野々下 (流山市)

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野々下四丁目

野々下(ののした/Nonoshita)は、千葉県流山市の地名。一丁目から六丁目まである。郵便番号は270-0135。当地域の人口は7,636人(2008年4月1日現在、住民基本台帳人口調査による。流山市調べ)。

地理[編集]

流山市東部に位置する。地域の東部は住宅街、地域の西部はつくばエクスプレス沿線開発に伴い、1998年平成10年)~2010年(平成22年)にかけて千葉県が施行する「流山都市計画事業運動公園地区一体型特定土地区画整理事業」の施行地域であり、地域内に流山市総合運動公園の一部がある。また、二丁目に市立長崎小学校千葉県立特別支援学校流山高等学園がある。また坂川の水源もあり、野々下水辺公園として整備されている。

東は柏市豊四季、西は後平井、南は古間木、北は長崎市野谷と接している。

地価[編集]

住宅地の地価は、2015年平成27年)1月1日公示地価によれば、野々下5丁目1070番8の地点で11万3000円/m2となっている。[1]

歴史[編集]

元の野々下は長崎の16もの飛び地が点在する地域となっており、地域内の市街化が進むにつれて複雑な字界が問題となり、昭和50年代前半より字区域の変更案が浮上した。野々下と長崎が入り組んでいることから野々下・長崎それぞれへの統一が難しいこと、野々下が「ののげ」とも読めることから、野々下、長崎のどちらとも関連性のない瑞祥地名「ひかり野」への統一的変更が検討されたこともあったが、地域住民の反応が良くなかった為に一時立ち消えとなる。その後、1981年(昭和56年)12月4日の昭和56年度第四回流山市定例市議会にて字区域の変更が議案に挙がり[2]、大字野々下が大部分を占める地域を野々下一丁目~六丁目とする形で、1982年昭和57年)2月5日に長崎の全域と名都借の一部と共に大幅な整理が行われ、現在の区域となった。

沿革[編集]

地名の変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前
野々下一丁目 1988年6月4日 野々下字的打・字西方・字山中・字野口・字大屋敷・字寺方・字木戸本・字篠塚・字根郷・字東下・字堂面・字向山・字元木戸・字向長崎・字向下・字土手外・字長田・字道漢堀・字土手内・字日尻上・字金クソ・字向代・字御成堤・字向原・字込後の全域、野々下字後田・字寺ノ下・字内宿・字天神下の各一部、大字長崎字梶内・字向山・字日尻上・字金クソの全域、大字長崎字長崎・アジャリ谷の各一部、大字名都借字五斗蒔・字蛯沢新田の全域
野々下二丁目
野々下三丁目
野々下四丁目
野々下五丁目
野々下六丁目

小字[編集]

現在の野々下一丁目~六丁目に当たる地域には44の小字が存在した。
大字野々下

  • 的打
  • 西方
  • 山中
  • 野口
  • 大屋敷
  • 寺方
  • 木戸本
  • 篠塚
  • 根郷
  • 東下
  • 堂面
  • 後田(東部の一部は1982年(昭和57年)に長崎二丁目となる)
  • 向山
  • 寺ノ下(北部の一部は1982年(昭和57年)に長崎二丁目となる)
  • 内宿(一部は1982年(昭和57年)に長崎一丁目となる)
  • 天神下(一部は1982年(昭和57年)に長崎一・二丁目に編入)
  • 元木戸
  • 向長崎
  • 向下
  • 土手外
  • 長田
  • 道漢堀
  • 土手内
  • 日尻上
  • 金クソ
  • 向代
  • 御成堤
  • 向原
  • 込後

大字長崎

  • 梶内
  • 長崎(一部)
  • 向山
  • アジャリ谷(一部)
  • 日尻上
  • 金クソ
  • 天ケ崎(全域が1982年(昭和57年)に長崎二丁目となる)
  • 天形星(全域が1982年(昭和57年)に長崎一丁目となる)
  • 五斗代(全域が1982年(昭和57年)に長崎二丁目となる)
  • 宮作(全域が1982年(昭和57年)に長崎一丁目となる)
  • 土手尻(全域が1982年(昭和57年)に長崎一丁目となる)
  • 不動堂(全域が1982年(昭和57年)に長崎二丁目となる)
  • 長崎(全域が1982年(昭和57年)に長崎二丁目となる)

大字名都借

  • 五斗蒔
  • 蛯沢新田

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

丁目 番地 小学校 中学校
一丁目 全域 八木南小学校 八木中学校
二丁目 西部
東部 長崎小学校
三丁目 全域
四丁目 全域

施設[編集]

野々下水辺公園の坂川水源地

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  2. ^ 広報ながれやま 昭和56年12月1日(第527号)