「パイナップルボーイズ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Tokyomac (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
22行目: 22行目:
== 来歴 ==
== 来歴 ==
=== デビュー前 ===
=== デビュー前 ===
1979年、キーボード冨澤が結成したバンド『WINNER』が前身。都内の実力派バンドから巧いプレイヤーをピックアップして結成した彼らの演奏力は高かった。結成当初からオリジナル楽曲のみで活動しており、[[アレンジ]]は[[TOTO (バンド)|TOTO]]の影響を強く受けていた。『WINNER』初期メンバーのギタリスト・金子文男は、その後『ZEUS』のギターとして[[浜田麻里]]のバックで活動している。
* 1979年、キーボード冨澤が結成したバンド『WINNER』が前身。都内の実力派バンドから巧いプレイヤーをピックアップして結成した彼らの演奏力は高かった。結成当初からオリジナル楽曲のみで活動しており、[[アレンジ]]は[[TOTO (バンド)|TOTO]]の影響を強く受けていた。『WINNER』初期メンバーのギタリスト・金子文男は、その後『ZEUS』のギターとして[[浜田麻里]]のバックで活動している。
* 1980年、ベースの恩田が加入。[[ヤマハポピュラーソングコンテスト]]東京都大会で演奏賞を受賞。直前にボーカリストが脱退し、急遽、冨澤が唄った。後にメンバーとなるギターの浜本は、『WINNER』のチーフローディーを務めていた。

* 1981年、音楽プロデューサー・上野義美がKIDSを立ち上げ、タイアップ先となる楽器メーカー『[[グヤトーン]]([[東京サウンド]])』とパイプのあったベースの恩田経由で参加のオファーがある。
1980年、ベースの恩田が加入。[[ヤマハポピュラーソングコンテスト]]東京都大会で演奏賞を受賞。直前にボーカリストが脱退し、急遽、冨澤が唄った。後にメンバーとなるギターの浜本は、『WINNER』のチーフローディーを務めていた。

1981年、音楽プロデューサー・上野義美がKIDSを立ち上げ、タイアップ先となる楽器メーカー『[[グヤトーン]]([[東京サウンド]])』とパイプのあったベースの恩田経由で参加のオファーがある。


=== デビュー後 ===
=== デビュー後 ===
1982年、KIDSミュージシャンによるオムニバス・アルバム『RASPBERRY AVENUE』発売。収録曲とジングルのほぼ全て(ココナッツボーイズのスーパーボード以外)の演奏とコーラスを担当。
* 1982年、KIDSミュージシャンによるオムニバス・アルバム『RASPBERRY AVENUE』発売。収録曲とジングルのほぼ全て(ココナッツボーイズのスーパーボード以外)の演奏とコーラスを担当。
* 1983年、ムーンレコードから『FABULOUS! THE PINEAPPLE BOYS』をリリース、メジャーデビューを果たす。サウンドプロデュースは[[萩原健太]]。同じ事務所に所属していた[[陣内孝則]](元[[ロッカーズ]])のサポートバンドも半年ほど担当。陣内孝則&T-KIDSとして、ニューイヤーロックフェスティバル([[内田裕也]]主催、後のNew Years World Rock Festival」)に出演した。
* 1984年、事務所を移籍。ドラマーも変わる。事務所移籍後、『BIG WAVE』をリリース。同名タイトルのアメリカ[[ヘラルド]]映画『[[BIG WAVE]]』のインストルメント・サウンド・トラックも担当。ボーカルトラックは[[山下達郎]]が担当。BIG WAVEのプロモーションツアー中、セカンドギターの浜本が内臓疾患で緊急入院。キャンセル不可だった[[文化放送]]の生放送ライブだけギター1本で行い、残りは全てキャンセルした。浜本の入院が長期に及ぶことが解り、事務所・レコード会社からメンバー差し替えで活動続行案も出たが、バンマスの冨澤が活動停止を決断し、冨澤と恩田以外は事務所から契約を解除された。
* バンマス・冨澤、ベース恩田、ボーカル・タイロン橋本で「Half Moon Bay」のレコーディングを行ったが、諸事情によりリリースに至ってはいない。


