興臨院
ナビゲーションに移動
検索に移動
興臨院 | |
---|---|
方丈前庭 | |
所在地 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町80 |
位置 | 北緯35度2分33.11秒 東経135度44分43.98秒 / 北緯35.0425306度 東経135.7455500度座標: 北緯35度2分33.11秒 東経135度44分43.98秒 / 北緯35.0425306度 東経135.7455500度 |
宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
寺格 | 大徳寺塔頭 |
創建年 | 大永年間(1521年~1528年) |
開基 | 畠山義総 |
文化財 | 本堂、表門、唐門(重要文化財) |
法人番号 |
4130005001209 ![]() |
興臨院(こうりんいん)は、京都府京都市北区紫野にある臨済宗の寺院。臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭。通常は公開されていない。
歴史[編集]
大永年間(1521年- 1528年)に、能登国の戦国大名・畠山義総が大徳寺86世の小渓紹ふ(「ふ」は「付」の下に「心」、仏智大通禅師)を開山として建立、以来畠山家菩提寺となる。創建年次については天文2年(1533年)ともいう。その後、畠山家が没落するが天正14年(1586年)に加賀百万石の基礎を築いた戦国大名・前田利家により改修が行われ、前田家の菩提寺となり庇護される[1]。
建造物[編集]
- 本堂 - 室町時代の方丈建築様式の特徴をみせる入母屋造・檜皮葺の建物[2]。床の間は日本で最初のものであるといわれる。また、かつて狩野元信や土佐光信などの障壁画を飾っていたとされるが幕末から明治維新の混乱期に失われた。全20面ある襖絵は、福岡県久留米市の水墨画家、村石米齋によって執筆された。
- 玄関(唐門) - 檜皮葺の門で、室町時代の禅宗建築様式の特徴がみられる。
- 表門 - 檜皮葺の平唐門で、大徳寺でも古い門のひとつに数えられる[2]。
- 涵虚亭(かんきょてい) - 蘇軾の詩から名付けられた古田織部好みの四畳台目に隅板を加えた茶室で、床の間は袖壁が出ているために洞のように見えることから洞床(ほらどこ)と呼ばれている。
庭園[編集]
文化財[編集]
重要文化財[編集]
- 本堂(方丈)(附 玄関、旧桟唐戸格狭間2組、旧鴨居引付用鎌、旧敷居)
- 表門
- 椿尾長鳥模様堆朱盆
アクセス[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 竹村俊則『昭和京都名所図会 5 洛中』、駸々堂、1984
- 竹貫元勝『京都の禅寺散歩』、雄山閣、1994
- 佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦編『京都大事典』、淡交社、1984