「シェフィールド (駆逐艦)」の版間の差分

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{{Infobox navyship
{| class="wikitable" style="clear:right; float:right; margin: 0em 0em 1em 1em; width: 300px; background:#ffffff"
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!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|艦歴
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|全長=125 [[メートル|m]] (410 ft)
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|全幅=14.3 m (47 ft)
| style="white-space:nowrap;" |[[排水量]]
|吃水=5.8 m
|4,820[[トン]]
|機関=[[COGOG]]方式
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|機関出力=50,000 [[馬力|shp]]
|全長
|速力=30[[ノット]]
|125 m (410 ft)
|乗員=287名
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|兵装=[[4.5インチ マーク 8 艦砲|Mk.8 4.5インチ単装砲]] &times; 1<br />[[エリコンKA 20 mm 機関砲|エリコンGAM-B01 20mm機銃]]&times; 2<br />[[シーダート (ミサイル)|シーダート]]SAM連装発射機&times; 1<br />[[Mk 32 短魚雷発射管|STWS Mk.2 3連装短魚雷発射管]]&times; 2基
|全幅
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|艦載機=[[アグスタウェストランド リンクス|ウェストランド・リンクス]]
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|最大 30 [[ノット]] (56 km/h)
'''シェフィールド''' ({{Lang-en|HMS ''Sheffield''}},D80) は[[イギリス海軍]]の[[42型駆逐艦]]の[[ネームシップ]]。1970年1月15日起工。1971年6月10日進水。1975年6月26日就役。[[フォークランド紛争]]で戦没。
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|乗員
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|搭載機
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'''シェフィールド''' ('''HMS Sheffield,D80''') は[[イギリス海軍]]の[[42型駆逐艦]]の1番艦。1970年1月15日起工。1971年6月10日進水。1975年6月26日就役。[[フォークランド紛争]]で戦没。


== フォークランド紛争 ==
==艦歴==
=== 派遣 ===
1982年4月2日に「シェフィールド」は4ヵ月半に渡る長期航海を終え、母港である[[ポーツマス (イングランド)|ポーツマス]]港への帰途についていたが、ジブラルタル海峡を航行中にイギリス海軍本部からイギリス海軍第317任務部隊の一隻として参加を要請され、合流。フォークランド諸島へ向かい、5月1日には同海域に展開、[[レーダーピケット艦]]として対空監視を担当した。
1982年4月2日、NATOの演習「SPRINGTRAIN」に参加していた「シェフィールド」は、情勢急を告げていたフォークランドへの派遣部隊として抽出されることとなった。4月3日2時30分、第1艦隊司令官ウッドワード少将座乗の「グラモーガン」を含む他の7隻の艦艇および補給艦「タイドスプリング」とともにフォークランドに向かった。4月14日にアセンション島を出発し、4月15日からはフォークランド北方での哨戒活動にあたったのち、4月25日に本隊に合流して、以後は[[防空艦]]および[[レーダーピケット艦]]の任務についた<ref name="nids">{{Cite book|和書|editor=防衛研究所戦史研究センター|date=2014-3-31|title=フォークランド戦争史|chapter=第8章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争|pages=149-207|publisher=[[防衛省]][[防衛研究所]]|url=http://www.nids.go.jp/publication/falkland/pdf/011.pdf}}</ref>。