=== 再結成・活動再開 ===
1983年、ムーンレコードから『FABULOUS! THE PINEAPPLE BOYS』をリリース、メジャーデビューを果たす。サウンドプロデュースは[[萩原健太]]。同じ事務所に所属していた[[陣内孝則]](元[[ロッカーズ]])のサポートバンドも半年ほど担当。陣内孝則&T-KIDSとして、ニューイヤーロックフェスティバル([[内田裕也]]主催、後のNew Years World Rock Festival」)に出演した。
* 2012年11月再結成事務所等には所属していない。

* 2014年、11月9日、渋谷ルイードK2において30年ぶりのワンマンライブ開催し盛況のうちに終了。
1984年、事務所を移籍。ドラマーも変わる。事務所移籍後、『BIG WAVE』をリリース。同名タイトルのアメリカ[[ヘラルド]]映画『[[BIG WAVE]]』のインストルメント・サウンド・トラックも担当。ボーカルトラックは[[山下達郎]]が担当。BIG WAVEのプロモーションツアー中、セカンドギターの浜本が内臓疾患で緊急入院。キャンセル不可だった[[文化放送]]の生放送ライブだけギター1本で行い、残りは全てキャンセルした。浜本の入院が長期に及ぶことが解り、事務所・レコード会社からメンバー差し替えで活動続行案も出たが、バンマスの冨澤が活動停止を決断し、冨澤と恩田以外は事務所から契約を解除された。
* 2015年5月23日、都内レコーディングスタジオに於いてボーカル入り新曲のレコーディングを行った。

* 2015年6月、アートディレクター・Keef on Rolling KAZUによってPVの編集が開始された。
バンマス・冨澤、ベース恩田、ボーカル・タイロン橋本で「Half Moon Bay」のレコーディングを行ったが、諸事情によりリリースに至ってはいない。
* 2015年9月、オリジナルメンバーが退き、若手メンバーのみのニューパイナップルボーイズのメンバー選考が始まる。

2012年、再結成。

2014年、11月9日、渋谷ルイードK2において30年ぶりのワンマンライブ開催し盛況のうちに終了。


== メンバー ==
== メンバー ==
=== 解散前の最終メンバー ===
=== 解散前の最終メンバー ===
; 冨澤麻琴 - キーボード、作曲、編曲(バンマス)
* '''冨澤麻琴''' - キーボード、作曲、編曲(バンマス)
; 恩田正晴 - ベース
* '''恩田正晴''' - ベース
; 青柳伸一 - ドラム
* '''青柳伸一''' - ドラム

=== 元メンバー ===
=== 元メンバー ===
; 杉田和弘 - ドラム
* '''杉田和弘''' - ドラム


=== 活動再開後のサポートメンバー ===
=== 活動再開後のサポートメンバー ===
; 篠原祥紀 - 2ndギター
* '''篠原祥紀''' - 2ndギター
; 冨澤佑璃 - ドラム
* '''冨澤佑璃''' - ドラム


=== 活動再開後の最終メンバー ===
=== 活動再開後の最終メンバー ===
; 冨澤麻琴 - キーボード、作曲、編曲(バンマス)
* '''冨澤麻琴''' - キーボード、作曲、編曲(バンマス)
; 恩田正晴 - ベース
* '''恩田正晴''' - ベース
; 篠原祥紀 - 2ndギター
* '''篠原祥紀''' - 2ndギター
; 冨澤佑璃 - ドラム
* '''冨澤佑璃''' - ドラム


