鶴丸 (百貨店)

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株式会社鶴丸百貨店[1]
種類 株式会社[1]
本社所在地 日本の旗 日本
北海道苫小牧市錦町2丁目1-22[1]
設立 1952年(昭和27年)6月28日[2]
業種 小売業
事業内容 百貨店の運営[1]
代表者 中嶋誠次代表取締役社長(初代)[3]

中嶋博道代表取締役社長(2代目)[4][5]

阿部敏雄代表取締役社長(3代目)[4]

掛田正美代表取締役社長(4代目)[4]

佐々木正明代表取締役社長(5代目)[4]

小林正俊代表取締役社長[5][3]
資本金 500万円[5]
従業員数 258人[6]
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鶴丸百貨店
Tsurumaru
店舗概要
所在地 053-0023
北海道苫小牧市錦町2丁目1-22[1]
開業日 1952年(昭和27年)12月7日[7]
閉業日 2000年(平成12年)4月[9]
施設所有者 鶴丸百貨店[8]
延床面積 6,904 m²[10]
商業施設面積 4,926 m²[10]
前身 中島呉服店[4]
後身 ドーミーイン苫小牧[11](2008年(平成20年)6月4日開業[12]
最寄駅 苫小牧駅[8][13]
最寄バス停 道南バス「駅通十字街」停留所
最寄IC 道央自動車道苫小牧東IC
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鶴丸(つるまる)は、北海道苫小牧市にかつて存在した百貨店

歴史・概要[編集]

1921年(大正10年)に「中嶋呉服店」として創業したのが始まりであるとされる[4]

しかし、1951年(昭和26年)2月16日に「株式会社丸井中島」として法人化し、この鶴丸開店の為に中島誠次が独立した後も弟の中島義則が営業を続け[14]、1965年(昭和40年)10月に経営危機に陥った際には当社創業者の中嶋誠次が保証をして経営を再建している[15]

1952年(昭和27年)6月28日[2]中嶋誠次を初代社長として「鶴丸百貨店」を設立し[4]、苫小牧市で初めての大型店として[13]同年12月7日に材木店の木材置き場だった土地に2階建ての百貨店を開店した[7]

開業時の店舗は木造モルタル塗りで延床面積838m²の小規模なものであった[4]

当店の開店により、一条通商店街が形成され、苫小牧駅前通商店街と繋がることになったとされていた[6]

1962年(昭和37年)に第1期の増改築工事を行って3階建てになり、1968年(昭和43年)には第2期増改築工事を行って建物を4階建てに増築すると同時に鉄筋コンクリート化し、苫小牧市で初めてのエスカレーターを設置した[4]

1970年(昭和45年)の第3期増改築工事ではエスカレーター1基増設すると共にエレベーターも1基設置し、屋上ミニ遊園地プレイランドを開設した[4]。 この第3期増改築完了後には、当店は苫小牧駅前通・一条通・二条通の3つの通りに面する店舗となった[6]

1972年(昭和47年)には第4期の増改築工事を行って地下階を開設すると共に2階と3階も増床するなど規模拡大を進め[4]、苫小牧市内では最大の大型小売店舗となった[16]

そのため、最盛期には苫小牧市内だけでなく、登別市室蘭市からも買い物客を集め、苫小牧市の商店街の形成の中核を担った[8]

しかし、1973年(昭和48年)11月に長崎屋が当店の約2.5倍の売場面積で開業したのを皮切りに[16]、1977年(昭和52年)11月1日にダイエー苫小牧店[17]、1978年(昭和53年)6月6日にはイトーヨーカドー苫小牧店[18]と苫小牧駅周辺に相次いで域外からの大型店の進出が相次いだ[16]

苫小牧駅前へのこれらの大型店の出店が相次いだ時期に、当店もイトーヨーカドーと同じ駅裏地区に店舗を移転させる構想を立て、1976年(昭和51年)8月6日に売場面積約1万m2の店舗を1977年(昭和52年)6月に出店し、その後増築を行って売場面積19,240m2まで増床する計画を発表した[19]。 しかし、商店街の衰退を懸念した周辺の商業者などの反対などもあり、計画を断念している[3]

その結果、苫小牧市は北海道内でも最大の大型店激戦地と呼ばれるような状況となるなど[4]商業の勢力図は一変することになった[20]

