慈尊院
慈尊院 | |
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![]() 弥勒堂(重要文化財) | |
所在地 | 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832 |
位置 |
北緯34度17分43秒 東経135度33分0秒座標: 北緯34度17分43秒 東経135度33分0秒 |
山号 | 万年山 |
宗旨 | 高野山真言宗 |
本尊 |
弥勒仏(=「慈尊」) (秘仏、国宝) |
創建年 | (伝)弘仁7年(816年) |
開基 | (伝)空海 |
札所等 |
仏塔古寺十八尊第6番 神仏霊場巡拝の道 第10番 |
文化財 |
木造弥勒仏坐像(国宝) 弥勒堂・絹本著色弥勒菩薩像(重要文化財) 世界遺産 |
法人番号 | 5170005004685 |
慈尊院(じそんいん)は、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院[1]にある高野山真言宗の寺院。山号は万年山。仏塔古寺十八尊第6番。
本尊の木造弥勒仏坐像は国宝(美術工芸品)[2]。他に本堂弥勒堂[3]、絹本著色弥勒菩薩像[4]などの重要文化財を所蔵し、境内は国の史跡「高野山町石」[5]の一部[6]である。本堂弥勒堂はユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部[6][7]。
歴史[編集]
弘仁7年(816年)、空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とした。諸天善神への祈願地としてこの地を天と神に通じる地、即ち神通寺の壇とし、慈氏寺(慈氏とは弥勒菩薩のこと)の壇と併せて成立させた。同時に境内の南側に丹生高野明神社も設けている。
高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだと言われている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。
空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。
高野政所に関して「慈尊院」という名称が文献に現れた最も早い例は三条実行(藤原実行)の『鳥羽上皇高野御幸記』で、天治元年(1124年)、上皇が当地に行幸し、慈尊院の由来について尋ねたことが記されている[8]。
文化財[編集]
国宝[編集]
- 木造弥勒仏坐像
- 1躯。1963年(昭和38年)7月1日、国宝(美術工芸品)に指定[2]。
- 如来形の弥勒仏の像で、像高は91cm。右手を挙げ(施無畏印)、左手を膝上に置く(与願印)如来像通有の印を結ぶ。下ぶくれの頭部、重々しい面相、量感のある体躯表現、大ぶりに刻まれた翻波式衣文(ほんぱしきえもん、大波と小波を交互に刻む様式)などに平安時代初期彫刻の特色が現れている。組んだ両脚の前の裳先部分に寛平4年(892年)の墨書がある。この裳先部分は後補であるが、墨書はオリジナルの銘文を忠実に写したものと認められ、寛平4年の作であると認められている。在銘作品の少ない平安前期彫刻の基準作として重要である。長年秘仏として伝えられてきたため、光背、台座も当初のものが残されている。厳重な秘仏であったため、学術調査が実施されたのは第二次世界大戦後のことであり、1962年(昭和37年)に重要文化財、翌1963年(昭和38年)に国宝に指定された。開扉は21年に一度とされている(空海の命日が21日であることにちなむ)[9]。
重要文化財[編集]
- 弥勒堂
- 絹本著色弥勒菩薩像
史跡[編集]
その他[編集]
- 多宝塔 - 1624年(寛永元年)再建。和歌山県指定有形文化財(建造物)に1994年(平成6年)4月20日指定[11]。
- 慈尊院築地塀(西門含む)・北門 - 室町期の築地塀(西門含む)4棟および北門1棟。和歌山県指定有形文化財(建造物)に1993年(平成5年)4月13日指定[11]。
- 木造四天王立像 - 4躯。鎌倉時代の作。和歌山県指定有形文化財(美術工芸品)に1994年(平成6年)4月20日指定[12]
交通[編集]
脚註[編集]
- ^ 伊都郡慈尊院村
- ^ a b “木造弥勒仏坐像”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2010年1月18日閲覧。
- ^ a b “慈尊院弥勒堂”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2010年1月18日閲覧。
- ^ a b “絹本著色弥勒菩薩像”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2010年1月18日閲覧。
- ^ a b “高野山町石”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2010年1月18日閲覧。
- ^ a b c d 文化庁 (2006年9月26日). “条約上の資産種別と登録資産の国内法上の指定状況 (PDF)”. 文化審議会文化財分科会世界文化遺産特別委員会(第1回)議事次第. 文化庁. 2013年1月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年10月2日閲覧。
- ^ 世界遺産登録推進三県協議会(三重県・奈良県・和歌山県)、2005、『世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道』、世界遺産登録推進三県協議会、pp.39,75
- ^ 『週刊朝日百科 日本の美術40』、pp.3-314, 3-315(解説執筆は林温、井上正)
- ^ 『週刊朝日百科 日本の美術40』、p.3-315(解説執筆は井上正)
- ^ 「新指定の文化財」『月刊文化財』370、1994、第一法規、pp.12 - 13
- ^ a b “県指定文化財・有形文化財・建造物”. 和歌山県教育委員会. 2013年10月2日閲覧。
- ^ “県指定文化財・有形文化財・美術工芸品”. 和歌山県教育委員会. 2013年10月2日閲覧。
参考文献[編集]
- 『和歌山 / 根来寺・粉河寺・鞘淵八幡神社・隅田八幡神社・慈尊院・丹生都比売神社・善福院』 朝日新聞社〈週刊朝日百科 日本の美術 40〉、1997年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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