綿引氏

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綿引氏
本姓 藤原氏または嵯峨源氏渡辺氏族
主な根拠地 常陸国
凡例 / Category:日本の氏族

綿引氏(わたひきし)は、日本氏族[2]

概略[編集]

綿引氏は常陸国豪族本姓藤原氏。延喜式内社藤内神社に「大檀那綿引藤原朝臣道朝」の棟札が残るという[2]。また、嵯峨源氏渡辺氏族とも。

佐竹家臣 綿引氏[編集]

この一族に佐竹家臣たる綿引氏がある。綿引理右衛門の家系は、理右衛門※が慶長7年(1602年)の佐竹氏秋田転封に随い、秋田に下向、秋田藩士となった[3]

系譜 綿引理右衛門※―理右衛門―光林―岡之助光廣

水戸藩の尊王志士・義民として活動した綿引姓の人物[編集]

また、常陸国に残留した綿引氏は城下に住まう水戸藩士の他、郷士として取り立てられた者、百姓となった者とあり、久慈郡松栄村那珂郡東野村茨城郡青山村下青山村に住み、それぞれ子孫は幕末維新期志士義民として活躍した。

脚注[編集]

  1. ^ 日本家紋研究会編『家紋でわかるあなたの祖先 茨城県北部地方』(日本家紋研究会、2001年)42頁参照。
  2. ^ a b 太田亮著、上田萬年三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)6649頁参照。
  3. ^ 子孫に綿引佐久がいる。常陸太田市史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』(常陸太田市、1982年)425頁、秋田県公文書館編『系図目録I』(秋田県、2001年)65頁参照。
  4. ^ 明田鉄男『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社1986年)349頁参照。
  5. ^ 明田鉄男前掲書(新人物往来社、1986年)378頁参照。
  6. ^ a b 明田鉄男前掲書(新人物往来社、1986年)428頁参照。
  7. ^ 明田鉄男前掲書(新人物往来社、1986年)426頁参照。
  8. ^ a b 明田鉄男前掲書(新人物往来社、1986年)343頁参照。
  9. ^ 明田鉄男前掲書(新人物往来社、1986年)235頁参照。

参考文献[編集]

  • 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)ISBN 4404013353
  • 秋田県公文書館編『系図目録I』(秋田県公文書館、2001年)
  • 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)
  • 日本家紋研究会編『家紋でわかるあなたの祖先 茨城県北部地方』(日本家紋研究会、2001年)
  • 常陸太田市史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』(常陸太田市、1982年)

関連項目[編集]