== 音楽性 ==
== 音楽性 ==
パイナップルボーイズのサウンドは、[[ベンチャーズ]]に代表されるサーフインストがベースになっている。しかしメンバー全員が生まれる前のサウンドであり、誰もサーフインストを聴いたことがなかったため、習得には相当の労力を要している。活動開始当初は、ギターの歪み禁止令、シンセ使用禁止令が出た。作曲に関しても、単純なコード4つ以内で楽曲を作れなど、かなり無茶な制約もあった。活動初期はグヤトーンが全面的に機材のサポートを行い、ギター、アンプ、各種エフェクターを提供した。キーボードは[[ハモンド]]社からB-250が提供された。移籍した事務所(ADO・[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]等所属)では、比較的自由な音作りを許され、シンセやギターの歪みも解禁された。コードや編曲もモダンに変化し、フュージョン風の楽曲もあった。
パイナップルボーイズのサウンドは、[[ベンチャーズ]]に代表されるサーフインストがベースになっている。しかしメンバー全員が生まれる前のサウンドであり、誰もサーフインストを聴いたことがなかったため、習得には相当の労力を要している。活動開始当初は、ギターの歪み禁止令、シンセ使用禁止令が出た。作曲に関しても、単純なコード4つ以内で楽曲を作れなど、かなり無茶な制約もあった。活動初期はグヤトーンが全面的に機材のサポートを行い、ギター、アンプ、各種エフェクターを提供した。キーボードは[[ハモンド]]社からB-250が提供された。移籍した事務所(ADO・[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]等所属)では、比較的自由な音作りを許され、シンセやギターの歪みも解禁された。コードや編曲もモダンに変化し、フュージョン風の楽曲もあった。
== エピソード ==
== エピソード ==
*メンバー全員サーフィン経験が無い。
* メンバー全員サーフィン経験が無い。
*冨澤は頻繁に陣内孝則の自宅(福生の[[米軍ハウス]])を訪れ、彼の曲にコードを付け、アレンジを行っていた。
* 冨澤は頻繁に陣内孝則の自宅(福生の[[米軍ハウス]])を訪れ、彼の曲にコードを付け、アレンジを行っていた。
*事務所移籍の渦中、冨澤はココナッツボーイズ(後のC-C-B)への加入をプロデューサーから打診されていた。
* 事務所移籍の渦中、冨澤はココナッツボーイズ(後のC-C-B)への加入をプロデューサーから打診されていた。
*ドラムの青柳は、パイナップル在籍中に「レベッカ」への参加を打診されていた。
* ドラムの青柳は、パイナップル在籍中に「レベッカ」への参加を打診されていた。
*冨澤はTV番組制作会社に在籍中、松山千春「ナイトエンジェル」のPVをプロデュースしている。
* 冨澤はTV番組制作会社に在籍中、松山千春「ナイトエンジェル」のPVをプロデュースしている。
* 再結成後のドラムは、冨澤佑璃がサポートメンバーとして参加している。
*2012年11月再結成したが、事務所等には所属していない。
*再結成後のドラムは、冨澤佑璃がサポートメンバーとして参加している。
* 再結成後の2ndギターは、篠原祥紀がサポートメンバーとして参加している。
* バンマス冨澤のスケジュール調整が困難となり、今年限りで無期限活動休止を決断。
*再結成後の2ndギターは、篠原祥紀がサポートメンバーとして参加している。
* アートディレクター・Keef on Rolling KAZUがライブの舞台監督を努めている。
*バンマス冨澤のスケジュール調整が困難となり、今年限りで無期限活動休止を決断。
*2014年11月9日、渋谷ルイードk2において一夜限りのワンマンライブを行い盛況のうち終了。
*上記ライブは、アートディレクター・Keef on Rolling KAZUが舞台監督を努める。
*2015年5月23日、都内レコーディングスタジオに於いてボーカル入り新曲のレコーディングを行った。
*2015年6月、アートディレクター・Keef on Rolling KAZUによってPVの編集が開始された。
*2015年9月、オリジナルメンバーが退き、若手メンバーのみのニューパイナップルボーイズのメンバー選考が始まる。


