藤沢放火殺人事件

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藤沢放火殺人事件(ふじさわほうかさつじんじけん)とは、1993年平成5年)に神奈川県藤沢市で起きた、放火殺人事件である。

不起訴から民事訴訟の結果を受けて一転起訴になり、無罪判決から有罪判決になるなど異例の展開で有罪判決が確定した。

概要[編集]

1993年平成5年)12月14日午前に藤沢市内のアパートが火災で全焼し、洋装店員の女性Aの遺体が焼け跡の自室から見つかった。この事件では、被害者Aの交際相手で同棲していた元会社員Bが殺人と現住建造物等放火の容疑をかけられていたが、横浜地検1998年6月に嫌疑不十分で不起訴処分の判断をした。しかし、遺族がこの決定に抗議。遺族がBに対して民事裁判を起こした。この損害賠償訴訟2000年7月に横浜地裁が殺害を認定してBに遺族へ賠償金を支払う判決を下した。この決定を受けて横浜地検は再捜査を開始して2001年2月にBを逮捕して翌月に検察側が行った心臓組織の再鑑定においてAが首に傷を受けた後に動けないまま40分以上生きていたことが判明して、当時の現場から放火できたのは被告だけだったとして2001年3月に不起訴処分から一転起訴するにいたった。殺人容疑事件で不起訴判断が覆ったのは極めて異例。

民事訴訟においては前述の通り2001年2月に賠償金9700万円の支払いが命じられ、東京高裁もこれを支持して2001年9月に最高裁被告敗訴が確定した。

裁判経過[編集]

裁判の最大の争点は被害者が自殺による死だったのか、被告による無理心中を図った結果なのかが争点となった。事件当時、被告と被害者以外に人はいなく、犯行の目撃者など事件と犯人を結び付ける有力な証拠はなかった。被告Bは一貫して被害者Aが自分の首に刃物を突きたてて無理心中を図ったと主張。これに対して検察側は前述の再鑑定に加え、被害者が自殺する動機が乏しかったこと、当時現場には犯人しかいなかったことを主張して別れ話に起こった独占欲の強い被告が殺害したとした。2003年6月2日、横浜地裁は、殺人現住建造物放火に対して無罪判決(求刑無期懲役)を下した。判決ではAがBに対して虐待を受けていて、前日に別れ話がまとまっていたことから自殺する動機は薄いとして被告の証言の信用性は低いとしたものの、検察側の再鑑定の信用性も否定した。被告が被害者を刺したのか、被害者が自分を刺すことを強要されたのか、明確ではないとして合理的な疑いを入れる余地があると結論づけた。検察側はこの判決に対して控訴した。

2004年9月27日東京高裁は一転して懲役15年の逆転有罪判決を下した。白木勇裁判長は判決で被告が藤沢市内のアパートで交際相手だった被害者ののどを包丁で突き刺し、灯油をまいて火をつけたと認定。検察側の再鑑定の結果にある程度の疑問をしめしたものの、被害者の自殺を図る動機がないことを重視して無理心中をする可能性を否定した。一方、被告がまだ若いことから無期懲役は重すぎるとして検察側の求刑より少ない懲役15年となった。弁護側はこの判決に対して上告した。

2005年5月20日最高裁第2小法廷福田博裁判長)は、事実誤認はないとして弁護側の上告を棄却。被告の懲役15年の有罪判決が確定した。

参考文献[編集]

関連項目[編集]