=== 攻撃までの推移 ===
5月4日午前11時ごろ、「シェフィールド」は旗艦「[[ハーミーズ (空母・2代)|ハーミーズ]]」ら主力艦隊から約32km離れた地点でレーダーピケット任務を行っていた際、[[アルゼンチン海軍]]第2航空隊の[[シュペルエタンダール]][[攻撃機]]2機による[[空対艦ミサイル]]・[[エグゾセ|エグゾセAM39]]での攻撃を受けた。アルゼンチン、[[:es:Río Grande (Tierra del Fuego)|リオ・グランデ]]基地より離陸した2機のシュペルエタンダールは[[空中給油]]を受けた後、友軍の[[S-2 (航空機)|トラッカー]]哨戒機の誘導を受けながらレーダーを切った状態で海上15mという低高度で接近。この超低空で接近する攻撃機隊を「シェフィールド」は一瞬レーダーに捉えるが直ぐに消えてしまったため、完全に捉える事ができなかった。シュペルエタンダールはイギリス艦隊近海でわずかに上昇してレーダーでロックオンをかけ、エグゾセミサイルを発射して即撤退。数分後に「シェフィールド」の艦橋にいた乗組員が向かってくるエグゾセミサイルを目視したがその数秒後にミサイルは艦に突入したため、対空砲火を上げることはできなかった。この時「シェフィールド」では戦闘配置が解除されており、[[通信衛星|衛星]]通信装置を起動していたためレーダーの作動に影響がでていたこともミサイル攻撃を探知できなかった理由とされる。
5月4日、空母機動部隊はフォークランド諸島の南東40海里から50海里にあって、「シェフィールド」を含む3隻の42型駆逐艦は主隊の西18海里で防空任務にあたっていた。「グラスゴー」を主軸上として、「コヴェントリー」が右に、「シェフィールド」が左に占位していた<ref name="nids"/>。なお、当時の海上模様は平穏、天候は曇り、視程は約1.5kmであった<ref name="藤木1991">{{Cite journal|和書|author=藤木平八郎|year=1991|month=5|title=シェフィールドとスターク 現代艦艇のダメコンを検証する|journal=[[世界の艦船]]|issue=436|pages=84-87|publisher=[[海人社]]}}</ref>。


1115Z時(0815L時)、アルゼンチン軍のP-2哨戒機が1隻の駆逐艦のレーダー波を逆探知し、「ハーミーズ」がフォークランド諸島の東方にいると考えられたことから、30分以内に[[エグゾセ|エグゾセAM39]][[空対艦ミサイル]]を1発ずつ搭載した[[シュペルエタンダール]][[攻撃機]]2機が[[:es:Río Grande (Tierra del Fuego)|リオ・グランデ]]基地を発進した。1400Z時、この編隊は3隻の42型駆逐艦を発見した<ref name="nids"/>。
ミサイルは「シェフィールド」の右舷中央部側面に命中し、コンピューター室と炊事室を破壊、第二甲板を貫通して前部発電機室に突入した。この直撃で21人の乗組員が死亡した。ミサイルは不発(しかし艦長のソールトは「弾頭が爆発した事は確かだ」と証言)だったがミサイルの残燃料によって出火。「シェフィールド」は命中時に消火用の中央配水装置が破壊され、更に発電機が損傷して電力がストップした他、火災によって配電盤の絶縁ビニールが燃えたことで発生した有毒ガスによって艦内の[[ダメージコントロール]]が殆ど不可能になった。

なお、死亡した21人の内、5人は炊事室で調理中だった[[フライ (料理)|フライ料理]]用の大量の[[油脂#食用油脂|食用油]]が引火したことが原因で死亡し、艦が延焼した原因の一つとされたため、戦後にイギリス海軍において作戦行動中での艦内でのフライ料理禁止が発令された。
1356Z時、「グラスゴー」の電波探知装置は、シュペルエタンダールの機上レーダによる掃引3回を探知し、ただちに[[短波]](HF)および[[超短波]](UHF)通信によって僚艦に急報した。ただしこのとき、「シェフィールド」のHF装置には要員が配されておらず、一方UHF装置はメッセージ全てを受信することができなかった。また、当時英海軍が採用していたSCOT衛星通信装置は、電波探知装置による探知を阻害する危険があったことから、「グラスゴー」艦長はSCOTの日中の使用を禁止していた。これに対し、「シェフィールド」は「グラスゴー」による最初の探知の前からSCOTによる通信を行っており、このために電波探知装置からの警報を受けることができなかった。1358Z時、「グラスゴー」は目標を再探知して、敵味方不明機2つ、南西方向、25マイルと報告した。1400Z時直後、同艦では対空戦闘配置が下令され、チャフが発射された。このためにシュペルエタンダールは右に逸れて、「シェフィールド」を捕捉することになった<ref name="nids"/>。
その後、僚艦の[[フリゲート]]「ヤーマス」らや[[シコルスキー S-61|シーキング]]ヘリコプターらが救助と消火を懸命に行ったが延焼を防ぎきれず、ミサイル命中の4時間後に総員退艦命令が下った。