== ディスコグラフィー ==
== ディスコグラフィー ==
=== アルバム ===
=== アルバム ===
*RASPBERRY AVENUE
* RASPBERRY AVENUE
*FABULOUS! THE PINEAPPLE BOYS
* FABULOUS! THE PINEAPPLE BOYS
*BIG WAVE
* BIG WAVE
*RASPBERRY SOUND(RASPBERRY AVENUE remastering)
* RASPBERRY SOUND(RASPBERRY AVENUE remastering)


=== VTR ===
=== VTR ===
*BIG WAVE (山下達郎/パイナップルボーイズ)/ヘラルド映画
* BIG WAVE (山下達郎/パイナップルボーイズ)/ヘラルド映画

=== DVD ===
=== DVD ===
*BIG WAVE (山下達郎/パイナップルボーイズ)/ヘラルド映画
* BIG WAVE (山下達郎/パイナップルボーイズ)/ヘラルド映画


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2015年11月12日 (木) 01:08時点における版

THE PINEAPPLE BOYS
パイナップルボーイズ
PineappleBoys Live
基本情報
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロックバンド
サーフ&ホットロッドミュージック
活動期間 1982年 - 1984年
2012年 -
レーベル MOON RECORDS
事務所 エプスタインミュージック - ADO
共同作業者 中村俊夫 萩原健太
メンバー 冨澤麻琴/キーボード(バンマス)
恩田正晴/ベース
青柳伸一/ドラム
旧メンバー 杉田和弘/ドラム

THE PINEAPPLE BOYS(パイナップルボーイズ)は、東京・青山のKIDS RADIO STATION の企画により生まれた、1980年代前半に活動した日本のロックバンド。メジャーデビュー後は主にサーフ&ホットロッドミュージックを演奏した。

概要

音楽プロデューサー上野義美が立ち上げた、 日本初のミニFM局「KIDS RADIO STATION(以下KIDS)」から最初にデビューしたアーティスト。以後、オレンジシスターズココナッツボーイズC-C-B)、ユミ・飛鳥らがKIDS専属ミュージシャンとしてデビューしている。

来歴

デビュー前

  • 1979年、キーボード冨澤が結成したバンド『WINNER』が前身。都内の実力派バンドから巧いプレイヤーをピックアップして結成した彼らの演奏力は高かった。結成当初からオリジナル楽曲のみで活動しており、アレンジTOTOの影響を強く受けていた。『WINNER』初期メンバーのギタリスト・金子文男は、その後『ZEUS』のギターとして浜田麻里のバックで活動している。
  • 1980年、ベースの恩田が加入。ヤマハポピュラーソングコンテスト東京都大会で演奏賞を受賞。直前にボーカリストが脱退し、急遽、冨澤が唄った。後にメンバーとなるギターの浜本は、『WINNER』のチーフローディーを務めていた。
  • 1981年、音楽プロデューサー・上野義美がKIDSを立ち上げ、タイアップ先となる楽器メーカー『グヤトーン東京サウンド)』とパイプのあったベースの恩田経由で参加のオファーがある。

デビュー後

  • 1982年、KIDSミュージシャンによるオムニバス・アルバム『RASPBERRY AVENUE』発売。収録曲とジングルのほぼ全て(ココナッツボーイズのスーパーボード以外)の演奏とコーラスを担当。
  • 1983年、ムーンレコードから『FABULOUS! THE PINEAPPLE BOYS』をリリース、メジャーデビューを果たす。サウンドプロデュースは萩原健太。同じ事務所に所属していた陣内孝則(元ロッカーズ)のサポートバンドも半年ほど担当。陣内孝則&T-KIDSとして、ニューイヤーロックフェスティバル(内田裕也主催、後のNew Years World Rock Festival」)に出演した。
  • 1984年、事務所を移籍。ドラマーも変わる。事務所移籍後、『BIG WAVE』をリリース。同名タイトルのアメリカヘラルド映画『BIG WAVE』のインストルメント・サウンド・トラックも担当。ボーカルトラックは山下達郎が担当。BIG WAVEのプロモーションツアー中、セカンドギターの浜本が内臓疾患で緊急入院。キャンセル不可だった文化放送の生放送ライブだけギター1本で行い、残りは全てキャンセルした。浜本の入院が長期に及ぶことが解り、事務所・レコード会社からメンバー差し替えで活動続行案も出たが、バンマスの冨澤が活動停止を決断し、冨澤と恩田以外は事務所から契約を解除された。
  • バンマス・冨澤、ベース恩田、ボーカル・タイロン橋本で「Half Moon Bay」のレコーディングを行ったが、諸事情によりリリースに至ってはいない。

