菊池重三郎
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菊池 重三郎(きくち しげさぶろう、1901年7月3日-1982年4月16日)は、日本の作家、翻訳家。
経歴[編集]
宮崎県臼杵郡北方村(延岡市) で生まれる[1]。1920年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、1925年、立教大学文学部英文科を卒業[2]。1925年から3年間、麻布中学校の英語教師を務め、1928年渡欧し、1930年帰国[3]。
研究社、春秋社、新潮社に勤務し、傍ら文筆活動にも努める[4]。
新潮社で、1950年「芸術新潮」編集代行として創刊から62号まで携わり、1955年退職[5]。
晩年の島崎藤村と交流があり、1947年の木曾馬籠の藤村記念館の設立に尽している[6]。『馬籠』を書いたほか、『チップス先生さようなら』などを訳し、1968年には、「故郷の琴」で[7]、宮崎県文化賞を受賞[6]。1982年4月16日に心不全のため逝去した[6]。
著書・翻訳書[編集]
著書[編集]
- 『冬の仕度』、大地舎、1927年
- 『欧羅巴物語』、研究社 1931年
- 『霧と光の消息 続欧羅巴物語』、春秋社、1934年
- 『馬籠 藤村先生のふるさと』東京出版 1946年
- 『世界探検物語』豊島与志雄と共著 新潮社 1948年
- 『英吉利乙女』、暮しの手帖社 1951
- 『鸚鵡の宿』新潮社、1955年
- 『ヤコブの梯子』、河出書房 1956年
- 『天国のふもと』、新潮社、1959年
- 『木曽路の旅 自然と人と』秋元書房、1962年
- 『閉じられた都ラサ・南極のスコット』 (ジュニア版 世界の名作)、国土社、1965年
- 『故郷の琴』、三彩社、1968年
- 『空から来たカルテロ』、三彩社、1969年
- 『木曽妻籠』、東京新聞出版局、1972年
翻訳書[編集]
- 『沙翁物語』メアリー・ラム、『ワグネル物語』マツクスパデン、改造社、1930年
- 『少年探偵エミール』エーリッヒ・ケストナー、中央公論社、1934年
- 『繪で説いた生物の謎』、トマス・ジェームス・ローランド 新潮社 1939年
- 『バンビの歌』 (世界名作家庭文庫)、フェーリクス・ザルテン、主婦之友社、1940年
- 『それでも地球は動く』第1-3部、ハルサーニ・ジョルト、新潮社、1942-44年
- 『チップス先生さようなら』、ジェームズ・ヒルトン 新潮社、1952年
- 『浮浪者の静かな物語』ウィリアム・ヘンリー・デイヴィーズ、新潮社、1956年
- 『みんなこうして生きている』 トマス・ジェームス・ローランド、小山書店新社、1959年
- 『コロンブスの航海日記』冨山房、1961年
- 『アラバマ物語』、ハーパー・リー、暮しの手帖社、 1964
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 日本文藝家協会・編『文藝年鑑』新潮社