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==人と作品==
== 人と作品 ==
大学の独文科卒業後の1954年に上京し、[[創元社]]の校正アルバイトに就き、1955年に[[専修大学]]図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉本克己の死」の一部を発表。
大学の独文科卒業後の1954年に上京し、[[創元社]]の校正アルバイトに就き、1955年に[[専修大学]]図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉本克己の死」の一部を発表。


[[一向一揆]]を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から[[青山学院大学]]ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊から[[浄土真宗]]に帰依する男を描いた[[歴史小説]]『鮫』で[[文藝賞]]を受賞。これに第二篇を加えて翌年刊行、また[[萬屋錦之介|中村錦之助]]主演で[[東映]]で映画化された。その後[[芝浦工業大学]]に勤め、1967年に腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆を扱った続編『無明』執筆を開始。1968年に[[桃山学院大学]]に移り、当時の[[大学闘争]]の対応に追われながら、翌年発表。この続編『華厳』や、『親鸞』など、信仰の問題を追求した作品が多い。
[[一向一揆]]を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から[[青山学院大学]]ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊から[[浄土真宗]]に帰依する男を描いた[[歴史小説]]『鮫』で[[文藝賞]]を受賞。これに第二篇を加えて翌年刊行、また[[萬屋錦之介|中村錦之助]]主演で[[東映]]で映画化された。
その後[[芝浦工業大学]]に勤め、1967年に腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆を扱った続編『無明』執筆を開始。1968年に[[桃山学院大学]]に移り、当時の[[大学闘争]]の対応に追われながら、翌年発表。この続編『華厳』や、『親鸞』など、信仰の問題を追求した作品が多い。


宗教小説以外の代表作としては、[[スターリン批判]]と[[ハンガリー動乱]]に揺れるある大学の[[日本共産党|共産党]][[細胞 (政党)|細胞]]の苦悩を描いた『光る聲』。実際にあった事件をモデルに、党の上部組織を批判できない立場の悲喜劇を「受難としての生命現象」として捉えている。他には『青空』、エッセー集『破局の予兆の前で』などがある。
宗教小説以外の代表作としては、[[スターリン批判]]と[[ハンガリー動乱]]に揺れるある大学の[[日本共産党|共産党]][[細胞 (政党)|細胞]]の苦悩を描いた『光る聲』。実際にあった事件をモデルに、党の上部組織を批判できない立場の悲喜劇を「受難としての生命現象」として捉えている。他には『青空』、エッセー集『破局の予兆の前で』などがある。
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1970年代に[[真継豊子]]と離婚、若い女性と再婚した(真継豊子『女運あれど男運なし』)
1970年代に[[真継豊子]]と離婚、若い女性と再婚した(真継豊子『女運あれど男運なし』)


姫路獨協大学教授を務めたが、定年前に解雇通告され、無効を求めて他の二人の教授とともに提訴、2005年9月勝訴した。
姫路獨協大学教授を務めたが、定年前に解雇通告され、無効を求めて他の二人の教授とともに提訴、2005年9月勝訴した。


