藤口透吾

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藤口 透吾
ペンネーム 藤口 透吉
誕生 藤口 藤吉
1909年10月28日
日本の旗 日本 福岡県福岡市
死没 (1970-12-20) 1970年12月20日(61歳没)
職業 小説家
言語 日本の旗 日本語
最終学歴 旧制 福岡市立第一専修学校 卒業
活動期間 1936年 - 1970年
ジャンル 少年小説純文学
代表作 『老骨の座』
主な受賞歴 第10回芥川龍之介賞候補
配偶者 河野シオリ
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藤口 透吾(ふじぐち とうご、1909年10月28日 - 1970年12月20日)は、日本の小説家である[1][2][3]。本名の藤口 藤吉(ふじぐち とうきち)、および筆名の藤口 透吉(ふじぐち とうきち)名でも著作を発表している[1][2][3]

人物・来歴[編集]

1909年明治42年)10月28日福岡県福岡市大工町(現在の同県同市中央区天神)に生まれる[2][3]。1933年(昭和8年)、旧制・福岡市立第一専修学校を卒業、翌1934年(昭和9年)7月、東京府(現在の東京都)へ移転、1935年(昭和10年)4月には東京府職員として社会課に勤務する[2][3]

1936年(昭和11年)、日満交通新聞社に入社する[2][3]国立国会図書館蔵書によれば、同年5月に発行された『日本少年』第31巻第5号に『珍らしい國、奇妙な國』が「藤口透吉」名義で掲載されており、同蔵書ではもっとも古い発表作品である[4][5]。 1937年(昭和12年)、河野シオリと結婚する[2]

1939年(昭和14年)下半期の第10回芥川龍之介賞において、予選候補に『秋情』『老骨の座』、候補には『老骨の座』が残った[3]。1940年(昭和15年)上半期の第11回芥川龍之介賞では予選候補に『骨肉慚愧』が、1941年(昭和16年)下半期の第14回芥川龍之介賞では『駅逓物語』が参考候補に挙げられたが、ついに同賞を受賞することはなかった[3]。いずれも「藤口透吉」名義である[3]

第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、勤労者生活協同組合連合会に勤めるが、1950年(昭和25年)には退職して、専業作家となる[2][3]

1958年(昭和33年)6月29日に日活が製作・配給して公開された、鈴木清順監督の『踏みはずした春』(主演左幸子小林旭)は、藤口が書いた『BBSの女』を原作に映画化したものであった[6]

1970年(昭和45年)12月20日、福岡県筑紫郡春日町(現在の同県春日市)の末弟宅で心臓性喘息のため死去した[2][3]。満61歳没。

ビブリオグラフィ[編集]

国立国会図書館蔵書にみる作品と掲載誌、書籍の一覧である[5]。「藤口透吾」名義のものは名義表記を省略する。

1930年代[編集]

  • 『珍らしい國、奇妙な國』、藤口透吉名義、『日本少年』第31巻第5号所収、実業之日本社、1936年5月
  • 『武勲と少年時代の話 護国の勇士よ有難う』、藤口透吉名義、金の星社、1939年
  • 『秋情』、藤口透吉名義、『文藝首都』第7巻第6号所収、文芸首都社、1939年7月 - 第10回芥川龍之介賞予選候補[3]
  • 『老骨の座』、藤口透吉名義、『文藝首都』第7巻第10号所収、文芸首都社、1939年11月 - 第10回芥川龍之介賞候補★[3]

1940年代[編集]

  • 『骨肉慚愧』、藤口透吉名義、『文藝首都』第8巻第4号所収、文芸首都社、1940年5月 - 第11回芥川龍之介賞予選候補(一般推薦)[3]
  • 『片眼の人形』、藤口透吉名義、『日本少年文学名作選』昭和16年版所収、少年文学作家画家協会、金の星社、1940年
  • 『駅逓物語』、藤口透吉名義、『文藝首都』9巻7号所収、文芸首都社、1941年9月 - 第14回芥川龍之介賞参考候補[3]
  • 『ますらを物語』、藤口藤吉名義、絵北川実新民書房、1942年10月
  • 『メナムの河畔』、新民書房、1944年
  • 『作家かジヤーナリストか』、藤口透吉名義、『文芸首都』第14巻第7号所収、文芸首都社、1946年10月
  • 『近代道路』、藤口透吉名義、絵石川滋彦、『少女の友』第40巻第6号所収、実業之日本社、1947年6月
  • 『愛を慕う子供たち』、藤口透吉名義、『少女の友』第41巻第5号所収、実業之日本社、1948年5月
  • 『姉さんの馬鹿』前篇・後篇、藤口透吉名義、絵今村寅士、『少女の友』第41巻第7-8号連載、実業之日本社、1948年7-8月
  • 『流れの中に』、藤口透吉名義、『文学時標』第6号所収、文学時標社、1948年9月
  • 『酒徒行傳』、藤口透吉名義、『文芸首都』第17巻第5号所収、文芸首都社、1949年5月
  • 『惡魔の戲れ』、藤口透吉名義、絵筧ひろし、『厚生時報』第4巻第8号所収、監修厚生省厚生行政研究会、1949年8月
  • 『はなれ島の少年』、藤口透吉名義、絵伊勢田邦彦、『小学四年』第4巻第9号所収、二葉書店、1949年9月
  • 『やかんぐま』、藤口透吉名義、絵ふせいししげお、『小学三年』第4巻第10号所収、二葉書店、1949年10月
  • 『名犬バリー』、藤口透吉名義、絵片岡京二、『小学四年』第4巻第12号所収、二葉書店、1949年12月

