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鼻顔稲荷神社

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鼻顔稲荷神社

境内
所在地 長野県佐久市大字岩村田字鼻顔4261[1]
位置 北緯36度16分18.38秒 東経138度29分14.84秒 / 北緯36.2717722度 東経138.4874556度 / 36.2717722; 138.4874556 (鼻顔稲荷神社)座標: 北緯36度16分18.38秒 東経138度29分14.84秒 / 北緯36.2717722度 東経138.4874556度 / 36.2717722; 138.4874556 (鼻顔稲荷神社)
主祭神 宇迦之御魂命[2]
社格 無格社[3][4]
創建 永禄年間[2]
例祭 #祭事参照
地図
鼻顔稲荷神社の位置(長野県内)
鼻顔稲荷神社
鼻顔稲荷神社
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鼻顔稲荷神社(はなづらいなりじんじゃ)は、長野県佐久市岩村田にある神社[1]佐久地域を代表する稲荷神社である[5]

まれに日本三大稲荷の一つとされることがあるが[6][7]、一般的には日本五大稲荷の一つに数えられる[2][7][8]旧社格無格社[3]

祭神

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祭神宇迦之御魂命(ウカノミタマ)[2]猿田彦命(サルタヒコ)、大宮能売大神(オオミヤノメ)[8]京都伏見稲荷大社からの分霊をまつる。天下泰平、五穀豊穣・家内安全・商売繁盛・交通安全・進学成就といった神徳がある[2]

伏見稲荷大社・豊川稲荷愛知県豊川市)・祐徳稲荷神社佐賀県鹿島市)・笠間稲荷神社茨城県笠間市)とともに日本五大稲荷のひとつに数えられる(諸説あり)[8]

歴史

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鼻顔稲荷神社より望む岩村田の町並み。

稲荷町・花園町は当社の鳥居前町として発展してきた町である[9]

永禄年間(室町時代後期、戦国時代)の創建[2]。社名の「鼻顔」は所在地名から採られたもの。ただし、川向こうに見える「飯綱下」という地名から、本来の社名は「飯綱稲荷」であったという説もある[4]

「天下の名稲荷」とうたわれ信仰は篤く、信仰組織(稲荷)は佐久に留まらず、上田地域上野国群馬県)・武蔵国埼玉県)といった関東方面まで広がっていた。特に、初午・二の午(年によっては三の午も)・小満は多くの参拝客で賑わった[10]

このほか、当社には「おこもり」(お籠り)という風習が江戸時代から明治の初め頃まで存在した。主に女性が遠方から参拝に訪れており、風紀上の懸念から役所が禁止令を出したとも伝わる[10]

境内

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湯川対岸より社殿を見上げる

社殿は懸崖造り。湯川に臨む断崖塗りの柱を下ろし、社殿を支えている[2]

境内にはケヤキの木とアカマツの木が双生した「相生の樹」があり、縁結びの名所として知られる[11]。春は川面に映るが美しい[12]

祭事

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交通アクセス

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公共交通機関[13]
JR小海線岩村田駅から徒歩15間。
自家用自動車
上信越自動車道佐久インターチェンジから5キロメートル自動車で10分間。普通車5台が駐車可能な駐車場がある[13](近隣の鼻顔公園にもあり[14])。

脚注

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  1. ^ a b 長野県神社庁 2018.
  2. ^ a b c d e f g h 佐久市 2015a.
  3. ^ a b c 『北佐久郡志』町村篇 89ページ
  4. ^ a b c 『佐久市志 民俗編 上』843ページ。
  5. ^ 『佐久市志 民俗編 上』858ページ。
  6. ^ 柳田 2016.
  7. ^ a b ニューメディアエンジニアリング 2018.
  8. ^ a b c d e f g h 佐久市 2018.
  9. ^ 福井一喜, 金延景, 上野李佳子, 兼子純長野県佐久市岩村田地区における商業空間の変容」『地域研究年報』第37号、筑波大学人文地理学・地誌学研究会、2015年2月、231-254頁、NAID 120005596165 
  10. ^ a b 『佐久市志 民俗編 上』288ページ。
  11. ^ 長野県観光機構 2018b.
  12. ^ 長野県観光機構 2018a.
  13. ^ a b 長野県観光機構 2018c.
  14. ^ 佐久市 2015b.

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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