近藤博夫

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近藤博夫
こんどう ひろお
生年月日 1888年10月9日
没年月日 (1966-06-27) 1966年6月27日(77歳没)
出身校 京都帝国大学工学部土木工学科(現京都大学工学部)卒業
前職 大林組常務

第11代大阪市長
当選回数 1回
在任期間 1947年4月7日 - 1951年4月4日
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近藤 博夫(こんどう ひろお、1888年明治21年)10月9日[1] - 1966年昭和41年)6月27日[1])は、日本土木技術者。第11代大阪市長1947年1951年)。

経歴[編集]

旧制七高理科から京都帝国大学工学部土木工学科を卒業。大阪市役所に入り港湾部長・理事を歴任し、大林組に入り常務。また土木学会関西支部長などを務めた。

1947年の第1回統一地方選挙日本社会党公認で大阪市長選挙に出馬、保守系の落合九一らを破って当選し1期務める。在任中には広く市民の声を聞くための公聴課を設置、ここで集めた市民の声が大阪市の戦災復興計画の策定に役立った。

1966年6月27日死去。享年77。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、279頁。

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