生肖

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十二生肖(じゅうにせいしょう)または十二属相(じゅうにぞくしょう)は十二支に)の十二の動物を当てたものである。なおここで、「酉」は漢字の読みとしては「とり」だが、意味は「にわとり」である。

その内訳を見ると、牛・馬・羊・鶏・犬・豚は六畜と呼ばれる古代中国における代表的な家畜である。また鼠・牛・虎・兎・龍・馬・羊・犬・豚は漢字において意符となり、部首となっている。このうち龍のみが想像上の動物である。なお、部首となっている動物名は他に(総称的なものを別にして)鹿がある。

国による相違[編集]

イノシシとブタ[編集]

ロシアでも十二支は親しまれている。次の年(2010年)の干支グッズ(トラ)を売る露店。ロシアヤロスラーヴリ、2009/11。

亥に当てられるのは本来、ブタであり、日本のイノシシが特殊である。

漢字の「猪」は中国ではブタも含めた言葉であり、イノシシのみを指す場合は「野猪」や「山猪」と呼ぶ。

日本では、古くはブタを「イ」と呼んでいたが、ブタを飼う習慣が廃れブタがいなくなると、イノシシを「イ」と呼ぶようになった。そのため、「亥」の獣もブタからイノシシとなった[1]。たとえば、日本の『古事記』などに登場する上代の「猪飼/猪甘」(いかい)を、仏教普及以前の日本にも存在した豚飼いのこととする説もある。

ヒツジとヤギ[編集]

未に当てられる漢字の「羊」は、中国ではヒツジだけでなくヤギをも含めた言葉であり(区分する時は、ヒツジは「綿羊」とヤギは「山羊」とする)、干支に当てる時も両者を区分しない。ここから、干支を英訳した場合も、未に当てられるのはGoat(ヤギ)あるいはSheep(ヒツジ)とされる。

一方、日本では、ヒツジ及びヤギの存在は知られていたが、家畜としての定着は遅かった(ヤギはようやく近世になって九州の一部に定着したが、温暖湿潤な日本の気候に馴染みにくいヒツジは近代まで国内の飼育記録すら少ない動物であった)。そのため日本においては両者を混同する習慣がなく、「羊」という漢字はヒツジのみを表すようになっているため、未にはヒツジが専ら当てられている。

その他の相違[編集]

本節では、「亥が本来はブタである」ことは既述したため、中国以外の国でも同様である事をあえて述べることはしない。

ベトナムでは丑は水牛、卯は、未は山羊に変わる。

タイでは未は山羊に変わる。

モンゴルでは寅の代わりにを用いることがある。

西アジア東ヨーロッパの一部の地域にも若干の差異があることがあるものの十二支の風習がある。ただし、インドでは酉(とり、鶏)はガルダ (ガルーダ=インド神話の神鳥)に、アラビアでは辰(たつ、龍)はワニに、イランでは辰(たつ、龍)はクジラに、ブルガリアでは寅(とら、虎)が猫にそれぞれ置き換わる[2]ロシアの十二支はアジアのそれと全く同じである。

二十八宿[編集]

二十八宿周は360度に対応し、その後十二支30度のそれぞれに分岐、正確干支対応することができます。[3]

四象/七曜
東方青龍 角木蛟 亢金(辰宮) 氐土貉 房日(卯宮) 心月狐 尾火(寅宮) 箕水豹
北方玄武 斗木獬 牛金(丑宮) 女土蝠 虛日(子宮) 危月燕 室火(亥宮) 壁水貐
西方白虎 奎木狼 婁金(戌宮) 胃土雉 昴日(酉宮) 畢月烏 觜火(申宮) 參水猿
南方朱雀 井木犴 鬼金(未宮) 柳土獐 星日(午宮) 張月鹿 翼火(巳宮) 軫水蚓

歴史[編集]

その成立時期は従来、後漢王充論衡』にあることから後漢頃とみなされていた。が、湖北省雲夢県の睡虎地秦墓から1975年に発見された竹簡睡虎地秦簡)のうち卜占に関する『日書』の部分に十二生肖の記述が見つかり、紀元前200年代のの時代には既に成立していたことが分かった。『日書』には次のようにある。

「子、鼠也。…丑、牛也。…寅、虎也。…卯、兔也。…辰、(原文脱落)。…巳、蟲也。…午、鹿也。…未、馬也。…申、環也。…酉、水也。…戌、老羊也。…亥、豕也」

(訳:子とは鼠(ねずみ)である。…丑とは牛である。…寅は虎である。…卯は兎である。…辰は(原文脱落)。…巳は蟲(むし、へびか?)である。…午は鹿である。…未は馬である。…申は環である。…酉は水である。…戌とは老いた羊である。…亥は豕(ぶた)である。)