当時、「シェフィールド」は哨戒第2配備の態勢であった。シュペルエタンダール(エグゾセ搭載可能)と[[ミラージュIII (戦闘機)|ミラージュIII]](エグゾセ搭載不能、通常爆弾のみ)の機上レーダの信号パターンはよく似ており、実際、これまでに何回も取り違えによる誤警報があったことから、「シェフィールド」や「インヴィンシブル」の対空戦調整室では、今回もミラージュIIIであろうと判断していた。このためもあり、「シェフィールド」では対空戦担当幹部のみならず、その班8名のうち3名が部屋を出ていた。「グラスゴー」からの通報によって作戦室の警戒レベルは上がっていたが、対空戦担当幹部が部屋に戻ったとき、既に適切な行動をとる猶予は残されていなかった。SCOT衛星通信装置の送信中止処理には時間がかかり、まだ送信動作は続いていた。命中の15秒前、艦橋の当直士官が2つの煙を視認したが、最後までエグゾセAM39ミサイルの飛来は理解されず、ソフトキル・ハードキルのいずれも試みられることはなかった<ref name="nids"/>。

シュペルエタンダールは計2発のエグゾセAM39ミサイルを発射したが、うち1発は海面に突入した。残り1発のミサイルは順調に飛行を続け、1403Z時(1103L時)、「シェフィールド」に命中した。シュペルエタンダールは命中を確認して旋回し、無事帰投したとされているが、実際にはミサイルの命中は確認できず、戦果確認(BDA)はイギリス側報道によって行ったともされている<ref name="nids"/>。

=== 被弾後 ===
エグゾセAM39は、「シェフィールド」の艦橋後方右舷の水線上約1.8メートルの位置に命中、入射角60度で艦内に突入した。弾頭は爆発することなく、右舷通路、調理室、全部補機室を経て、前部機械室に達したが、[[固体燃料ロケット]]は燃焼を続けており、機械室内の潤滑油や燃料にも引火して、大火災を生じた<ref name="岡田1997">{{Cite book|和書|author=岡田幸和|year=1997|title=艦艇工学入門|chapter=損傷艦艇の被害状況と応急対策|publisher=海人社|isbn=978-4905551621|pages=271-296}}</ref>。

本艦では機関区画はシフト配置を採用しており、主機関・発電機・消火ポンプは前後区画に配置されていることから、今回の例のように前部機械室・補機室が機能喪失した場合でも、後部の機械室・補機室によって艦の機能は最低限維持できる見込みであった。しかしアルミ合金製の通風トランクや仕切弁が溶解してしまい、電纜を介した延焼もあって火災は他区画へ拡大し、後部機械室・後部補機室の機能も順次に失われた。電纜類の被覆などの燃焼によって有毒ガスが発生し、また被弾後約30分で電源が失われたこともあって、消火活動は大きく阻害された。電源喪失にともなって消防主管も機能を失ったため、バケツにロープをつけて海水を汲み上げて火にかけたという逸話もある。また、艦橋付近の被弾によって通信線が断絶し、指揮機能が低下したことも初期消火活動に悪影響であった可能性が指摘されている<ref name="藤木1991"/><ref name="岡田1997"/>。

被弾から約5時間後にフリゲート「[[アロー (フリゲート)|アロー]]」が、ついで「[[ロスシー級フリゲート|ヤーマス]]」<ref name="nids"/>が救援に到着し、外部からの注水も行われた。しかし艦体は鋼製であったものの隔壁はアルミ合金製であり、また木製家具類の焼失もあって、火災範囲は最終的に艦内の約2/3に達した。艦自身の消火活動はほとんど遂行不能となり<ref name="岡田1997"/>、前部のシーダート弾薬庫に誘爆の恐れが生じたことから、2100Z時(1800L時)、総員退去が下令された<ref name="藤木1991"/>。

火災は2日間続いたのち鎮火したが、[[アセンション島]]への曳航途上の5月10日に荒天に遭遇、浸水沈没したとも、曳航困難で爆破自沈させたとも言われている。沈没地点は南緯53度04分、西経56度56分とされている。最終的に、乗員260名中、死者・行方不明者20名、負傷者24名であった<ref name="藤木1991"/>。

