8.5水害

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8.5水害
発災日時 1986年8月5日
被災地域 日本の旗 東海関東甲信東北
災害の気象要因 集中豪雨
気象記録
最多雨量 茨城県北茨城市花園で424 mm
人的被害
死者
19人
行方不明者
1人
負傷者
107人
建物等被害
全壊
130棟
半壊
357棟
一部損壊
1,043棟
床上浸水
31,504棟
床下浸水
76,635棟
非住家被害
15,290棟
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8.5水害(はちてんごすいがい)は、1986年8月4日から5日までにかけて、東海関東甲信東北で発生した水害である。

概要[編集]

台風10号から変化した温帯低気圧が、南方洋上から日本に接近し、その後三陸沖での停滞を経て、本州の東方洋上で消滅した。 この低気圧は、東海関東甲信東北の広い地域に大雨を降らせ、16都県で死者・行方不明者・負傷者127人、住家・非住家合わせて124,959棟に被害を及ぼした。

被害[編集]

宮城県[編集]

阿武隈川名取川鳴瀬川などで破堤、溢水箇所多数。仙台市岩沼市名取市柴田町鹿島台町など一帯が冠水した[1]

福島県[編集]

中通り浜通りで200mmから300mmの総降雨量を観測する豪雨となった。このため阿武隈川やその支流が氾濫し、福島市をはじめとした阿武隈川沿いの市町村が被害を被った。これにより11名の死傷者を出し、14,000棟が被害を受けた。

福島地方気象台福島市)と小名浜測候所いわき市)で観測された24時間の降水量で、観測史上記録を更新した。

福島市では、阿武隈川と荒川合流地点付近の南町で、堤防の決壊による浸水被害が大きく、1階が完全に水没するほどであった。福島市内北部の飯坂温泉でも、温泉街の中心を流れる摺上川が氾濫したため旅館が浸水し、夏休みの観光シーズンに大打撃をこうむった。

中通り北部の伊達郡梁川町(現:伊達市梁川地域)や宮城県角田市伊具郡丸森町でも河川の増水や浸水などの被害が出た。中通り中部の郡山市では中央工業団地が浸水し、精密電子工業の工場が浸水、その他の工場でも被害が現れこの工業団地だけで300億円の被害が出た。その他の分野も合わせると全体で1,085億円あまりの被害だった。

福島県内での死者は、安達郡岩代町(現:二本松市)で1名、郡山市で2名の合計3名に及んだ。

栃木県[編集]

栃木県内各地において中小河川で溢水、氾濫が多数発生。茂木町では逆川が8月5日未明に溢水、氾濫。市街部の大半が1.5mを越える濁流にのまれた。町内の死者6人[2]

行政[編集]

福島県[編集]

1986年8月8日から同年9月8日にかけて、福島県は災害対策本部を設置した。

福島市伊達郡梁川町(現:伊達市梁川地域)、安達郡本宮町(現:本宮市)が8月5日に。郡山市、いわき市8月6日に。須賀川市相馬市8月7日に、それぞれ災害救助法の適用を受けた。9月30日には政府から激甚災害の適用を受けた。

荒川摺上川の氾濫を受け、旧建設省は治水対策を迫られ、かねてから計画の進んでいた摺上川ダムの建設を後押しさせた。

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 宮城水害記録集” (PDF). 宮城県 (2013年12月2日). 2019年10月13日閲覧。
  2. ^ 1986年 台風10号” (PDF). 内閣府防災情報のページ. 2019年10月13日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]