比較すると「子鼠・丑牛・寅虎・卯兔・亥豕」は現在と一致し、「巳蟲・申環・酉水」も現在の蛇・猿・鶏と関連すると考えられている。ただ、「午鹿・未馬・戌老羊」というところに鹿が入り、そのかわり犬がない。順序も異なっていた。

唐代になると十二生肖を象った彫像が作られるようになり、獣頭人身で手に笏をもち文官の服を着る姿で表された。これらは墳墓の副葬品に入れる陶俑として作られたり、墓誌銘の四周に彫刻されたりした。またこれらの彫像は仏教において薬師如来の眷属である十二神将を表すのに用いられて日本に伝播し、武人像の下に十二生肖を彫刻したり、十二生肖の獣頭人身の姿で作られたりされた。また朝鮮半島には統一新羅時代に伝播し、慶州の墳墓などに見られるが、文官ではなく武官の姿に象られ、ただ十二生肖を象ったものなのか十二神将であるのかは定かではない。

また民間において紀年や人の生年を表すのに使われるようになった。特に新年を迎える際に用いられ、中国では春節(旧正月)になると新年の十二生肖にちなんだ催しが開かれ、日本でも正月のやりとりする年賀状の図案に使用される。なお各国において割り当てる動物に若干の異なりがある。

由来に関する説話[編集]

十二支像・丑
北京市円明園
十二支像・亥

いつ頃生まれた話かは不明であるが、世界各地に、十二支の動物に関しての類似した説話がある。細部はさまざまだが、十二支の動物を決める立場の者が動物たちを召集し、先着順に決めたという物語である。

召集した者については、

などがあり、召集した日付には

  • 元日の朝、新年のあいさつとして。
  • 次の新月の日。
  • 特に説明がない普通の日。

などがある。

そしてその結果について、多くの話では次の2点で一致している。

  • 牛は足が遅いので早めに行ったものの、一番乗りしたのは、牛の背中に乗っていたあるいはにしがみついていた、しっぽにぶら下がっていた鼠だった。牛は悔しくて怒ったこともあれば特に気にしなかったと二つの対応があった。
  • 猫に挨拶に行く日を尋ねられた鼠は嘘をつき、実際よりも1日遅い日を教えたため、猫は十二支に入ることができなかった。それを根に持った猫は鼠を追いかけるようになった。また猫は、1日遅れで着いたときにお釈迦様から「今まで寝ていたのか。顔を洗って出直して来い」と言われ、それからよく顔を洗うようになった。そもそも猫は召集を知らされなかったという話もある[5]

さらに、次のような話が追加されていることがある(必ずしも相互に整合性はない)。

  • 鶏が猿と犬の間になったのは、仲の悪い両者を仲裁していたため[9]
  • 神は「十支」にするつもりでいちど門を閉めたのだが、猪の体当たりで門を破られた。しかし猪が目を回している間に、犬が先に入ってしまった[4]
  • 猪は、自分は足が速いからと油断して寝過ごし、最後になってしまった[5]
  • 猪は足が速かったが、猪突猛進して門の前を通り過ぎて、最後になってしまった[9]
  • 13番目の到着者について、いくつかの異なる話がある。
    • (いたち)。十二支に入れなかった鼬をかわいそうに思ったお釈迦様は、代わりに毎月の最初の日を「つ鼬(ついたち)」と呼ぶことにした。ただし実際の「ついたち」の語源は「月立(つきたち)」である。
    • 。「もう帰る(かえる)」と言って去っていった[4]
    • 鹿

出典[編集]

  1. ^ 南方熊楠 (1923)『十二支考 10 猪に関する民俗と伝説
  2. ^ 例えば、次に示すサイトで扱われているようなカレンダーが昔から流通している。Тангра/ТанНакРа (英語・ブルガリア語)
  3. ^ 蔡伏篪(蔡衡):〈十二生肖的產生——來自黃道十二星垣與廿八星宿的關係〉。
  4. ^ a b c 川内彩友美『十二支のゆらい(まんが日本昔ばなし)』1999、講談社
  5. ^ a b c 沖縄市文化財調査報告書第26集『むかしばなしⅠ』沖縄市の民話
  6. ^ 伊江村の民話遠藤庄治沖縄国際大学教授)採集
  7. ^ 『中国幼児故事精選』より
  8. ^ 『越後山襞の語りと方言』より | 長岡市の民話
  9. ^ a b 岩崎京子二俣英五郎『十二支のはじまり(日本の民話えほん)』1997、教育画劇