再結成・活動再開

  • 2012年11月、再結成。事務所等には所属していない。
  • 2014年、11月9日、渋谷ルイードK2において30年ぶりのワンマンライブ開催し盛況のうちに終了。
  • 2015年5月23日、都内レコーディングスタジオに於いてボーカル入り新曲のレコーディングを行った。
  • 2015年6月、アートディレクター・Keef on Rolling KAZUによってPVの編集が開始された。
  • 2015年9月、オリジナルメンバーが退き、若手メンバーのみのニューパイナップルボーイズのメンバー選考が始まる。

メンバー

解散前の最終メンバー

  • 冨澤麻琴 - キーボード、作曲、編曲(バンマス)
  • 恩田正晴 - ベース
  • 青柳伸一 - ドラム

元メンバー

  • 杉田和弘 - ドラム

活動再開後のサポートメンバー

  • 篠原祥紀 - 2ndギター
  • 冨澤佑璃 - ドラム

活動再開後の最終メンバー

  • 冨澤麻琴 - キーボード、作曲、編曲(バンマス)
  • 恩田正晴 - ベース
  • 篠原祥紀 - 2ndギター
  • 冨澤佑璃 - ドラム

音楽性

パイナップルボーイズのサウンドは、ベンチャーズに代表されるサーフインストがベースになっている。しかしメンバー全員が生まれる前のサウンドであり、誰もサーフインストを聴いたことがなかったため、習得には相当の労力を要している。活動開始当初は、ギターの歪み禁止令、シンセ使用禁止令が出た。作曲に関しても、単純なコード4つ以内で楽曲を作れなど、かなり無茶な制約もあった。活動初期はグヤトーンが全面的に機材のサポートを行い、ギター、アンプ、各種エフェクターを提供した。キーボードはハモンド社からB-250が提供された。移籍した事務所(ADO・カシオペア等所属)では、比較的自由な音作りを許され、シンセやギターの歪みも解禁された。コードや編曲もモダンに変化し、フュージョン風の楽曲もあった。

エピソード

  • メンバー全員サーフィン経験が無い。
  • 冨澤は頻繁に陣内孝則の自宅(福生の米軍ハウス)を訪れ、彼の曲にコードを付け、アレンジを行っていた。
  • 事務所移籍の渦中、冨澤はココナッツボーイズ(後のC-C-B)への加入をプロデューサーから打診されていた。
  • ドラムの青柳は、パイナップル在籍中に「レベッカ」への参加を打診されていた。
  • 冨澤はTV番組制作会社に在籍中、松山千春「ナイトエンジェル」のPVをプロデュースしている。
  • 再結成後のドラムは、冨澤佑璃がサポートメンバーとして参加している。
  • 再結成後の2ndギターは、篠原祥紀がサポートメンバーとして参加している。
  • バンマス冨澤のスケジュール調整が困難となり、今年限りで無期限活動休止を決断。
  • アートディレクター・Keef on Rolling KAZUがライブの舞台監督を努めている。

ディスコグラフィー

アルバム

  • RASPBERRY AVENUE
  • FABULOUS! THE PINEAPPLE BOYS
  • BIG WAVE
  • RASPBERRY SOUND(RASPBERRY AVENUE remastering)

VTR

  • BIG WAVE (山下達郎/パイナップルボーイズ)/ヘラルド映画

DVD

  • BIG WAVE (山下達郎/パイナップルボーイズ)/ヘラルド映画

関連項目

外部リンク