[[囲碁]]を趣味とし、かつて行われていた文壇名人戦・文壇本因坊戦などで強豪として知られ、プロ棋戦観戦記の執筆も行い、囲碁に関する著作もある。
[[囲碁]]を趣味とし、かつて行われていた文壇名人戦・文壇本因坊戦などで強豪として知られ、プロ棋戦観戦記の執筆も行い、囲碁に関する著作もある。
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[[2016年]][[8月22日]]、急性肺炎により死去。84歳没<ref name="mainichi20160824">{{Cite news|title=作家の真継伸彦さん死去、84歳 仏教の本質に迫る|newspaper=毎日新聞|date=2016年8月24日19時41分|url=http://mainichi.jp/articles/20160825/k00/00m/040/041000c|accessdate=2016-08-24}}</ref>。
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==著作一覧 ==
== 著作一覧 ==
*『鮫』1964 河出書房新社 のち文庫 
*『鮫』[[河出書房新社]]、のち文庫、1964年。
*『光る聲』(長編小説)1966 河出書房新社 のち新潮文庫
*『光る聲』(長編小説河出書房新社 のち[[新潮文庫]]、1966年。
*『未来喪失者の行動』(評論集) 1967 河出書房新社
*『未来喪失者の行動』(評論集)河出書房新社、1967年。
*『無明』(長編小説)1970 河出書房新社 のち文庫 
*『無明』(長編小説河出書房新社のち文庫、1970年。
*『破局の予兆の前で』(評論集)1971 河出書房新社
*『破局の予兆の前で』(評論集河出書房新社、1971年。
*『真継伸彦集』新鋭作家叢書4 1971 河出書房新社
*『真継伸彦集』新鋭作家叢書4河出書房新社、1971年。
*『内面の自由』(評論集)1972 筑摩書房
*『内面の自由』(評論集)[[筑摩書房]]、1972年。
*『青春の遺書』(評論)1973 筑摩書房
*『青春の遺書』(評論筑摩書房、1973年。
*『わが薄明の時』(『杉本克己の死』改題)(長編小説)1973 新潮社
*『わが薄明の時』(『杉本克己の死』改題)(長編小説)[[新潮社]]、1973年。
*『林檎の下の顔』(長編小説)1974 筑摩書房
*『林檎の下の顔』(長編小説筑摩書房、1974年。
*『深淵への帰行』(評論集) 1975 筑摩書房
*『深淵への帰行』(評論集)筑摩書房、1975年。
*『親鸞』朝日評伝選 1975 朝日新聞社 のち選書 
*『親鸞』朝日評伝選、[[朝日新聞社]]、のち選書、1975年。
*『新しい宗教を求めて~私とは何か』(評論集) 1975 筑摩書房
*『新しい宗教を求めて~私とは何か』(評論集)筑摩書房、1975年。
*『闇に向う精神』(評論集)1977 構想社
*『闇に向う精神』(評論集構想社、1977年。
*『仏教のこころ』(評論集)1979 筑摩書房
*『仏教のこころ』(評論集筑摩書房、1979年。
*『囲碁のある人生』(随筆・観戦記)1980 筑摩書房
*『囲碁のある人生』(随筆・観戦記筑摩書房、1980年。
*『無明の世界』(評論集)1981 文和書房
*『無明の世界』(評論集文和書房、1981年。
*『私の蓮如』(伝記)1981 筑摩書房
*『私の蓮如』(伝記筑摩書房、1981年。
*『樹下の仏陀』(長編小説)筑摩書房 1982
*『樹下の仏陀』(長編小説)筑摩書房1982年。
*『青空』(長編小説)毎日新聞社 1983
*『青空』(長編小説)[[毎日新聞社]]、1983年。
*『男あり』(長編小説)筑摩書房 1983
*『男あり』(長編小説)筑摩書房1983年。
*『現代人と救い』(評論)筑摩書房 1983
*『現代人と救い』(評論)筑摩書房1983年。
*『死の彼方からの光』編集工房ノア 1984
*『死の彼方からの光』[[編集工房ノア]]、1984年。
*『青春とはなにか 友だち・スポーツ・読書』岩波ジュニア新書 1985
*『青春とはなにか 友だち・スポーツ・読書』[[岩波ジュニア新書]]、1985年。
*『〈宗派別〉日本の仏教・人と教え4』(評論)小学館 1985
*『〈宗派別〉日本の仏教・人と教え4』(評論)[[小学館]]、1985年。
*『君よ、青春の当事者たれ 京大フットボール部全国制覇の記録』講談社、1985
*『君よ、青春の当事者たれ 京大フットボール部全国制覇の記録』[[講談社]]、1985年。
*『はばたけ、生命(イノチ)よ お父さんの育児日記』(随筆)河出書房新社 1988
*『はばたけ、生命(イノチ)よ お父さんの育児日記』(随筆)河出書房新社1988年。
*『心の三つの泉 シャーマニズム・禅仏教・親鸞浄土教』(評論)河出書房新社 1989
*『心の三つの泉 シャーマニズム・禅仏教・親鸞浄土教』(評論)河出書房新社1989年。
*『「救い」の構造 日本人の魂のありかを求めて』 NHKブックス(評論)日本放送出版協会 1991
*『「救い」の構造 日本人の魂のありかを求めて』[[NHKブックス]](評論)日本放送出版協会1991年。


== 共著・翻訳など ==
== 共著・翻訳など ==
*『日本の古典 第12巻 親鸞・道元・日蓮』共訳 河出書房新社 1973
*『日本の古典 第12巻 親鸞・道元・日蓮』共訳河出書房新社1973年。
*『夏目漱石・森鴎外』日本の名著第2巻 編著 1974 中央公論社
*『夏目漱石・森鴎外』日本の名著第2巻 編著、[[中央公論社]]、1974年。
*『日本仏教・この人と思想』(講演集)[[梅原猛]]、[[上山春平]]、[[武内義範]]共著 1974 朝日新聞社
*『日本仏教・この人と思想』(講演集)[[梅原猛]]、[[上山春平]]、[[武内義範]]共著朝日新聞社、1974年。
*『親鸞書簡集』(翻訳)1978 徳間書店
*『親鸞書簡集』(翻訳)[[徳間書店]]、1978年。
*『たった一人の道標』編著 1978 サンリオ出版社
*『たった一人の道標』編著サンリオ出版社、1978年。
*『個人全訳・親鸞全集』全5巻(翻訳)1982-84 [[法藏館]]
*『個人全訳・親鸞全集』全5巻(翻訳[[法藏館]]、1982-84年。


== 出典 ==
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2016年8月24日 (水) 11:09時点における版

