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'''真継伸彦'''(まつぎ のぶひこ、[[1932年]][[3月18日]] - [[2016年]][[8月22日]]<ref name="mainichi20160824" />)は、[[日本]]の[[作家]]。元[[姫路獨協大学]][[教授]]。[[京都市]]生まれ。[[京都大学]]文学部卒。 |
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大学の独文科卒業後の1954年に上京し、[[創元社]]の校正アルバイトに就き、1955年に[[専修大学]]図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉本克己の死」の一部を発表。 |
大学の独文科卒業後の1954年に上京し、[[創元社]]の校正アルバイトに就き、1955年に[[専修大学]]図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉本克己の死」の一部を発表。 |
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[[一向一揆]]を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から[[青山学院大学]]ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊から[[浄土真宗]]に帰依する男を描いた[[歴史小説]]『鮫』で[[文藝賞]]を受賞。これに第二篇を加えて翌年刊行、また[[萬屋錦之介|中村錦之助]]主演で[[東映]]で映画化された。その後[[芝浦工業大学]]に勤め、1967年に腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆を扱った続編『無明』執筆を開始。1968年に[[桃山学院大学]]に移り、当時の[[大学闘争]]の対応に追われながら、翌年発表。この続編『華厳』や、『親鸞』など、信仰の問題を追求した作品が多い。 |
[[一向一揆]]を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から[[青山学院大学]]ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊から[[浄土真宗]]に帰依する男を描いた[[歴史小説]]『鮫』で[[文藝賞]]を受賞。これに第二篇を加えて翌年刊行、また[[萬屋錦之介|中村錦之助]]主演で[[東映]]で映画化された。 |
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その後、[[芝浦工業大学]]に勤め、1967年に腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆を扱った続編『無明』執筆を開始。1968年に[[桃山学院大学]]に移り、当時の[[大学闘争]]の対応に追われながら、翌年発表。この続編『華厳』や、『親鸞』など、信仰の問題を追求した作品が多い。 |
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宗教小説以外の代表作としては、[[スターリン批判]]と[[ハンガリー動乱]]に揺れるある大学の[[日本共産党|共産党]][[細胞 (政党)|細胞]]の苦悩を描いた『光る聲』。実際にあった事件をモデルに、党の上部組織を批判できない立場の悲喜劇を「受難としての生命現象」として捉えている。他には『青空』、エッセー集『破局の予兆の前で』などがある。 |
宗教小説以外の代表作としては、[[スターリン批判]]と[[ハンガリー動乱]]に揺れるある大学の[[日本共産党|共産党]][[細胞 (政党)|細胞]]の苦悩を描いた『光る聲』。実際にあった事件をモデルに、党の上部組織を批判できない立場の悲喜劇を「受難としての生命現象」として捉えている。他には『青空』、エッセー集『破局の予兆の前で』などがある。 |
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1970年代に[[真継豊子]]と離婚、若い女性と再婚した(真継豊子『女運あれど男運なし』) |
1970年代に[[真継豊子]]と離婚、若い女性と再婚した(真継豊子『女運あれど男運なし』) |
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姫路獨協大学教授を務めたが、定年前に解雇通告され、無効を求めて他の二人の教授とともに提訴、2005年9月勝訴した。 |
姫路獨協大学教授を務めたが、定年前に解雇通告され、無効を求めて他の二人の教授とともに提訴、2005年9月に勝訴した。 |
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[[囲碁]]を趣味とし、かつて行われていた文壇名人戦・文壇本因坊戦などで強豪として知られ、プロ棋戦観戦記の執筆も行い、囲碁に関する著作もある。 |
[[囲碁]]を趣味とし、かつて行われていた文壇名人戦・文壇本因坊戦などで強豪として知られ、プロ棋戦観戦記の執筆も行い、囲碁に関する著作もある。 |
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[[2016年]][[8月22日]]、急性肺炎により死去。84歳没<ref name="mainichi20160824">{{Cite news|title=作家の真継伸彦さん死去、84歳 仏教の本質に迫る|newspaper=毎日新聞|date=2016年8月24日19時41分|url=http://mainichi.jp/articles/20160825/k00/00m/040/041000c|accessdate=2016-08-24}}</ref>。 |
[[2016年]][[8月22日]]、急性肺炎により死去。84歳没<ref name="mainichi20160824">{{Cite news|title=作家の真継伸彦さん死去、84歳 仏教の本質に迫る|newspaper=毎日新聞|date=2016年8月24日19時41分|url=http://mainichi.jp/articles/20160825/k00/00m/040/041000c|accessdate=2016-08-24}}</ref>。 |
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==著作一覧 == |
== 著作一覧 == |
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*『鮫』 |
*『鮫』[[河出書房新社]]、のち文庫、1964年。 |
