諏訪市立蓼科保養学園

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諏訪市立蓼科保養学園

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国公私立の別 公立学校(児童福祉施設)
設置者 諏訪市
設立年月日 1923年
創立者 小沢侃二
共学・別学 男女共学
所在地 391-0301
長野県茅野市北山小斉4035-1074
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諏訪市立蓼科保養学園(すわしりつたてしなほようがくえん)は、児童福祉法(昭和22年法律第164号)及び地方自治法(昭和22年法律第67号)の規定に基づいて長野県茅野市北山小斉に設置されている、同県諏訪市児童福祉施設地方自治法244条の3の区域外施設)である。

概要[編集]

蓼科保養学園は、身体の虚弱な児童の健康増進を図るために1923年(大正12年)に小沢侃二によって設置され、1948年(昭和23年)に諏訪市に寄贈、1952年(昭和27年)から虚弱児施設として運営されてきた。近年では児童福祉施設として、希望児童を広く受け入れるようになっている。 対象となる児童は諏訪市内の小学校5年生で、ほぼ各小学校の児童数に比例して、年間を4期(第1期から第4期まで、各3か月)にわけて各期男子20名、女子20名の40名、年間計160名を限度に受け入れている。 入園児童は約3か月の間親元を離れ、共同生活を送る。その間親と会えるのは中間点に設けられた面会日のみであり、それ以外の連絡は全て手紙で行う。

市職員の生活指導員2名と保育士4名が交代制で生活指導を行い、児童の生活をサポートする。また、小学校教諭2名が学習指導を行い、通常の小学校と同様に学習も進められ、退園後に各小学校で授業に対応できるよう配慮されている。栄養が考慮された手作りの食事が、朝、昼、おやつ、夜と提供される。

毎日の生活は平日・土曜日・休日に分かれてタイムテーブルが決まっており、それにあわせて生活する。

生活[編集]

児童の生活は、6時30分の起床の後、5名1室の居室である「ホーム」の掃除から始まる。掃除の後は朝の運動時間が設けられており、ラジオ体操、学園体操、マラソンが体育館もしくは園庭、マラソンコースで行われる。その後朝食、学校(施設内)へ登校し、授業を受ける。昼食後の授業ののち下校。自由時間、昼間の運動の時間、入浴が男女ずらして行われる。夕食後は自習時間が設けられ、授業の補填をする。その後自由時間、生活記録を書いて、就寝前に乾布摩擦をし、9時就寝。消灯時間までに布団の準備等ができた場合はルドルフとイッパイアッテナをその日の担当職員が児童に向けて音読する。 又、テレビの視聴は特定の日の30分間に限られている。 虚弱児童の健康増進を目的としていたこともあり、マラソン(ジョギング)、竹馬が日常的に行われる。また、各期には様々な行事が催される。

学芸委員、生活委員などの委員会組織もあり、週間目標が決められるなどの活動もされる。

学習[編集]

学習は、退園後の小学校の授業に支障が出ないよう、2名の教諭によって20人が2クラス(男女各10名)単位で行われる。40分授業が5時間で、45分授業で一週間のうち数日の6時間授業を行う通常の小学校に比べ授業時間が少ない分、土曜日の午前中に授業を入れて時間を補填する。 都合上あまり時間を割くことのできない家庭科の授業は、特定の日に集中して行われる。 それで足りない分は自習時間等を多くタイムテーブルに割くことにより、自主的な学習を促進している。

退園間近になると、卒園製作として湯のみ等の陶器の作成が行われ、備え付けの窯で焼き、記念に持ち帰ることになっていた。

マラソン[編集]

マラソンは、毎日生活記録にその距離を記載し、累計距離を算出するようになっている。目的地を決め、それを目標に距離を伸ばしていく。 目的地は東京と名古屋の二択で、児童には学園から茅野駅、茅野駅から東京方面あるいは名古屋方面に中央本線の駅名と駅間の距離が書かれた用紙が配られ、走った距離に応じてその駅を塗りつぶし、どこまで走ったかを記録するようになっている。目的地である東京あるいは名古屋に到着した後にも、東京を選択した場合は岐阜を目的地とした「ルドルフコース」名古屋を選択していた場合には甲子園を目的地とする「甲子園コース」の用紙が配られ、新たな目的地を目指し距離を伸ばす。

マラソンコースとして、近隣の別荘地に、最短の600 mから、800 m、1 km、1,700 m、2 km、3 km、5 km、7.5 km(以降2.5 kmずつプラス)の各コースが設定されている。5 km以降は蓼科湖(周囲2.5 km計算)を周回する回数で距離が増加していく。

1,700 mコースでは、退園前に記録会が行われ、そのタイムが記録される。

竹馬[編集]

竹馬は、各児童が各自で手作りして、それを利用して「検定会」が行われる。 また、検定会は1度しか行われないが、その後は、児童が各自でペアになって検定をし、それを担当に報告することで、次の級に進むことができる。 5級からはじまり、『竹馬名人級』までが設定されておりそれに合格すると、園長より賞状が授与される。

行事[編集]

日曜日などの時間がある日には、様々な行事が催されることがある。運動会遠足、餅つき大会などがある。

第一期の児童は、餅つき大会でついたもちを、花見の時に食べる。

また、散歩で近隣を散策することもある。

施設[編集]

4階建ての建物である。

  • 園庭:小学校の校庭には到底及ぶ大きさではないが、親が来園する入園式、面会日、退園式には、全児童の親の車が全てここに駐車できる程度の大きさはある。
  • 体育館(1階):バレーボールコート1面程度。
  • 教室(学校・体育館脇の1階、2階):授業が行われる。
  • 図書館(1階):机・テレビ・ピアノ設置で、音楽などの授業では音楽室として使われたり、委員会等が開かれたりする。テレビが見られる日はここでテレビの視聴をし、土曜日等は映画などが上映されることもある。
  • プール:2期入園者は、プールの授業も行われる。
  • 事務室・職員室(2階):昼間はここに職員が常駐している。
  • 食堂(2階):毎日の食事を取る場所であり、様々な集会が行われる場所でもある。
  • 保健室(2階):養護教諭が常駐しており、怪我や病気の手当てをしてくれる。かぜなどの病気の際は保健室での休養が求められることもある。
  • 風呂(2階):温泉が引かれている。入浴時間は1日30分間で、2ホームごと時間が指定されている(順番はローテーションする)ため、いつでも入れるわけではない。
  • 洗濯場・物干し場(2階):洋服や寝具等を洗濯したり干したりする。ほとんどのものは職員が洗ってくれるが、タオル等一部のものは専用のたらいで自分で洗濯するものもある。
  • ホーム(女子3階・男子4階):ホームは各階に4つあり、1つのホームにつき5名で生活をする。ホーム階には各自専用の学習机、洗面所が設置されている。また、男女それぞれに指導員1名、保育士2名が配置され、指導員、保育士のための居室も用意されている。

歌「いつの日にかどこかで」[編集]

学園の卒園式では、各自の夢を歌にのせて、「いつの日にかどこかで」という歌を斉唱する。 また、この歌は退園後、CDにて入園児童に学校を通じて配布される。

歴史[編集]

  • 1923年(大正12年)- 小沢侃二により設立
  • 1948年(昭和23年)- 諏訪市に寄付
  • 1952年(昭和27年)- 虚弱児施設として運営開始

関連項目[編集]

外部リンク[編集]