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[[2003年]]2月、[[ゆうかり]]の就航により引退、[[上海下関フェリー]]へ売却され'''ゆうとぴあ2'''と改名して、[[下関港|下関]]~[[上海]]・[[青島市|青島]]航路に就航した。週2便での運航を計画したが、上海港の発着枠に空きがなかったため、1便は[[青島市|青島]]発着で運航された。 [[2006年]]、中国側の発着地を[[蘇州]][[太倉市|大倉港]]へ変更。当初、中国当局による旅客営業の免許が許認可されなかったため、RORO船として運航されていたが、[[2007年]]8月から旅客営業が開始された<ref>{{Cite journal|和書 |
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| title = 地域ニュース 下関―太倉航路フェリーの旅客運送開始 |
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| journal = やまぐち経済月報 |
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2016年2月20日 (土) 10:05時点における版
ニューしらゆり | |
---|---|
基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 |
日本(1987-2003) パナマ(2003-) |
所有者 |
新日本海フェリー(1987-2003) 上海下関フェリー(2003-) |
運用者 |
新日本海フェリー(1987-2003) 上海下関フェリー(2003-) |
建造所 | 石川島播磨重工業相生工場 |
母港 | 小樽港(ニューしらゆり) |
姉妹船 | ニューはまなす |
IMO番号 | 8604278 |
改名 |
ニューしらゆり(1987-2003) ゆうとぴあ2(2003-) |
経歴 | |
竣工 | 1987年 |
就航 | 1987年4月 |
要目 | |
総トン数 |
17,305トン(竣工時) 17,393トン(改造後) |
全長 | 184.5m |
型幅 | 26.5m |
型深さ | 14.2m |
デッキ数 | 8層 |
機関方式 | ディーゼル |
出力 | 14,850PS×2 |
航海速力 | 22.6ノット |
旅客定員 | 929名 |
乗組員 | 58名 |
車両搭載数 | トラック150台、乗用車103台 |
概要
フェリーはまなす 、フェリーしらゆりの代船として、僚船のニューはまなすとともに石川島播磨重工業相生工場で建造され、1987年4月に新潟~小樽航路に就航した[1]。
2003年2月、ゆうかりの就航により引退、上海下関フェリーへ売却されゆうとぴあ2と改名して、下関~上海・青島航路に就航した。週2便での運航を計画したが、上海港の発着枠に空きがなかったため、1便は青島発着で運航された。 2006年、中国側の発着地を蘇州大倉港へ変更。当初、中国当局による旅客営業の免許が許認可されなかったため、RORO船として運航されていたが、2007年8月から旅客営業が開始された[2]。 2009年10月、ゆうとぴあ4の就航により引退、IHI相生で係船された。
設備
船室
従来船と比較して旅客設備が強化されており、その後の新日本海フェリーの新造船の基礎となる設計となった。内装はニューはまなすはモダン、ニューしらゆりはクラシックをテーマにしたものとなっていた。1990年に船室の増設工事を実施、総トン数が増加した。
- スイートルーム(2名×2室)
- 特等洋室(2名×8室)
- 特等和室(3名×2室)
- 1等洋室(2名×8室、4名×10室、5名×16室)
- 2等寝台(302名)
- 2等(396名)
- ドライバー室(60名)
脚注
- ^ “新日本海フェリー 会社案内 沿革”. 新日本海フェリー. 2015年10月31日閲覧。
- ^ 「地域ニュース 下関―太倉航路フェリーの旅客運送開始」『やまぐち経済月報』第389号、一般財団法人山口経済研究所、2007年9月、16-17頁、2015年11月3日閲覧。