「早川勝 (政治家)」の版間の差分
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* 選択的[[夫婦別姓]]制度の導入に賛同する<ref>第136回国会 法務委員会 請願3911号</ref>。 |
* 選択的[[夫婦別姓]]制度の導入に賛同する<ref>第136回国会 法務委員会 請願3911号</ref>。 |
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== 著書 == |
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* 『どん底営業チームを全国トップに変えた魔法のひと言』(日本能率協会マネジメントセンター)、2004年 |
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* 『「捨てる」成功法則』(総合法令出版)、2010年 |
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* 『すごい!「直観力」』(総合法令出版)、2011年 |
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* 『死ぬ気で働いたあとの世界を君は見たくないか!?』(かんき出版)、2013年 |
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* 『死ぬ気で働くリーダーにだけ人はついてくる』 (かんき出版)、2014年 |
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* 『「最高の結果」はすべてを 「捨てた」後にやってくる』(総合法令出版)、2014年 |
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* 『死ぬ気で働く営業マンだけがお客様に選ばれる』(かんき出版)、2014年 |
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=== 翻訳 === |
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*『市場経済秩序における法の課題―法理論と秩序政策に関する論文集』、エルンスト‐ヨアヒム メストメッカー (著)、 法律文化社、1997年 |
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*『EUの法秩序と経済秩序: 法と経済の関係についての基本問題』、エルンスト‐ヨアヒム メストメッカー (著)、 法律文化社、2011年 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2015年4月29日 (水) 23:20時点における版
早川 勝 はやかわ まさる | |
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生年月日 | 1940年12月21日(83歳) |
出生地 | 愛知県豊橋市 |
出身校 |
愛知大学 立教大学大学院 |
所属政党 |
(日本社会党→) (旧民主党→) 無所属 |
選挙区 | 旧愛知5区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1986年 - 1996年 |
第29・30・31代 豊橋市長 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1996年11月17日 - 2008年11月16日 |
早川 勝(はやかわ まさる、1940年12月21日 - )は、日本の政治家。
経歴
愛知県立時習館高等学校、愛知大学法経学部経済学科卒業。立教大学大学院経済学研究科修士課程修了。日本社会党の職員を務める。
1986年7月6日に行われた第38回衆議院議員総選挙に、旧愛知5区から日本社会党公認で出馬し、初当選。
1990年2月18日に行われた第39回衆議院議員総選挙に、旧愛知5区から出馬し、当選(2期目)。
1991年5月、土井たか子日本社会党委員長の辞任により、後任の委員長に就任した田邊誠の下、党政策審議会長、社会党シャドーキャビネット官房長官に就任。1992年のはPKO国会では政府案を一旦は廃案に追い込んだが、与党側の巻き返しによりPKO協力法は成立。社会党は同年7月の第16回参議院議員通常選挙で敗北し、1993年に田邊委員長が辞任したのに伴い、早川も政策審議会長を離任。
1993年7月18日に行われた第40回衆議院議員総選挙に、旧愛知5区から出馬し、当選(3期目)。
1994年6月、村山内閣の成立後、村山富市首相の発案により新設された内閣総理大臣補佐に就任[1]。
1996年1月、党名変更社民党結党に参加するも、9月には社民党を離党し、旧民主党に合流。同年9月27日に衆議院が解散。その直後、1996年10月2日に高橋アキラ豊橋市長が辞職したのを受け、1996年10月20日の第41回衆議院議員総選挙への出馬を見送り、同年11月17日の豊橋市長選挙に立候補し、初当選。2000年、2004年の市長選でも当選。
2008年11月9日の豊橋市長選挙に4選を目指して出馬したが、元国土交通官僚の佐原光一、前愛知県議会議員の小久保三夫に次ぐ3位で落選。
政策
脚注
外部リンク
- 早川勝 オフィシャルサイト
- 秘書課 - 豊橋市役所
公職 | ||
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先代 高橋アキラ |
愛知県豊橋市長 第29 - 31代:1996年 - 2008年 |
次代 佐原光一 |
党職 | ||
先代 伊藤茂 |
日本社会党政策審議会長 第13代 : 1991年 - 1993年 |
次代 日野市朗 |