立地する錦町商店街はその影響を受けて低迷し[20]、当店も売上が減少していくことになる[5]などこの移転断念は業績低迷を招くことになった[3]

さらに、当時の社長の中嶋博道が経営していた住宅会社が1981年(昭和56年)7月に倒産したため、同年8月23日に金融機関や取引先の信用を回復するために中嶋社長を解任し、苫小牧商工会議所の副会頭だった阿部敏雄に社長を交代した[19]

1982年(昭和57年)9月17日には西武百貨店と業務提携し、同社と北海道銀行から各々1名の常務取締役の派遣を受けて、経営体制を強化した[19]

その後、1984年(昭和59年)7月に北海道銀行から掛田正美が社長に就任した[19]

しかし、1995年(平成7年)9月に丸井今井苫小牧店が開店すると[21]、当店は苫小牧市内で唯一の百貨店でなくなって[3]経営危機に陥ることになった[22]

そのため、掛田正美が辞任して生え抜きの佐々木正明が後継の社長に就任して経営再建に乗り出し[19]、直営売り場を減らしてテナントの比率を拡大するなど営業体制を含めた見直しを進めることになった[23]

この経営危機の影響により、当店周辺で進められていた錦町地区の再開発構想も見直しを迫られることになった[24]

そして、2000年(平成12年)には4月に旧店舗を閉鎖して[9]同年6月8日に「ビッグジョイ」に核店舗として出店して移転・開業[25]。 旧店舗を売却し[3]、建物は解体されて駐車場となった[25]

だが、この新店舗での営業も低迷したことから閉店することになり、2002年(平成14年)10月31日に閉店して「鶴丸百貨店」としての歴史に終止符を打った[26]

ただし、閉店より前に当社の出身者が独立した際に当店の屋号を用いることを認めた「鶴丸商事」があったほか[5]、閉店直後の2002年(平成14年)11月30日には岡部洋服工業が支援して当社の従業員の一部が衣料品販売を行う「セラつるまる」を「ビッグジョイ」の1階に開業しており[27]、当店の屋号は一部継承される形となった[5]

なお、2代目店舗が核店舗として入居していた「ビッグジョイ」も2011年(平成23年)7月末で閉店となった[28]

沿革[編集]

前史[編集]

  • 1921年(大正10年) - 前身である中島呉服店 を創業[4]

本史[編集]

  • 1962年(昭和37年) - 第1期増改築(増築して3階建てに)[4]
  • 1968年(昭和43年) - 第2期増改築(鉄筋コンクリート化し、エスカレーター1基設置。増築して4階建てに)[4]
  • 1970年(昭和45年) - 第3期増改築(エスカレーター1基追加設置。エレベーター1基設置。屋上ミニ遊園地プレイランドをオープン)[4]
  • 1972年(昭和47年) - 第4期増改築(地下階を開設すると共に2階と3階も増床)[4]
  • 1981年(昭和56年)
    • 7月 - 社長の中嶋博道が経営していた住宅会社が倒産[19]
    • 8月23日 - 金融機関や取引先の信用を回復するため、阿部敏雄に社長を交代[19]
  • 1982年(昭和57年) - 西武百貨店と業務提携[5]
  • 1999年(平成11年)8月 - 移転検討を開始。翌年1月に正式決定。
  • 2000年(平成12年)4月 - 規模を大幅縮小し、旧錦町再開発商業ビル「トピア」(1986年開業。二度の閉店を経て、1994年より長期閉鎖)に移転[25]。旧店舗建物は解体[25]
  • 2000年(平成12年)6月8日 - 「ビッグジョイ」の核店舗として出店し、移転・開業[25]
  • 2002年(平成14年)10月31日 - 「鶴丸百貨店」が閉店[26]

後史[編集]

  • 2002年(平成14年)11月30日- 岡部洋服工業の支援で元従業員が「セラつるまる」を「ビッグジョイ」の1階に開業[27]
  • 2008年(平成20年)6月4日 - 解体された初代店舗の跡地に、ドーミーイン苫小牧が新築・開業[12]
  • 2011年(平成23年)7月末 - かつて2代目店舗が核店舗として入居していた商業施設「ビッグジョイ」が閉鎖[28]
    唯一、入居していたBJおかべ(前述の旧セラつるまると同じく、岡部洋服工業が経営)の閉店・撤退に合わせ、判断。