真継伸彦(まつぎ のぶひこ、1932年3月18日 - 2016年8月22日[1])は、日本作家。元姫路獨協大学教授京都市生まれ。京都大学文学部卒。

人と作品

大学の独文科卒業後の1954年に上京し、創元社の校正アルバイトに就き、1955年に専修大学図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉本克己の死」の一部を発表。

一向一揆を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から青山学院大学ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊から浄土真宗に帰依する男を描いた歴史小説『鮫』で文藝賞を受賞。これに第二篇を加えて翌年刊行、また中村錦之助主演で東映で映画化された。

その後、芝浦工業大学に勤め、1967年に腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆を扱った続編『無明』執筆を開始。1968年に桃山学院大学に移り、当時の大学闘争の対応に追われながら、翌年発表。この続編『華厳』や、『親鸞』など、信仰の問題を追求した作品が多い。

宗教小説以外の代表作としては、スターリン批判ハンガリー動乱に揺れるある大学の共産党細胞の苦悩を描いた『光る聲』。実際にあった事件をモデルに、党の上部組織を批判できない立場の悲喜劇を「受難としての生命現象」として捉えている。他には『青空』、エッセー集『破局の予兆の前で』などがある。

高橋和巳小田実柴田翔らと同人誌「人間として」、及び「使者」で活動。

1970年代に真継豊子と離婚、若い女性と再婚した(真継豊子『女運あれど男運なし』)

姫路獨協大学教授を務めたが、定年前に解雇通告され、無効を求めて他の二人の教授とともに提訴、2005年9月に勝訴した。

囲碁を趣味とし、かつて行われていた文壇名人戦・文壇本因坊戦などで強豪として知られ、プロ棋戦観戦記の執筆も行い、囲碁に関する著作もある。

2016年8月22日、急性肺炎により死去。84歳没[1]

著作一覧

  • 『鮫』河出書房新社、のち文庫、1964年。
  • 『光る聲』(長編小説)河出書房新社 のち新潮文庫、1966年。
  • 『未来喪失者の行動』(評論集)河出書房新社、1967年。
  • 『無明』(長編小説)河出書房新社、のち文庫、1970年。
  • 『破局の予兆の前で』(評論集)河出書房新社、1971年。
  • 『真継伸彦集』新鋭作家叢書4、河出書房新社、1971年。
  • 『内面の自由』(評論集)筑摩書房、1972年。
  • 『青春の遺書』(評論)筑摩書房、1973年。
  • 『わが薄明の時』(『杉本克己の死』改題)(長編小説)新潮社、1973年。
  • 『林檎の下の顔』(長編小説)筑摩書房、1974年。
  • 『深淵への帰行』(評論集)筑摩書房、1975年。
  • 『親鸞』朝日評伝選、朝日新聞社、のち選書、1975年。
  • 『新しい宗教を求めて~私とは何か』(評論集)筑摩書房、1975年。
  • 『闇に向う精神』(評論集)構想社、1977年。
  • 『仏教のこころ』(評論集)筑摩書房、1979年。
  • 『囲碁のある人生』(随筆・観戦記)筑摩書房、1980年。
  • 『無明の世界』(評論集)文和書房、1981年。
  • 『私の蓮如』(伝記)筑摩書房、1981年。
  • 『樹下の仏陀』(長編小説)筑摩書房、1982年。
  • 『青空』(長編小説)毎日新聞社、1983年。
  • 『男あり』(長編小説)筑摩書房、1983年。
  • 『現代人と救い』(評論)筑摩書房、1983年。
  • 『死の彼方からの光』編集工房ノア、1984年。
  • 『青春とはなにか 友だち・スポーツ・読書』岩波ジュニア新書、1985年。
  • 『〈宗派別〉日本の仏教・人と教え4』(評論)小学館、1985年。
  • 『君よ、青春の当事者たれ 京大フットボール部全国制覇の記録』講談社、1985年。
  • 『はばたけ、生命(イノチ)よ お父さんの育児日記』(随筆)河出書房新社、1988年。
  • 『心の三つの泉 シャーマニズム・禅仏教・親鸞浄土教』(評論)河出書房新社、1989年。
  • 『「救い」の構造 日本人の魂のありかを求めて』NHKブックス(評論)日本放送出版協会、1991年。

共著・翻訳など

  • 『日本の古典 第12巻 親鸞・道元・日蓮』共訳、河出書房新社、1973年。
  • 『夏目漱石・森鴎外』日本の名著第2巻 編著、中央公論社、1974年。
  • 『日本仏教・この人と思想』(講演集)梅原猛上山春平武内義範共著、朝日新聞社、1974年。
  • 『親鸞書簡集』(翻訳)徳間書店、1978年。
  • 『たった一人の道標』編著、サンリオ出版社、1978年。
  • 『個人全訳・親鸞全集』全5巻(翻訳)法藏館、1982-84年。

出典