「マンガルール」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
Krorokeroro (会話 | 投稿記録) frame-latitude frame-longitude (ヌル島を表示していたので), Location map |
||
17行目: | 17行目: | ||
|位置図サイズ指定 = |
|位置図サイズ指定 = |
||
|位置図の見出し = |
|位置図の見出し = |
||
|位置図B = {{Location map|India |
|位置図B = {{Location map|India#India Karnataka|relief=1|float=center|label=マンガルール}} |
||
|位置図2 = |
|位置図2 = |
||
|位置図サイズ指定2 = |
|位置図サイズ指定2 = |
||
|位置図の見出し2 = |
|位置図の見出し2 = |
||
|位置図2B = {{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=270|frame-height= |
|位置図2B = {{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=270|frame-height=160|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|frame-latitude=12.86|frame-longitude=74.93}} |
||
|緯度度 =12 |緯度分 =52 |緯度秒 = |N(北緯)及びS(南緯) =N |
|緯度度 =12 |緯度分 =52 |緯度秒 = |N(北緯)及びS(南緯) =N |
||
|経度度 =74 |経度分 =52 |経度秒 = |E(東経)及びW(西経) =E |
|経度度 =74 |経度分 =52 |経度秒 = |E(東経)及びW(西経) =E |
2020年11月30日 (月) 17:05時点における版
マンガルール トゥル語:ಕುಡ್ಲ,Kudla カンナダ語:ಮಂಗಳೂರು, Mangalūru 英語:Mangaluru | |
---|---|
マンガルールの公会堂 | |
位置 | |
座標 : 北緯12度52分 東経74度52分 / 北緯12.867度 東経74.867度 | |
行政 | |
国 | インド |
州 | カルナータカ州 |
県 | ダクシナ・カンナダ県 |
市 | マンガルール |
市長 | Kavita Sanil [1] |
地理 | |
面積 | |
市域 | 184 km2 |
標高 | 22 m |
人口 | |
人口 | (2011年現在) |
市域 | 484,785人 |
その他 | |
等時帯 | インド標準時 (UTC+5:30) |
夏時間 | なし |
Pincode | 5750〇〇 |
市外局番 | +0824 |
ナンバープレート | KA19 |
公式ウェブサイト : https://www.webcitation.org/66HaSY8Zs?url=http://www.mangalorecity.gov.in/ |
マンガルール(トゥル語:ಕುಡ್ಲ, Kudla; カンナダ語:ಮಂಗಳೂರು, Mangalūru)、旧称マンガロール(英語:Mangalore)とは、インド・カルナータカ州にある港湾都市である。東は西ガーツ山脈が迫り、西はアラビア海に面している。16世紀にポルトガルが占領し、積出し港として発展した。インドにおけるキリスト教の中心地。
由来
マンガルールの名前は、地元で信仰を集めているヒンドゥー教の女神マンガラデーヴィーからきており、同名の寺院マンガラデーヴィー寺院もある。
歴史
イブン・バットゥータも訪れるなど重要な港湾であったため古来、多くの王朝が覇を競ったが、1763年にマイソール王国のハイダル・アリーがケラディ・ナーヤカ朝を滅ぼした際、マンガロールの支配も同国に移った。
マンガルールはその後、マイソール王国の外港として使用されたが、1767年にはイギリスの支配下となった。
しかし、1783年にはハイダル・アリーの息子ティプー・スルターンが第二次マイソール戦争でこの地を奪い、再び外港として使用されることとなった。
1792年にイギリスが第三次マイソール戦争でティプー・スルターンを破り、シュリーランガパトナ条約でこの地を割譲させると、1947年のインド独立までイギリス領マドラス管区に属することとなった。
独立後は国道17号線や鉄道も整備され、海上のみならず陸上交通の要所ともなっている。
住民
カンナダ語州であるカルナータカ州に属するが、住民はトゥル語を話し、トゥル語話者の中心的な都市となっている。