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*『光る聲』(長編小説 |
*『光る聲』(長編小説)河出書房新社 のち[[新潮文庫]]、1966年。 |
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*『未来喪失者の行動』(評論集) |
*『未来喪失者の行動』(評論集)河出書房新社、1967年。 |
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*『無明』(長編小説 |
*『無明』(長編小説)河出書房新社、のち文庫、1970年。 |
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*『破局の予兆の前で』(評論集 |
*『破局の予兆の前で』(評論集)河出書房新社、1971年。 |
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*『真継伸彦集』新鋭作家叢書4 |
*『真継伸彦集』新鋭作家叢書4、河出書房新社、1971年。 |
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*『内面の自由』(評論集 |
*『内面の自由』(評論集)[[筑摩書房]]、1972年。 |
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*『青春の遺書』(評論 |
*『青春の遺書』(評論)筑摩書房、1973年。 |
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*『わが薄明の時』(『杉本克己の死』改題)(長編小説 |
*『わが薄明の時』(『杉本克己の死』改題)(長編小説)[[新潮社]]、1973年。 |
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*『林檎の下の顔』(長編小説 |
*『林檎の下の顔』(長編小説)筑摩書房、1974年。 |
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*『深淵への帰行』(評論集) |
*『深淵への帰行』(評論集)筑摩書房、1975年。 |
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*『親鸞』朝日評伝選 |
*『親鸞』朝日評伝選、[[朝日新聞社]]、のち選書、1975年。 |
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*『新しい宗教を求めて~私とは何か』(評論集) |
*『新しい宗教を求めて~私とは何か』(評論集)筑摩書房、1975年。 |
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*『闇に向う精神』(評論集 |
*『闇に向う精神』(評論集)構想社、1977年。 |
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*『仏教のこころ』(評論集 |
*『仏教のこころ』(評論集)筑摩書房、1979年。 |
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*『囲碁のある人生』(随筆・観戦記 |
*『囲碁のある人生』(随筆・観戦記)筑摩書房、1980年。 |
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*『無明の世界』(評論集 |
*『無明の世界』(評論集)文和書房、1981年。 |
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*『私の蓮如』(伝記 |
*『私の蓮如』(伝記)筑摩書房、1981年。 |
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*『樹下の仏陀』(長編小説)筑摩書房 |
*『樹下の仏陀』(長編小説)筑摩書房、1982年。 |
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*『青空』(長編小説)毎日新聞社 |
*『青空』(長編小説)[[毎日新聞社]]、1983年。 |
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*『男あり』(長編小説)筑摩書房 |
*『男あり』(長編小説)筑摩書房、1983年。 |
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*『現代人と救い』(評論)筑摩書房 |
*『現代人と救い』(評論)筑摩書房、1983年。 |
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*『死の彼方からの光』編集工房ノア |
*『死の彼方からの光』[[編集工房ノア]]、1984年。 |
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*『青春とはなにか 友だち・スポーツ・読書』岩波ジュニア新書 |
*『青春とはなにか 友だち・スポーツ・読書』[[岩波ジュニア新書]]、1985年。 |
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*『〈宗派別〉日本の仏教・人と教え4』(評論)小学館 |
*『〈宗派別〉日本の仏教・人と教え4』(評論)[[小学館]]、1985年。 |
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*『君よ、青春の当事者たれ 京大フットボール部全国制覇の記録』講談社、1985 |
*『君よ、青春の当事者たれ 京大フットボール部全国制覇の記録』[[講談社]]、1985年。 |
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*『はばたけ、生命(イノチ)よ お父さんの育児日記』(随筆)河出書房新社 |
*『はばたけ、生命(イノチ)よ お父さんの育児日記』(随筆)河出書房新社、1988年。 |
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*『心の三つの泉 シャーマニズム・禅仏教・親鸞浄土教』(評論)河出書房新社 |
*『心の三つの泉 シャーマニズム・禅仏教・親鸞浄土教』(評論)河出書房新社、1989年。 |
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*『「救い」の構造 日本人の魂のありかを求めて』 |
*『「救い」の構造 日本人の魂のありかを求めて』[[NHKブックス]](評論)日本放送出版協会、1991年。 |
