関谷浩至

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関谷 浩至(せきや ひろし)は文筆家、TBSテレビの元社員。かつてはTBSテレビ・ラジオ番組のディレクターラジオパーソナリティとして活動していた。

経歴・人物[編集]

1957年東京都渋谷区広尾に出生。私立浅野中学校・高等学校を経て、早稲田大学第一文学部早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻(映画学修士課程修了。文学修士号を取得。日本映像学会会員[1]。専門は映画音楽史、音響音声論[1]

1982年東京放送(TBS)入社[2]。テレビ制作局演出部で「ぴったしカン・カン」、「しゃれっぽクラブ」等のバラエティ番組でディレクターを務めた後、TBSラジオに異動。

TBSラジオではレギュラー番組や1991年の『TBSラジオ開局40周年記念 24時間スペシャル「メリークリスマスラジオ」』でのディレクターの傍ら、1980年代末より「大沢悠里のゆうゆうワイド」・「ハローナイト」・「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」リポーター[2] 、「タモリで失敬!」コーナーパーソナリティ、「関谷浩至と千堂あきほの夜はこれから」パーソナリティ、「WEEKLYアクションSP 土曜の夜につかまえて」ナビゲーターとして出演。1992年10月から平日午後のワイド番組関谷浩至と花の東京応援団[2] では、一般職として入社したTBS社員としては初のワイド番組でメインパーソナリティを務めた。この頃永六輔の依頼で、ドビュッシー月の光”をピアノで弾きながら弾いている自分自身の状況を同時に実況中継するという特技を、渋谷ジァン・ジァンかつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホールで行われた永主催のコンサートで披露している。

特にラジオ中継の話術に関し、永六輔は著書「逢えてよかった! 僕のメディア交遊録」(1995年,朝日新聞社)の中で関谷の方法を映画カメラワークに準え評価した。(同書”関谷浩至”の項目を参照)

1996年4月から土曜深夜の深夜放送次はオレらだ!東京爆裂DJ」のメインナビゲーターを短期間務めていたが目の疾患により降板。尚、この疾患により角膜移植を受けている。

2012年2月には神奈川県座間市立図書館で講座「ハリウッド映画音楽史」の講師を、 更に同年7月より講座「映画とジャズ」の講師を務めた。

著書[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 日本映像学会 http://jasias.jp/ 会員リストより。
  2. ^ a b c 『TBS五十年史』(東京放送、2002年)※索引より「関谷浩至」参照。
  3. ^ 東京交響楽団  http://tokyosymphony.jp/pc/news/news_3757.html
  4. ^ フィルムアート社 http://filmart.co.jp/books/filmmaker/2006-9-12tue-112/
  5. ^ フィルムアート社 http://filmart.co.jp/books/cinelesson/2006-9-12tue-15/
  6. ^ フィルムアート社 http://filmart.co.jp/books/music/2006-9-12tue-80/
  7. ^ 早稲田大学出版部 http://www.waseda-up.co.jp/art/12.html
  8. ^ イメージフォーラム http://www.imageforum.co.jp/magazine/mg-kbrc.html
  9. ^ coba オフィシャルウェブサイト http://www.coba-net.com/discography/album/ninorota1999.html