1950年代[編集]

  • 『野象大陸』、藤口透吉名義、絵橋本隆雄偕成社、1950年
  • 『破綻のない小說』、藤口透吉名義、『文芸首都』第18巻第1号所収、文芸首都社、1950年1月
  • 『オランダ重吉ひょう流記』、藤口透吉名義、絵小出剛郞、『小学四年』第5巻第6号所収、二葉書店、1950年6月
  • 『虚飾の花』、藤口透吉名義、『作家』第29号所収、作家社、1950年10月
  • 『われは雪の子』、藤口透吉名義、『なかよし』第3巻第22号所収、新潟日報社、1951年1月
  • 『動物愛情物語』、藤口透吉名義、絵小野沢進、『少女世界』第4巻第1号所収、富国出版社、1951年1月
  • 『学校教育の主体とPTA - 父兄の立場から』、藤口透吉名義、『文部時報』所収、文部省、1951年4月
  • 『風と雨と一本杉』、藤口透吉名義、絵富田仁志次、『なかよし』第4巻第38号所収、新潟日報社、1951年5月
  • 『不安と恐怖と抵抗について』、藤口透吉名義、『文芸首都』第20巻第1号所収、文芸首都社、1952年2月
  • 『友情馬車』、藤口透吉名義、絵井上たけし、『小学六年生』第5巻第5号所収、小学館、1952年8月
  • 『友の心をよぶ感激事実小説 よわむし小僧ばんざい』、絵伊勢田邦彦、『太陽少年』第3巻第4号所収、妙義出版社、1952年3月
  • 『藻の花』、『文芸首都』第20巻第6号所収、文芸首都社、1952年8月
  • 『思春期の子ら』、『厚生』第7巻第10号所収、厚生問題研究会、1952年10月
  • 『しくじりこぞう』、『小学六年生』第5巻第8号所収、小学館、1952年11月
  • 『明朗絵物語 ピンヒョロ物語』、絵久仁於(川原久仁於)、『女学生の友』第3巻第8号所収、小学館、1952年11月
  • 『星かがやけり』、絵木村光久、『痛快ブック』、芳文社、1950年代[7]
  • 『雪の高原よさようなら』、絵木村光久、『痛快ブック』、芳文社、1950年代[7]
  • 『父恋し母恋し』、鶴文庫鶴書房、1953年
  • 『不合格の辯』、『文芸首都』第21巻第9号所収、文芸首都社、1953年9月
  • 『素人俳優の弁』、『文芸首都』第21巻第12号所収、文芸首都社、1953年12月
  • 『あっぱれ黑帯少年』、絵伊勢良夫、『中学生の友』第31巻第7号所収、小学館、1954年10月
  • 『事実美談 心に太陽を持て』、絵伊勢良夫、『中学生の友』第31巻第8号所収、小学館、1954年11月
  • 『友情物語 友情は限りなく』、絵伊勢良夫、『中学生の友』第32巻第1号所収、小学館、1955年4月
  • 『壁の中の子供たち』、『』第9巻第1号通巻94号所収、潮書房、1955年12月
  • 『0学級の子供たち』、誠信書房、1956年
  • 『成金太平記』上巻、朋文社、1956年
  • 「愛の田園交響楽(三重苦の子等に捧げる青年教師の愛情)」『婦人生活』第10巻第7号、同志社、1956年7月1日、162 - 179頁、NDLJP:2324928/79 
  • 『事実感激 荒波の中の少年群』、絵亀山ひろし、『中学生の友』第33巻第5号所収、小学館、1956年7月
  • 『この子らに光を』、絵中山正美、『中学生の友』第33巻第7号所収、小学館、1956年9月
  • 『戦後派金豪列伝 金豪』、朋文社、1957年
  • 『艶筆葛の葉物語』、艶筆文庫、文芸評論社、1957年
  • 『BBSの女 わが愛のすべてを』、朋文社、1957年
  • 『偉人物語 愛の十字架を背おって』、絵石井達治、『中学生の友』第34巻第2号所収、小学館、1957年5月
  • 『スター物語 あこがれの丘に花咲く 八潮悠子の巻』(八潮悠子)、女学生の友』第8巻第5号所収、小学館、1957年8月
  • 『偉人物語 三重苦の聖者』、絵石井達治、中学生の友』第34巻第5号所収、小学館、1957年8月
  • 『スター物語 私のすべてをささげて 中村雅子の巻』(中村雅子)、女学生の友』第8巻第6号所収、小学館、1957年9月
  • 『世界有名実録小説 ヒマラヤ山中逃走記』、原作H・ハーラー、絵岩田浩昌、中学生の友』第34巻第8号所収、小学館、1957年11月
  • 踏みはずした春』、朱雀社、1958年
  • 『南極の髭』、『週刊新潮』第3巻第18号通巻117号所収、新潮社、1958年5月
  • 『人物伝記 目にもとまらぬ快速球』、絵石井達治、『小学六年生』第11巻第8号所収、小学館、1958年10月
  • 『ニュースストーリー 僕の名は建築士』、『中学生の友』第35巻第8号所収、小学館、1958年11月
  • 『町で拾った実話 狩野川の孤児』、『小学六年生』第11巻第10号所収、小学館、1958年12月
  • 『わき役人生 PTAてんやわんやの巻』、刀江書院、1959年
  • 『この空はかぎりなく』、刀江書院、1959年
  • 『山岳小説 響けアルプスの鐘』、絵霜野二一彦、『中学生の友』第35巻第11号所収、小学館、1959年2月
  • 『不幸にもめげず 一家をせおう中学生 - 神戸市太田中学三年 山口雅弘君』、『中学二年コース』第2巻第12号所収、学習研究社、1959年3月
  • 『心に太陽をもて』、絵輪島清隆、『6年の学習』第13巻第12号所収、学習研究社、1959年3月
  • 『ニュース物語 日本のパパさんありがとう』、『小学三年生』第14巻第4号所収、小学館、1959年7月
  • 『バレリーナ物語 永遠の白鳥』、絵遠藤てるよ、『女学生の友』第10巻第6号所収、小学館、1959年8月