== 参考文献 ==
{{Reflist}}


その後、火災は艦の上部構造物の70%近くを焼き尽くした上で鎮火。「シェフィールド」は「ヤーマス」によってイギリス本国へ曳航されていたが悪天候によりミサイルの命中孔から激しく浸水し、5月10日に沈没した。
== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[Always Look on the Bright Side of Life]]
* [[Always Look on the Bright Side of Life]]
* [[ダメージコントロール]]
* [[スターク (フリゲート)|スターク]] - [[アメリカ海軍]]の[[オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート]]の1隻。1987年5月17日、同様にエグゾセを被弾した。


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2014年7月18日 (金) 15:28時点における版

基本情報
艦歴
起工 1970年1月15日
進水 1971年6月10日
就役 1975年6月26日
その後 1982年5月10日
アルゼンチン軍機の攻撃による損傷が元で沈没。
要目
排水量 4,820トン
全長 125 m (410 ft)
最大幅 14.3 m (47 ft)
吃水 5.8 m
機関 COGOG方式
出力 50,000 shp
速力 30ノット
乗員 287名
兵装 Mk.8 4.5インチ単装砲 × 1
エリコンGAM-B01 20mm機銃× 2
シーダートSAM連装発射機× 1
STWS Mk.2 3連装短魚雷発射管× 2基
搭載機 ウェストランド・リンクス
テンプレートを表示

シェフィールド (英語: HMS Sheffield,D80) はイギリス海軍42型駆逐艦ネームシップ。1970年1月15日起工。1971年6月10日進水。1975年6月26日就役。フォークランド紛争で戦没。

フォークランド紛争

派遣

1982年4月2日、NATOの演習「SPRINGTRAIN」に参加していた「シェフィールド」は、情勢急を告げていたフォークランドへの派遣部隊として抽出されることとなった。4月3日2時30分、第1艦隊司令官ウッドワード少将座乗の「グラモーガン」を含む他の7隻の艦艇および補給艦「タイドスプリング」とともにフォークランドに向かった。4月14日にアセンション島を出発し、4月15日からはフォークランド北方での哨戒活動にあたったのち、4月25日に本隊に合流して、以後は防空艦およびレーダーピケット艦の任務についた[1]

攻撃までの推移

5月4日、空母機動部隊はフォークランド諸島の南東40海里から50海里にあって、「シェフィールド」を含む3隻の42型駆逐艦は主隊の西18海里で防空任務にあたっていた。「グラスゴー」を主軸上として、「コヴェントリー」が右に、「シェフィールド」が左に占位していた[1]。なお、当時の海上模様は平穏、天候は曇り、視程は約1.5kmであった[2]

1115Z時(0815L時)、アルゼンチン軍のP-2哨戒機が1隻の駆逐艦のレーダー波を逆探知し、「ハーミーズ」がフォークランド諸島の東方にいると考えられたことから、30分以内にエグゾセAM39空対艦ミサイルを1発ずつ搭載したシュペルエタンダール攻撃機2機がリオ・グランデ基地を発進した。1400Z時、この編隊は3隻の42型駆逐艦を発見した[1]

1356Z時、「グラスゴー」の電波探知装置は、シュペルエタンダールの機上レーダによる掃引3回を探知し、ただちに短波(HF)および超短波(UHF)通信によって僚艦に急報した。ただしこのとき、「シェフィールド」のHF装置には要員が配されておらず、一方UHF装置はメッセージ全てを受信することができなかった。また、当時英海軍が採用していたSCOT衛星通信装置は、電波探知装置による探知を阻害する危険があったことから、「グラスゴー」艦長はSCOTの日中の使用を禁止していた。これに対し、「シェフィールド」は「グラスゴー」による最初の探知の前からSCOTによる通信を行っており、このために電波探知装置からの警報を受けることができなかった。1358Z時、「グラスゴー」は目標を再探知して、敵味方不明機2つ、南西方向、25マイルと報告した。1400Z時直後、同艦では対空戦闘配置が下令され、チャフが発射された。このためにシュペルエタンダールは右に逸れて、「シェフィールド」を捕捉することになった[1]

