真イエス教会

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真イエス教会(しんいえすきょうかい、True Jesus Church、中国名:真耶蘇教会)は、20世紀初頭にペンテコステ運動から生まれた、キリストプロテスタント系宗教組織、グループ。 現在教会は、6つの大陸、37ヶ国に約150万人の会員を擁す。

歴史[編集]

真耶蘇教会は1917年北京でペンテコステ運動の影響で設立。創設者は張霊生である。 彼は37歳で長老教会に入信、執事も勤める。1909年に長男が上海信心会で聖霊の教義を耳にした。同年の旧暦の12月21日に聖霊を受けた、とされる。翌年セブンスデー・アドベンチスト教会の影響により安息日を土曜日とした。1913年には自宅で「耶蘇真教会」を始める。1917年「神教会」の影響を受け、按手を受け長老となる。1918年魏パ ウロと協力して「万国更正教真耶蘇教会」を設立した[1]

張霊生と協力し、真耶蘇教会の教義に影響が大きかったのが魏パウロ (魏保羅)である。安息日を土曜日とする教義を採用したのは彼である。信心会の長老の投手によって病が癒されたことを機に、入信する。1917年に「顔を下にして洗礼をせよ」という声が聞こえ、洗礼の方法の教義が示されたとされる。また彼が「真耶蘇教会」の名前を確定した[1]

その後、教会は中国から台湾東南アジア、日本及び韓国に広がった。日本国内では東京大阪前橋羽曳野市住吉及び御崎に教会が設立された。また、坂井市上田、及び羽犬塚に祈りの家がある[要出典]

日本国内での伝道[編集]

須田清基(1888-1981年) は日本での伝道者である。彼は群馬県安中市に生まれた。救世軍士官学校、東京聖書学院、台北神学校等にて学んだのち、ホーリネス教団の福音使として宣教していたが、真イエス教会に触れ1927年受洗した。そして日本人唯一の伝道者となる。1923年には軍籍を離脱し、戦後は帰国し日本にて宣教および社会活動を行った。内村鑑三中田重治らの影響を受けている[1]

中国での教勢[編集]

中国においては、1880年代から西欧人宣教師によらない「中国人による教会」を立てようとする動きがはじまり、複数の教派が大きな成功を収めた。中華人民共和国設立時点(1949年)で、真イエス教会は中国人による教会としては信徒総数が1番多い12万人5000人であった。しかし1949年以降、中国でのキリスト教信仰は制限された[2]

台湾への進出と教勢[編集]

台湾へは1926年に伝わり、第二次世界大戦後には信徒5000人となった。戦後は台湾に本部を移し、さらに増加し信徒数は約7万人に達している(2005年)[3]。国内では、カトリック教会、長老教会、地元にあって合一である立場に立つ教会、についで第4の規模を有する教勢となっている[2]

教義の特徴[編集]

教義の特徴としては以下が挙げられる[1]

  1. 聖書主義に基づき洗礼・洗足・聖餐・安息日・聖霊の五大教義を持つ
  2. 神観は(父・子・聖霊の)三位一体と異なり、ともにイエス・キリストが姿を変えて現れた、というワンネス系の神観を有する
  3. セブンスデー・アドベンチスト教会の教義を研究し、安息日を土曜日とする教義を採用
  4. 洗礼は「顔を下にして」行なう

批判[編集]

東京基督教大学 国際宣教センター・日本宣教リサーチの『JMR調査レポート(2017年4月)』[4]では「教義上あるいは信仰の実践上、キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難とされるグループや教会の1つ」として、イエス之御霊教団、萬国福音教団、聖書研究会、基督心宗教団、復元イエス・キリスト教団、セブンスデー・アドベンチスト教会、アメン教団、日本基督召団、地元に在って合一である立場に立つ教会、原始福音(キリストの幕屋)、同仁キリスト教団と共に真イエス教会を挙げている。

参考文献[編集]

  • 藤野 陽平「台湾キリスト教の歴史的展開--プロテスタント教会を中心に (特集 文化人類学の現代的課題(2)) -- (民俗宗教から観光研究まで)」『哲学』第119巻、三田哲學會、2008年3月、 319-321頁、 NAID 110007409515

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 藤野 (2008),p.319-320
  2. ^ a b D・B・バレット(編) 『世界キリスト教百科事典』 教文館、1986年、527,553頁。ISBN 978-4-7642-4004-9 
  3. ^ 藤野 (2008),p.319
  4. ^ 『JMR調査レポート(2017年4月)』

関連項目[編集]

外部リンク[編集]