1960年代[編集]

  • 『海に叫ぶ歌』、絵中野淳
    • 第1-3話、『中学時代二年生』第4巻第10号 - 第4巻第12号所収、旺文社、1960年1月 - 同年3月
    • 第4-6話、『中学時代』第12巻第1号 - 第12巻第3号所収、旺文社、1960年4月 - 同年6月
  • 『ニュースストーリー そのあとを追え!』、『小学四年生』第39巻第1号所収、小学館、1960年4月
  • 『ダイヤル119番 はたらく消防物語』、有明書房、1961年
  • 『江戸火消年代記』、創思社、1962年
  • 『われら日本一のポスト・マン』、絵梁川剛一、『中学生の友』第38巻第11号所収、小学館、1962年2月
  • 『火事と喧嘩は江戸の花 日本の火災』、『安田火災海上 繁栄に奉仕する』所収、フジ・インターナショナル・コンサルタント出版部、1963年
  • 『鳶太平記』、南北出版サービスセンター、1966年
  • 『女であることの幸せを』、『食生活』第61巻第6号通巻687号所収、カザン、1967年6月
  • 『消防100年史』、共著小鯖英一、創思社、1968年
  • 『八光流宗家奥山龍峰』、創思社、1969年

1970年代[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 藤口透吾国立情報学研究所、2012年11月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 藤口透吾、人物レファレンス事典、日外アソシエーツ、2012年11月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 藤口透吉、芥川賞のすべて、2012年11月1日閲覧。
  4. ^ 日本少年 31(5)国立国会図書館、2012年11月1日閲覧。
  5. ^ a b 藤口, 透吾, 1909-1970、国立国会図書館、2012年11月1日閲覧。
  6. ^ 踏みはずした春日本映画データベース、2012年11月1日閲覧。
  7. ^ a b 痛快ブック、戦後日本少年少女雑誌データベース、2012年11月1日閲覧。

参考文献[編集]

関連事項[編集]

外部リンク[編集]