当時、「シェフィールド」は哨戒第2配備の態勢であった。シュペルエタンダール(エグゾセ搭載可能)とミラージュIII(エグゾセ搭載不能、通常爆弾のみ)の機上レーダの信号パターンはよく似ており、実際、これまでに何回も取り違えによる誤警報があったことから、「シェフィールド」や「インヴィンシブル」の対空戦調整室では、今回もミラージュIIIであろうと判断していた。このためもあり、「シェフィールド」では対空戦担当幹部のみならず、その班8名のうち3名が部屋を出ていた。「グラスゴー」からの通報によって作戦室の警戒レベルは上がっていたが、対空戦担当幹部が部屋に戻ったとき、既に適切な行動をとる猶予は残されていなかった。SCOT衛星通信装置の送信中止処理には時間がかかり、まだ送信動作は続いていた。命中の15秒前、艦橋の当直士官が2つの煙を視認したが、最後までエグゾセAM39ミサイルの飛来は理解されず、ソフトキル・ハードキルのいずれも試みられることはなかった[1]

シュペルエタンダールは計2発のエグゾセAM39ミサイルを発射したが、うち1発は海面に突入した。残り1発のミサイルは順調に飛行を続け、1403Z時(1103L時)、「シェフィールド」に命中した。シュペルエタンダールは命中を確認して旋回し、無事帰投したとされているが、実際にはミサイルの命中は確認できず、戦果確認(BDA)はイギリス側報道によって行ったともされている[1]

被弾後

エグゾセAM39は、「シェフィールド」の艦橋後方右舷の水線上約1.8メートルの位置に命中、入射角60度で艦内に突入した。弾頭は爆発することなく、右舷通路、調理室、全部補機室を経て、前部機械室に達したが、固体燃料ロケットは燃焼を続けており、機械室内の潤滑油や燃料にも引火して、大火災を生じた[3]

本艦では機関区画はシフト配置を採用しており、主機関・発電機・消火ポンプは前後区画に配置されていることから、今回の例のように前部機械室・補機室が機能喪失した場合でも、後部の機械室・補機室によって艦の機能は最低限維持できる見込みであった。しかしアルミ合金製の通風トランクや仕切弁が溶解してしまい、電纜を介した延焼もあって火災は他区画へ拡大し、後部機械室・後部補機室の機能も順次に失われた。電纜類の被覆などの燃焼によって有毒ガスが発生し、また被弾後約30分で電源が失われたこともあって、消火活動は大きく阻害された。電源喪失にともなって消防主管も機能を失ったため、バケツにロープをつけて海水を汲み上げて火にかけたという逸話もある。また、艦橋付近の被弾によって通信線が断絶し、指揮機能が低下したことも初期消火活動に悪影響であった可能性が指摘されている[2][3]

被弾から約5時間後にフリゲート「アロー」が、ついで「ヤーマス[1]が救援に到着し、外部からの注水も行われた。しかし艦体は鋼製であったものの隔壁はアルミ合金製であり、また木製家具類の焼失もあって、火災範囲は最終的に艦内の約2/3に達した。艦自身の消火活動はほとんど遂行不能となり[3]、前部のシーダート弾薬庫に誘爆の恐れが生じたことから、2100Z時(1800L時)、総員退去が下令された[2]

火災は2日間続いたのち鎮火したが、アセンション島への曳航途上の5月10日に荒天に遭遇、浸水沈没したとも、曳航困難で爆破自沈させたとも言われている。沈没地点は南緯53度04分、西経56度56分とされている。最終的に、乗員260名中、死者・行方不明者20名、負傷者24名であった[2]

参考文献

  1. ^ a b c d e f g 防衛研究所戦史研究センター 編「第8章 海上作戦の観点から見たフォークランド戦争」『フォークランド戦争史』防衛省防衛研究所、2014年3月31日、149-207頁http://www.nids.go.jp/publication/falkland/pdf/011.pdf 
  2. ^ a b c d 藤木平八郎「シェフィールドとスターク 現代艦艇のダメコンを検証する」『世界の艦船』第436号、海人社、1991年5月、84-87頁。 
  3. ^ a b c 岡田幸和「損傷艦艇の被害状況と応急対策」『艦艇工学入門』海人社、1997年、271-296頁。ISBN 978-4905551621 

関連項目