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== 共著・翻訳など == |
== 共著・翻訳など == |
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*『日本の古典 第12巻 親鸞・道元・日蓮』共訳 |
*『日本の古典 第12巻 親鸞・道元・日蓮』共訳、河出書房新社、1973年。 |
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*『夏目漱石・森鴎外』日本の名著第2巻 編著 |
*『夏目漱石・森鴎外』日本の名著第2巻 編著、[[中央公論社]]、1974年。 |
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*『日本仏教・この人と思想』(講演集)[[梅原猛]]、[[上山春平]]、[[武内義範]]共著 |
*『日本仏教・この人と思想』(講演集)[[梅原猛]]、[[上山春平]]、[[武内義範]]共著、朝日新聞社、1974年。 |
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*『親鸞書簡集』(翻訳 |
*『親鸞書簡集』(翻訳)[[徳間書店]]、1978年。 |
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*『たった一人の道標』編著 |
*『たった一人の道標』編著、サンリオ出版社、1978年。 |
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*『個人全訳・親鸞全集』全5巻(翻訳 |
*『個人全訳・親鸞全集』全5巻(翻訳)[[法藏館]]、1982-84年。 |
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2016年8月24日 (水) 11:09時点における版
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真継伸彦(まつぎ のぶひこ、1932年3月18日 - 2016年8月22日[1])は、日本の作家。元姫路獨協大学教授。京都市生まれ。京都大学文学部卒。
人と作品
大学の独文科卒業後の1954年に上京し、創元社の校正アルバイトに就き、1955年に専修大学図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉本克己の死」の一部を発表。
一向一揆を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から青山学院大学ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊から浄土真宗に帰依する男を描いた歴史小説『鮫』で文藝賞を受賞。これに第二篇を加えて翌年刊行、また中村錦之助主演で東映で映画化された。
その後、芝浦工業大学に勤め、1967年に腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆を扱った続編『無明』執筆を開始。1968年に桃山学院大学に移り、当時の大学闘争の対応に追われながら、翌年発表。この続編『華厳』や、『親鸞』など、信仰の問題を追求した作品が多い。
宗教小説以外の代表作としては、スターリン批判とハンガリー動乱に揺れるある大学の共産党細胞の苦悩を描いた『光る聲』。実際にあった事件をモデルに、党の上部組織を批判できない立場の悲喜劇を「受難としての生命現象」として捉えている。他には『青空』、エッセー集『破局の予兆の前で』などがある。
高橋和巳、小田実、柴田翔らと同人誌「人間として」、及び「使者」で活動。
1970年代に真継豊子と離婚、若い女性と再婚した(真継豊子『女運あれど男運なし』)
姫路獨協大学教授を務めたが、定年前に解雇通告され、無効を求めて他の二人の教授とともに提訴、2005年9月に勝訴した。
囲碁を趣味とし、かつて行われていた文壇名人戦・文壇本因坊戦などで強豪として知られ、プロ棋戦観戦記の執筆も行い、囲碁に関する著作もある。
著作一覧
- 『鮫』河出書房新社、のち文庫、1964年。
- 『光る聲』(長編小説)河出書房新社 のち新潮文庫、1966年。
- 『未来喪失者の行動』(評論集)河出書房新社、1967年。
- 『無明』(長編小説)河出書房新社、のち文庫、1970年。
- 『破局の予兆の前で』(評論集)河出書房新社、1971年。
- 『真継伸彦集』新鋭作家叢書4、河出書房新社、1971年。
- 『内面の自由』(評論集)筑摩書房、1972年。
- 『青春の遺書』(評論)筑摩書房、1973年。
- 『わが薄明の時』(『杉本克己の死』改題)(長編小説)新潮社、1973年。
- 『林檎の下の顔』(長編小説)筑摩書房、1974年。
- 『深淵への帰行』(評論集)筑摩書房、1975年。
- 『親鸞』朝日評伝選、朝日新聞社、のち選書、1975年。
- 『新しい宗教を求めて~私とは何か』(評論集)筑摩書房、1975年。
- 『闇に向う精神』(評論集)構想社、1977年。
- 『仏教のこころ』(評論集)筑摩書房、1979年。
- 『囲碁のある人生』(随筆・観戦記)筑摩書房、1980年。
- 『無明の世界』(評論集)文和書房、1981年。
- 『私の蓮如』(伝記)筑摩書房、1981年。
- 『樹下の仏陀』(長編小説)筑摩書房、1982年。
- 『青空』(長編小説)毎日新聞社、1983年。
- 『男あり』(長編小説)筑摩書房、1983年。
- 『現代人と救い』(評論)筑摩書房、1983年。
- 『死の彼方からの光』編集工房ノア、1984年。
- 『青春とはなにか 友だち・スポーツ・読書』岩波ジュニア新書、1985年。
- 『〈宗派別〉日本の仏教・人と教え4』(評論)小学館、1985年。
- 『君よ、青春の当事者たれ 京大フットボール部全国制覇の記録』講談社、1985年。
- 『はばたけ、生命(イノチ)よ お父さんの育児日記』(随筆)河出書房新社、1988年。
- 『心の三つの泉 シャーマニズム・禅仏教・親鸞浄土教』(評論)河出書房新社、1989年。
- 『「救い」の構造 日本人の魂のありかを求めて』NHKブックス(評論)日本放送出版協会、1991年。
共著・翻訳など
- 『日本の古典 第12巻 親鸞・道元・日蓮』共訳、河出書房新社、1973年。
- 『夏目漱石・森鴎外』日本の名著第2巻 編著、中央公論社、1974年。
- 『日本仏教・この人と思想』(講演集)梅原猛、上山春平、武内義範共著、朝日新聞社、1974年。
- 『親鸞書簡集』(翻訳)徳間書店、1978年。
- 『たった一人の道標』編著、サンリオ出版社、1978年。
- 『個人全訳・親鸞全集』全5巻(翻訳)法藏館、1982-84年。
出典
- ^ a b “作家の真継伸彦さん死去、84歳 仏教の本質に迫る”. 毎日新聞. (2016年8月24日19時41分) 2016年8月24日閲覧。