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野島康三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野島 康三
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県浦和宿
生年月日 (1889-02-12) 1889年2月12日
没年月日 (1964-08-14) 1964年8月14日(75歳没)
最終学歴 慶応義塾大学
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野島 康三(のじま やすぞう、1889年2月12日 - 1964年8月14日)は、日本の戦前期を代表する写真家のひとり。埼玉県浦和市(現:さいたま市)生まれ。特に、ポートレイトヌード写真に長ける。 初期のピクトリアリスムの重厚な絵画的な作品から、のちにストレートな表現に移行した。

生涯

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1889年2月12日に埼玉県浦和宿(のち浦和市)の銀行家の家系に生まれる。慶應義塾大学卒業。戦前の1929年(昭和4年)に、国画会に「裸婦作品」などを出品した[1]岸田劉生梅原龍三郎、万鉄五郎、富本健吉らの後援者だった。また、岸田劉生、梅原龍三郎らの美術コレクターでもあり、1919年に東京神田神保町に「兜屋画廊」を開廊し、各種展覧会(旧フュウザン会、日本創作版画協会の作家など)を開催(同画廊閉廊後は、自邸にて)するとともに、美術家たちへの資金的な援助も行った。

東京写真研究会でも活躍した。

1932年に中山岩太木村伊兵衛とともに雑誌『光画』創刊。1939年には国画会に福原信三とともに写真部創設などの活動を行う。

代表写真作品

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仏手柑
1930年[2]。果物の仏手柑を写した静物写真[3]。172mmx275mm、ブロムオイルプリント[2]。本作品の影響の元に、森村泰昌氏が作品(フィンガー・シュトロン(ノジマ)1-4)を作成している[4]
細川ちかこ
1932年作。極めて大胆なトリミングにより、顔の右半分と頭を断ち切り、むしろ、顔に当てた左手を中心に据えたようなポートレイト。

写真集

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  • 野島康三写真集(赤々舎、2009年)

主要展覧会

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  • 生誕120年 野島康三展 ある写真家が見た日本近代(京都国立近代美術館・2009年7月28日(火)~8月23日(日))
  • 生誕120年 野島康三−肖像の核心展(渋谷区立松濤美術館・2009年9月29日(火)~11月15日(日))

参考文献

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  • 河本信治、光田由里 編『野島康三とその周辺』京都国立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、1991年。ISBN 4876421293 
  • 池澤茉莉、河本信治、牧口千夏、永田絵里 編『マイ・フェイバリット-とある美術の検索目録/所蔵作品から』京都国立近代美術館、2010年。ISBN 978-4876421916 

書籍

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  • 「野島康三とレディス・カメラ・クラブ」展図録/渋谷区立松濤美術館/1993年
  • アルフレッド・スティーグリッツと野島康三」展図録/東京国立近代美術館/1997年
  • 野島康三(日本の写真家・第4巻)/岩波書店/1998年
  • 渋谷区立松濤美術館所蔵 野島康三と資料集(渋谷区立松濤美術館、2009年)

出典/脚注

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関連項目

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