初代店舗[編集]

1952年(昭和27年)に開業した際には木造モルタル塗りで延床面積838m²の小規模なものであったが、4期に渡って増改築工事を行っており、最終的には鉄筋コンクリート造り地下1階・地上4階建てになった[4]

屋上ミニ遊園地プレイランドも併設していた[4]

2代目店舗へ移転のため2000年(平成12年)4月に閉店し[9]、同年8月7日から建物は解体された[4]

跡地の土地は「北海道空港」が所有して共立メンテナンスに貸与し[11]、同社が運営するドーミーイン苫小牧が2008年(平成20年)6月4日に開業した[12]

フロア概要
屋上 ミニ遊園地「プレイランド」[4]
4F ゲームセンター、 大食堂[要出典]
3F ギフト おもちゃ[要出典]
2F 婦人服 喫茶店[要出典]
1F インフォメーションカウンター アクセサリー[要出典]
B1F 軽食 喫茶 食堂[要出典]

2代目店舗[編集]

鶴丸百貨店(2代目)
BIG JOY
店舗概要
所在地 053-0023
北海道苫小牧市錦町1丁目5[29]
開業日 2000年(平成12年)6月8日[25]
閉業日 2002年(平成14年)10月31日[26]
施設所有者 北海道リーシングシステム株式会社[28]
施設管理者 北海道リーシングシステム株式会社[29]
延床面積 7,826 m²[9]
商業施設面積 3,483 m²[29]
営業時間 10:00―19:00[30]
前身 トピア[25][28]
最寄駅 苫小牧駅
最寄バス停 道南バス「駅通十字街」停留所
最寄IC 道央自動車道苫小牧東IC
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ビッグジョイ
BIG JOY
店舗概要
所在地 053-0023
北海道苫小牧市錦町1丁目5[29]
開業日 2000年(平成12年)6月8日[25]
閉業日 2011年(平成23年)7月末[28]
施設所有者 北海道リーシングシステム株式会社[28]

北海道空港株式会社[28]
施設管理者 北海道リーシングシステム株式会社[29]
延床面積 7,826 m²[9]
商業施設面積 3,762 m²[29]
中核店舗 鶴丸百貨店(3,483m²[29]
営業時間 10:00―19:00[30]
前身 トピア[25][28]
後身 未定
最寄駅 上記参照
最寄バス停 上記参照
最寄IC 上記参照
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2000年(平成12年)に6月8日に「ビッグジョイ」に[25]核店舗として出店して移転・開業した店舗であったが[30]、営業も低迷したことから2002年(平成14年)10月31日に閉店した[26]

当店は3階全フロアと1階と2階で営業し[30]、売り場面積3,762m²のうち大半の3,483m²を占めていた[29]

衣料品や靴、バッグなどのファッション関連のほか、寝具や家庭用品なども販売していた[31]

開業時には、当店以外に地下1階に食事兼居酒屋[30]、1階にカフェ兼バーやクリーニング[30]、木村屋第一商事の時計・宝飾店[29]、2階に[30]岡部洋服工業の洋服店などの店舗が入居した[29]

店舗以外には、4階に本間武男画伯コレクションの展示室[30]、5階に事務所など入居した[30]

なお、出店先の「ビッグジョイ」のビルは、苫小牧駅前への大型店進出の影響で衰退し始めたことに対処するために苫小牧市が1979年(昭和54年)に錦町地区市街地再開発事業基本計画を策定し、その計画に基づいて1980年(昭和55年)に苫小牧市と商業者が出資して第三セクター「苫小牧市錦町再開発」を設立し、1986年(昭和61年)に再開発ビル「トピア」として開業したものである[28]

しかし、経営不振で開業からわずか2年ほどで経営破たんして閉鎖され、売却された[28]

1989年(平成元年)に営業を再開したものの[28]、1994年(平成6年)2月に再び閉鎖された[30]

1999年(平成11年)に北海道リーシングシステムがセゾングループの北海道西洋から買収し[9]、約3.3億円を投じて改修を行って「ビッグジョイ」として再開したものであった[30]

当店閉店後も「ビッグジョイ」は存続したが、2011年(平成23年)7月末で閉店となった[28]。その後はしばらく空家状態となっていたが、2015年(平成27年)3月までに解体され更地化されることになった[32]

