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青木秋夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青木秋夫
あおき あきお
生年月日 1931年9月15日
出生地 日本の旗 日本 群馬県勢多郡桂萱村
(現群馬県前橋市)
没年月日 (2021-01-01) 2021年1月1日(89歳没)
出身校 東洋大学社会学部卒業
前職 国務大臣秘書官
所属政党 (無所属→)
自由民主党
称号 従五位
旭日小綬章

群馬県の旗 第70代 群馬県議会議長
在任期間 1996年10月16日 - 1997年6月3日

群馬県の旗 群馬県議会議員
選挙区 勢多郡選挙区
当選回数 6回
在任期間 1983年 - 2007年

当選回数 1回
在任期間 1967年 - 1969年7月
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青木 秋夫(あおき あきお、1931年9月15日 - 2021年1月1日)は日本の政治家前橋市議(1期)、群馬県議(6期)、第70代群馬県議会議長を歴任した。

経歴

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1931年9月15日、勢多郡桂萱村(現前橋市)で生まれる[1][2]1956年東洋大学社会学部卒業し、明和高等学校教諭となった[1][2]1960年久保田円次の公設第一秘書となり、その後国務大臣秘書官となった[2]1967年、前橋市議会議員選挙に無所属で立候補して当選した[2]1969年7月、任期途中で辞職した[2]1974年桐生短期大学講師となった[2]1983年4月10日、群馬県議会議員選挙に勢多郡選挙区から立候補して初当選を果たし、以後6期務める[2]。この間、1996年10月16日から1997年6月3日まで第70代群馬県議会議長を務めた[3]2007年4月8日の群馬県議会議会選挙には立候補せずに引退した[4]。2021年1月1日に死去した[5]

発言

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  • 2007年1月13日、夏に選挙を控える群馬県知事小寺弘之と、推薦を決めた各種団体との連絡会議の初会合に出席して「心から健闘を祈る」と発言した[6][注釈 1]。次期県議選への立候補については「(自分の)党公認を返上することもある」と述べた[6]。しかし、同月18日までに発言を撤回して自民党県連の方針に従う姿勢を表明した[7]

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 自民党群馬県連は大澤正明県議会議長を擁立する方針を決めていた。

出典

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  1. ^ a b 日外アソシエーツ「WhoPlus」
  2. ^ a b c d e f g 群馬県議会事務局『群馬県議会史』群馬県議会、1993年、1頁。 
  3. ^ 歴代正副議長一覧”. 群馬県. 2021年8月13日閲覧。
  4. ^ 群馬県議会議員選挙 - 前橋市・勢多郡選挙区候補者一覧 - 2007年04月08日投票 | 群馬県”. 選挙ドットコム. 2021年8月13日閲覧。
  5. ^ a b “叙位叙勲=群馬”. 読売新聞 (東京): p. 22. (2021年8月13日) 
  6. ^ a b “(07選挙イヤー)自⺠の⻘木県議、小寺知事を支援 「党公認返上も」 /群馬県”. 朝日新聞 (前橋): p. 22. (2007年1月14日) 
  7. ^ “小寺知事支援発言を全面撤回 自⺠党の⻘木県議 /群馬県”. 朝日新聞 (前橋): p. 31. (2021年8月13日) 
  8. ^ “春の叙勲 県関係者70人に栄誉=群馬”. 読売新聞 (東京): p. 22. (2008年4月29日)