稲垣長剛

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稲垣 長剛
時代 江戸時代後期
生誕 文政4年8月18日1807年9月19日
死没 弘化4年2月14日1847年3月30日
改名 鶴三郎・鶴之丞・露之丞(幼名)、長剛
戒名 全達天真大応院
墓所 群馬県伊勢崎市の天増寺
官位 従五位下、対馬
幕府 江戸幕府
志摩国鳥羽藩
氏族 稲垣氏
父母 父:稲垣長続、母:三浦前次の娘・勝
兄弟 長興久五郎勇三郎長剛
正室:小出英筠の娘・
側室:アヤノ
長明重興(次男)、勇三郎、
娘(木下俊方正室のち京極高富正室)、
娘(本多正訥継室)

稲垣 長剛(いながき ながかた)は、志摩鳥羽藩の第5代藩主。鳥羽藩稲垣家9代。

文化4年(1807年)8月18日、第4代藩主稲垣長続の四男として生まれる。世嗣だった兄長興が病弱のため廃嫡され、文政元年(1818年)9月23日に長剛が世子となる。12月29日に父が死去したため、文政2年(1819年)3月5日に家督を継いだ。

しかし病弱であり若年でもあるため、文政6年(1823年)までは隠居していた先々代藩主長以が藩政を後見した。天保10年(1839年)に江戸屋敷が全焼して御用金を課すなどしている。また、悪化していた藩財政再建を目指したが、効果は無かった。

天保13年(1842年)5月11日、家督を長男の長明に譲って隠居する。弘化4年(1847年)2月14日に死去した。享年41。