9. ^ 日本経済新聞2005/12/18
  10. ^ 委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
先代
津田和明
日本芸術文化振興会理事長
2009年 - 2018年
次代
河村潤子