走水神社 (横須賀市)

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走水神社
走水神社(2011年4月2日)
所在地 神奈川県横須賀市走水2-12-5
位置 北緯35度15分41.31秒
東経139度43分51.24秒
主祭神 日本武尊、弟橘媛
創建 不詳
例祭 10月15日
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走水神社(はしりみずじんじゃ)は、神奈川県横須賀市走水にある神社である。三浦半島の東端近く、東京湾にほど近い場所に位置する。

祭神[編集]

歴史[編集]

記紀は、焼津で相武国造にだまされ火攻めにあい、倭姫命より賜った草薙剣によって難を逃れた日本武尊が相模から上総に向かった際、どこを通ったか具体的な地名について言及していないが[1][2]、『日本書紀』は、景行天皇53年10月条に景行天皇東国巡狩のことを載せ、東海道を海路より淡水門に渡ったことを述べている。この際も地名は記されてはいないが、古代の東海道は当地から浦賀水道を渡って上総国に入るので、景行天皇は当地から淡水門に向かったのであり、日本武尊の東征において浦賀水道を渡る際も当地を通ったものと考えられ[3]、その際自分の冠を村人に与え、村人がこの冠を石櫃へ納め土中に埋めて社を建てたのが当社の始まりともされる。浦賀水道を房総半島に向かったとすれば三浦半島を通ったとするのが自然であり、当地を経たとするに無理はないが、日本武尊東征、景行天皇東国巡狩のいずれも史実とは考えられておらず、創建年代等についてはあくまでも不詳である。

上総国へ船出した日本武尊は、海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めた。数日後、海岸に弟橘媛のが流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛を納めたとされる。この社が弟橘媛を祀る橘神社であったが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用地になり走水神社境内へ移され、その後明治42年(1909年)走水神社に弟橘媛が合祀された。国家神道華やかりし明治時代に不要不急として軍用地に接収され、20年以上ほっておかれその後に合祀されたことからして、明治時代中期まではいかに軽く見られていたかが判る。

境内[編集]

  • 稲荷神社
  • 三社(須賀神社・神明社・諏訪神社)
  • 別宮:弟橘媛命に殉じた侍女を祀る。
  • 水神社(河童大明神):走水に伝わる河童伝説に因んで祀られる。
  • 弟橘媛命記念碑:1910年東郷平八郎乃木希典らが建立。恒久王妃昌子内親王
  • 機械水雷:1910年に奉納された、日露戦争戦利品のロシア製機械水雷
  • 包丁塚:1973年、当地で大伴黒主が日本武尊に料理を献じて喜ばれた故事に因み、建立。
  • 舵の碑:1975年、弟橘媛が荒海を鎮めた故事に因み、航海の安全を祈念して建立。

祭事[編集]

  • 祈年祭:3月上旬の日曜日
  • 夏季例祭(天王祭):7月第二土曜日
  • 例祭(秋季例大祭):10月15日

所在地・交通[編集]

神奈川県横須賀市走水2-12-5

脚注[編集]

  1. ^ 『日本書紀』には、焼津(静岡県焼津市)、葦浦(千葉県鴨川市江見吉浦)、玉浦(九十九里浜)の地名のみ記載されている。
  2. ^ 記紀にある馳水(走水)は地名ではなく、浦賀水道を三浦半島の方からみた水路のことである(『東京湾史』 84ページ)。
  3. ^ 『東京湾史』 84ページ。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 菊池利夫 『東京湾史』 大日本図書印刷 1974年

外部リンク[編集]