開催された催し・イベント[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 『北海道年鑑 昭和62年版』 北海道新聞社、1987年1月。
  2. ^ a b c 『苫小牧市史 下巻』 苫小牧市、1976年3月31日。pp145
  3. ^ a b c d e f “2002 この1年 地域の岐路 (15) 鶴丸百貨店閉店”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2002年12月30日). http://www.tomamin.co.jp/kikaku_/02/02konoiti/konoiti021230.htm 2015年11月3日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “鶴丸、店舗解体始まる”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2000年8月8日)
  5. ^ a b c d e f g “鶴丸百貨店、来月中めどに閉店へ”. 室蘭民報 (室蘭民報社). (2002年9月13日)
  6. ^ a b c 『苫小牧市史 下巻』 苫小牧市、1976年3月31日。pp116
  7. ^ a b c 『苫小牧市史 下巻』 苫小牧市、1976年3月31日。pp115
  8. ^ a b c “鶴丸百貨店の閉店セール始まる 創業50年、惜しむ市民ら列”. 室蘭民報 (室蘭民報社). (2002年9月16日)
  9. ^ a b c d e f “鶴丸百貨店、トピアビルに移転”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2000年1月12日)
  10. ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2000年版』 東洋経済新報社、2000年。
  11. ^ a b “鶴丸百貨店跡地から温泉”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2007年1月17日)
  12. ^ a b c “ドーミーイン苫小牧が開業 ビジネス客需要見込む”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年6月5日)
  13. ^ a b 平岡昭利 『北海道 地図で読む百年』 古今書院、2001年5月20日。ISBN 978-4772214193
  14. ^ 『繊維小売年鑑 1965年版』 繊維小売年鑑刊行会、1964年。pp659
  15. ^ 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp1760-1761
  16. ^ a b c 元島邦夫 庄司興吉 『地域開発と社会構造 苫小牧東部大規模工業開発をめぐって』 東京大学出版会、1980年3月。ISBN 978-4-13-056019-1
  17. ^ “ダイエー苫小牧店が28年の歴史に幕”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2005年11月30日)
  18. ^ “イトーヨーカドー苫小牧店閉店 最後の営業に列”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2010年1月11日)
  19. ^ a b c d e f g 『苫小牧市史 追補編』 苫小牧市、2001年3月25日。pp678-679
  20. ^ a b 永井秀夫 監修 『北海道の地名 日本歴史地名大系1』 平凡社、2003年10月。ISBN 978-4582490015
  21. ^ “丸井今井苫小牧店10月閉店 地元に衝撃”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2005年6月25日)
  22. ^ “鶴丸が経営危機 苫小牧の百貨店 掛田社長が辞任”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1996年4月20日)
  23. ^ “新社長に佐々木氏 苫小牧鶴丸百貨店 「テナント化推進」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1996年4月20日)
  24. ^ “鶴丸百貨店の経営危機表面化 錦町の再開発 見直し必至 「トピア」に続き地元衝撃”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1996年4月20日) 
  25. ^ a b c d e f g h i j 『苫小牧市史 追補編』 苫小牧市、2001年3月25日。pp615-616
  26. ^ a b c d “鶴丸百貨店 閉店 半世紀の歴史に幕 「苫小牧の顔」…残念 商店街 歳末控え影響懸念”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年11月1日)
  27. ^ a b “出来事2002 6 鶴丸百貨店の閉店 老舗の名 引き継がれ 早い再出発で活性化に光も”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年12月18日)
  28. ^ a b c d e f g h i j k l “苫小牧の商業ビル「ビッグジョイ」 7月末で閉鎖”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2011年6月11日)
  29. ^ a b c d e f g h i j “「ビッグ・ジョイ」6月8日オープンか”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2000年5月12日)
  30. ^ a b c d e f g h i j k “再開発ビル「トピア」が6年ぶりに再開、鶴丸百貨店をはじめ、計7店舗が入店する”. 室蘭民報 (室蘭民報社). (2000年6月6日)
  31. ^ “鶴丸百貨店14日から閉店セール”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2002年9月12日)
  32. ^ “ビッグジョイの解体始まる 跡地利用に注目”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2014年12月23日). オリジナルの2014年12月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141231115305/http://www.tomamin.co.jp/20141220273 2015年5月6日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]