高野山町石道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
高野山町石道
袈裟懸石
慈尊院にある高野山町石(百八十町石)

町石道(ちょういしみち)は、慈尊院和歌山県伊都郡九度山町)から高野山和歌山県伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道である。弘法大師が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきた。

国の史跡「高野参詣道」として指定されている[1]ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部[2]

2016年(平成28年)10月24日に高野参詣道として三谷坂京大坂道不動坂、黒河道女人道が追加登録されたため、町石道と軽微な変更をしている。

概要[編集]

高野山への道標(道しるべ)として、1(約109メートル)ごとに「町石(ちょういし)」と呼ばれる高さ約3メートル強の五輪卒塔婆形の石柱が建てられ、高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22キロメートルの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4キロメートルの道中に36基の、合計216基の町石が置かれている。慈尊院から数えて36町(1)ごとには、町石の近くに「里石(りいし)」が合計4基置かれている。

町石は、弘法大師が開山した平安時代の頃は木製の卒塔婆だったと言われており、風雨にさらされるなどして老朽化したため、鎌倉時代文永2年(1265年)頃に遍照光院の覚きょう上人が石造の町卒塔婆建立を発願し、20年の歳月をかけて弘安8年(1285年)に完成した。現在でもその8割以上にあたる150本の石柱が建立当時のまま残り、今なお昔日の面影を伝えている。

かつては高野巡礼の人々が町石のひとつひとつに手を合わせて礼拝しながら登ったと言われているが、現在では道も整備され気軽に歩けるハイキングコースともなっている。

この一帯は和歌山県高野山町石道玉川峡県立自然公園の一部をなす。

[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 高野参詣道1977年〈昭和52年〉7月14日指定、1997年〈平成9年〉3月6日追加指定、史跡)、国指定文化財等データベース文化庁) 2010年5月11日閲覧。。2015年平成27年)、高野山金剛峯寺への参詣道のうち、遺存状況の良好な箇所が明らか となった4本のルートについて、道及び関連する神社・石造物等を既指定の高野山町石に追加指定するとともに、名称が高野参詣道に変更された。
  2. ^ 世界遺産登録推進三県協議会、2005、『世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道』、世界遺産登録推進三県協議会(和歌山県・奈良県・三重県)、pp.39,75

関連項目[編集]

外部リンク[編集]