「復興号」の版間の差分

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(冷気平快(車)関連等の加筆)
'''復興号'''(ふっこうごう)は[[台湾鉄路管理局]]が運行している列車の一つである。
 
「復興号」の「復興」という名称は[[中華民国]]総統[[蒋介石]]が[[中国]]での[[文化大革命]]に反対して[[1966年]]に{{仮リンク|中華文化復興運動|zh|中華文化復興運動}}を提案したことに由来して命名された。復興号の前身は'''冷気対号'''であり、[[{{仮リンク|キョ|{{lang|zh-tw|莒光號附掛復興號}}光号]]'''連結さ組み込まれて運行しいた「'''[[キョ興冷気対|{{lang|zh-tw|莒}}興号]]'''と称された。[[1981年]]」であり、運行管理の利便化を目的として[[1981年]]に{{lang|zh|莒}}興号より分離されることとなり、を[[キョ光号|{{lang|zh-tw|莒}}]]と「冷気対号」とに分離した際、「冷気対号」が復興号という独自の列車となった。
 
また車輌等級以外に鉄道運賃計算では4種類の運賃体系の中で三番目の運賃等級の名称として使用されている。[[2007年]]現在、運賃は1kmあたり1.46[[ニュー台湾ドル|NTD]]である。このほか、[[通勤電車 (台湾)|通勤電車]]({{lang|zh-tw|通勤電聯車}})、[[冷気柴客|支線用冷房気動車]]({{lang|zh-tw|支線冷氣柴油車}})も当該等級での運賃計算を行い、切符上には「復興/電車」と印字表示されている。[[2006年]][[11月1日]]、台鉄は電車の等級を廃止し、不対号の復興号及び[[通勤電車 (台湾)|電車]]を[[区間車]]として統合し、運賃は復興号の運賃体系に基づき計算されている。
 
== 概要 ==
[[1980年代]]、台鉄は台湾[[唐栄鉄工廠]]に対し空調客車120両を発注した。[[1980年]][[2月]]、最初の15両が引渡され、[[キョ光号|{{lang|zh-tw|莒}}光号]]にて従来の客車との混合編組での運行が開始された。この車輌を一般に'''{{lang|zh-tw|莒}}光特快附掛対号'''と称されている。
 
1980年[[7月16日]]、台鉄はこれら新型車輌と比較的内装が高級であった[[キョ光号|{{lang|zh-tw|莒}}光号]]車両との混合編成を[[台北駅|台北]]-[[花蓮駅|花蓮]]間及び台北-[[高雄駅|高雄]]間に投入し'''{{lang|zh-tw|莒}}興号'''(6次、39次、44次、15次)として運行した。この段階で台鉄の上級列車は[[自強号]]、{{lang|zh|莒}}光号と{{lang|zh-tw|莒}}興号の3本立てとなった。{{lang|zh-tw|莒}}興号はその他等級の列車同様[[電力機関車]]或いは[[ディーゼル機関車]]により牽引されていた。
 
当初投入された15両の新型車輌は内装が日本製の{{lang|zh|莒}}光号と類似していた。新型冷気対号快車が工場出荷される際には当初特別な名称は無く、単に'''{{lang|zh|莒}}光特快附掛対号'''と称されていた。そのため新型車輌の車体塗装は、僅かに区別用の白線が付された他は{{lang|zh|莒}}光号の車両と同一のものが採用され、僅かに白線が付され区別され、{{lang|zh-tw|莒}}興号で運用される時は'''冷気対号'''と称されていた。
 
1980年から走り始めた{{lang|zh|莒}}興号は同一列車でありながら座席により{{lang|zh-tw|莒}}光号と冷気対号に分類され運賃体系も異なっていた。しかし同一時刻に運行される同一列車に異なる等級を設定することは運行上の不便となり、[[1981年]][[12月28日]]に120輌の車輌が完成後、混合編成による莒}}興号の運行は廃止され、冷気対号正式に'''復興号'''として独立した。
 
[[1985年]]になると、復興号の車輌不足から旧型車輌更新の名目で[[唐栄鉄工廠]]により35SPK2200、35SPK2150、35SPK20200型復興号車輌が製造された。この新型車量の最大の特徴はデッキ部に自動ドアを設置し、空調設備を屋根に配置したことにある。
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