長谷部信連

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長谷部信連
Yoshitoshi - 100 Aspects of the Moon - 36.jpg
長谷部信連(月岡芳年画『高倉月』)
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代前期
生誕 不詳
死没 建保6年10月27日1218年11月16日
別名 長兵衛尉(通称)
官位兵衛
幕府 鎌倉幕府
主君 以仁王源頼朝
氏族 長谷部連長谷部氏
父母 父:長谷部為連
兄弟 信連、景連
正室:由利氏女(由利維平後家?)
朝連景信行連仲連良連実信

長谷部 信連(はせべ のぶつら)は平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。右允・長谷部為連の子。長氏の祖。

生涯[編集]

人となりは胆勇あり、滝口武者として常磐殿に入った強盗を捕らえた功績により左兵衛尉に任ぜられた。後に以仁王に仕えたが、治承4年(1180年)に王が源頼政と謀った平氏追討の計画(以仁王の挙兵)が発覚したとき、以仁王を園城寺に逃がし、検非違使の討手に単身で立ち向かった。奮戦するが捕らえられ、六波羅で平宗盛に詰問されるも屈するところなく、以仁王の行方をもらそうとしなかった。平清盛はその勇烈を賞して、伯耆国日野郡に流した(『平家物語』巻第4「信連」)。平家滅亡後、源頼朝より安芸国検非違使所に補され、能登国珠洲郡大家荘を与えられた。

信連の子孫は能登の国人として存続していき、長氏を称して能登畠山氏加賀前田氏に仕えた。

長谷部信連(菊池容斎『前賢故実』)

長谷部まつり[編集]

現在では、長氏ゆかりの穴水町で、長谷部信連を偲び、長谷部まつりが行われている。昼は武者行列が行われ、夜は穴水湾で屋型舟や灯篭流が見られる[1]。平成24年(2012年)の第50回記念のまつりの武者行列では、主役の長谷部信連役を二代林家三平が、奥方役を国分佐智子が務めた[2]

脚注[編集]

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  1. ^ 祭り・文化 穴水観光ガイド
  2. ^ 林家三平さん夫婦が殿と奥方に 穴水で長谷部まつり北国新聞2012年7月23日(2014年3月20日閲覧)。林家三平の母である海老名香葉子が昭和20年(1945年)の終戦前後に穴水町に疎開していたことがあり、現在も穴水町と林家一門と交流を続けていることによる(海老名香葉子は平成24年(2012年)に穴水の名誉町民になる)。