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2012年11月7日 (水) 04:41時点における版
- サウスカロライナ州
- State of South Carolina
-
(州旗) (州章) - 州の愛称: パルメットヤシの州
Palmetto State -
州都 コロンビア 最大の都市 コロンビア 州知事 ニッキー・ヘイリー 公用語 英語 面積
- 総計
- 陸地
- 水域全米第40位
82,931 km²
77,982 km²
4,949 km² (6%)人口(2010年)
- 総計
- 人口密度全米第24位
4,625,364人
55.37人/km²合衆国加入
- 順番
- 加入年月日
8番目
1788年5月23日時間帯 UTC -5
DST -4緯度 北緯32°4' - 35°12' 経度 西経78°0' - 83°20' 東西の幅 320 km 南北の長さ 420 km 標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
1,085 m
105 m
0 m略称 (ISO 3166-2:US) US-SC
ウェブサイト サウスカロライナ州政府 上院議員 リンジー・グラハム
ジム・デミント
サウスカロライナ州 (South Carolina SC) は、アメリカ合衆国南部地域にある州である。イギリスから最初に独立した13州のうちの一つ。2010年現在、この州の人口は4,625,364人である。
ニックネーム
- パルメット椰子の州(The Palmetto State)
歴史
サウスカロライナ州の開発の歴史は古くメイフラワー号がニューイングランドに上陸する約100年前の1526年にスペイン人が入植を試みたという記録があるが、本格的な入植は1670年にウィリアム・セイレに率いられた入植者160名の上陸に始まった。1729年にノースカロライナ州と分離した。独立戦争を経て他の州と共に独立を勝ち取り奴隷制によるプランテーションによる農業州として大変な栄華をみせた。 1860年に奴隷制廃止論者と見ていたリンカーンが大統領に選任されると合衆国から離脱し、1861年後続して脱退した他の南部諸州と共にアメリカ南部連合を結成し、北軍の駐屯するサムター要塞を攻撃して南北戦争の口火を切った。1865年に海への進軍に引き続くシャーマン将軍率いる北軍の侵攻によって主要部は甚大な被害を受けた。南北戦争後は長い低迷の時期が続き、人種差別の強い州であったが最近は海外企業の招致に積極的で経済発展に著しい面を見せる。
主要記事:サウスカロライナ州の歴史
地理
サウスカロライナ州は北部でノースカロライナ州、南部と西部でサバンナ川を境に位置するジョージア州、及び東部で大西洋と接している。
サウスカロライナ州は概略的に緯線で北東・南西、大西洋沿岸に境界線がある、4つの地理的地域で成り立っている。州の低地はローカントリーと知られる沿岸平原である。
国立公園局の管轄地域は以下が含まれる:
- Charles Pinckney National Historic Site(マウントプレザント)
- コンガリー国立公園(Hopkins)
- Cowpens National Battlefield(Chesnee近郊)
- Fort Moultrie National Monument(Sullivan’s Island)
- Fort Sumter National Monument(チャールストン・ハーバー)
- Kings Mountain National Military Park(Blacksburg)
- Ninety Six National Historic Site(Ninety Six)
- Overmountain Victory National Historic Trail
関連項目:サウスカロライナ州の郡一覧
人口動勢
サウスカロライナ州の人口重心はコロンビア市がある、リッチランド郡となっている[1]。
アメリカ合衆国統計局によると、2005年現在、サウスカロライナ州は前年より57,191人、または1.4%増加し、2000年より243,267人、または6.1%増加した、人口4,255,083人と概算された。これは97,715人(出生295,425、死亡197,710)と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者151,485人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は36,401人増加する事となり、合衆国内部の移住者は115,084人増加する事になる。
人口推移 | ||
---|---|---|
年 | 人口 | ±% |
1790年 | 249,073 | — |
1800年 | 345,591 | +38.8% |
1810年 | 415,115 | +20.1% |
1820年 | 502,741 | +21.1% |
1830年 | 581,185 | +15.6% |
1840年 | 594,398 | +2.3% |
1850年 | 668,507 | +12.5% |
1860年 | 703,708 | +5.3% |
1870年 | 705,606 | +0.3% |
1880年 | 995,577 | +41.1% |
1890年 | 1,151,149 | +15.6% |
1900年 | 1,340,316 | +16.4% |
1910年 | 1,515,400 | +13.1% |
1920年 | 1,683,724 | +11.1% |
1930年 | 1,738,765 | +3.3% |
1940年 | 1,899,804 | +9.3% |
1950年 | 2,117,027 | +11.4% |
1960年 | 2,382,594 | +12.5% |
1970年 | 2,590,516 | +8.7% |
1980年 | 3,121,820 | +20.5% |
1990年 | 3,486,703 | +11.7% |
2000年 | 4,012,012 | +15.1% |
2010年 | 4,625,364 | +15.3% |
関連項目:歴史的人口動勢 |
サウスカロライナ州内の5つの最大な祖先グループは:アフリカ系 (29.5%)、アメリカ系 (13.9%)、ドイツ系 (8.4%)、イギリス系 (8.4%)、アイルランド系 (7.9%) である。
この州の人種的な構成は:
宗教
インディアン部族
カタウバ族、チェロキー族、チアハ族、チカソー族、コンガリー族、クリーク族、クサボ族、エノ族、ケヤウェー族、ナッチェス族、ピーディー族、サルダ族、サンテー族、セウェー族、シャコリ族、ショーニー族、シッシパホー族、サゲリー族、ワッカマウ族、ワテリー族、ワハウ族、ウィンヨー族、ヤマシー族、ユチ族など、かつて20を超えるインディアン部族が先住していた。
同州では古くから、イギリス人奴隷商人によるインディアン奴隷の売買が重要な経済となっていた。イギリス人は銃や毛布と引き換えにインディアンから奴隷を買い入れ、テネシー州やミシシッピー河周辺の白人入植地に送り込んだ。1670年頃から始まったこのインディアン奴隷売買は、「ヤマシー戦争」が終わった1717年まで続いた。
1715年、白人入植政府に対し、ヤマシー族、クリーク族、チェロキー族、チカソー族、カタウバ族、アパラチー族、アパラチコラ族、ユチ族、サバンナ川ショーニー族、コンガリー族、ワハウ族、ピーディー族、ケープ・フィアー族、チェロー族ほか多数のインディアン部族連合が戦いを挑んだ。「ヤマシー戦争」と呼ばれるこの戦争は1717年まで続き、多くのインディアンが奴隷に売られ、部族人口を減らし、分散させられた。クリーク族は西方へ逃げ、上クリーク・バンドとなった。
さらに、19世紀に多くの部族が他州に強制移住させられるか「絶滅部族」扱いとなった。現在、同州でアメリカ連邦政府が公式認定し、自治権限の強い連邦の保留地(Reservation)を領有している部族はカタウバ族のみである。
カタウバ族は1962年にアメリカ連邦政府の公認を取り消され、保留地の保留を解消されて「絶滅部族」とされたが、その後の再認定要求係争によって1993年に再公認され、インディアン部族として「復活」した。
また、2005年から2007年にかけて、サウスカロライナ州政府によって「ピーディー族」や「ナッチェス族」などが部族認定された。同州は広く「インディアン部族」、「インディアンのバンド(集団)」、「インディアンの相互営利団体」の三つを承認対象としている。多くの部族が引き続き、強い自治権を保証される連邦からの公式認定を要求中である。
ジョージア州との州境にある東チェロキー族の居住地域には、原子力産業から排出される低レベル放射性廃棄物の最終処分場「サバンナ川サイト」があり、現在、周辺チェロキー族への深刻な健康被害が懸念されている。
≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族≫
≪アメリカ連邦政府は公認していないが、サウスカロライナ州政府が公認した部族・団体≫
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≪アメリカ連邦政府もサウスカロライナ州政府も公認していない部族・団体≫
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インディアン・カジノ
同州で「インディアン・カジノ」を運営するインディアン部族は、連邦認定を受けているカタウバ族の1軒のみであるが、現在州政府との係争の末営業停止となっている。
カタウバ族は1980年、連邦裁判所に「サウスカロライナ州が1760年と1763年の連邦条約で保証された保留地14万4000エーカー(約583km2)を巻きあげた」として州を訴え、10年間以上の交渉の後に、1993年に連邦に再認定され「復活」し、再獲得した保留地に「カタウバ族ビンゴ場」を開設した。
2000年に、サウスカロライナ州は「カタウバ族ビンゴ場」内のビデオポーカーを禁止する一方で、2002年には「サウスカロライナ州立宝くじ」を営業開始。カタウバ族のビンゴ場は収益を半減する影響を受けた。
2004年にカタウバ族はこれを営業妨害として、彼らのビンゴ場へのビデオポーカーか、高額賭け率のビンゴ設置許可を要求した。2005年に巡回裁判所は1993年のカタウバ部族連邦協定に基づき、ビデオポーカーの営業が可能と裁決し、これを受けて「カタウバ族ビンゴ場」は、ビデオポーカーを含む「カタウバ高額賭率ビンゴ場」となった。
2007年、サウスカロライナ州最高裁判所は「カタウバ族高額賭率ビンゴ場」でのビデオポーカーを禁止する法令を可決した。カタウバ族はこれを不服として上告した。
2007年10月1日、米国最高裁判所はカタウバ族の上告を却下し、州政府はただちにカタウバ族のビンゴ場の営業停止処分を行った。
カタウバ族をはじめ、白人政府の同化政策で文化を破壊され、母族語を失った部族は多い。貧困にあえぐインディアン部族にとって高収益と雇用を生む「インディアン・カジノ」は、部族の文化を再構築するための文化基金の役割も強い。しかし、サウスカロライナ州は「インディアン・カジノ」阻止の方針をとり続けており、他部族のカジノ開設も現在のところ絶望的な状況となっている。
≪サウスカロライナ州のインディアン・カジノ≫
- 「カタウバ族高額掛率ビンゴ場」(現在営業停止)
主要な都市及び町
サウスカロライナ州の州都及び最大都市はコロンビアである。州内の他の2つの主要な中心はローカントリー内のチャールストン及びアップ・ステート内のグリーンビルである。他の注目すべき都市はアンダーソン、エイケン、フローレンス、マウントプレザント、マートルビーチ、ノースチャールストン、オレンジバーグ、ロックヒル、スパータンバーグ、及びサムターである。歴史的に、ビューフォート)及びジョージタウンは重要な中心であり現在はローカルサービス並びに観光に焦点を当てた小さなコミュニティである。
政治と法律
サウスカロライナ州の州政府は行政、立法、及び司法から成り立っている。州知事は4年間ごとに選出され連続して2期まで勤められる。知事は行政の責任者である(いくつかの行政官は選挙で選ぶ)。現在の知事は共和党ニッキー・ヘイリー(Nikki Haley)である。彼女は2010年の選挙で選ばれ2011年1月に就任した、州史上初の女性知事にして全米2番目のインド系知事である。上下二院制の議会(South Carolina General Assembly)は上院46名並びに下院124名で構成される。この2院はSouth Carolina State Houseで開催される。司法は最高裁判所、控訴裁判所、巡回裁判所、家庭裁判所、及びその他の区分から構成される。
関連項目:List of Governors of South Carolina
経済
2004年現在、アメリカ合衆国経済分析局によると、サウスカロライナ州の州総生産高は1,360億米ドルであった。2000年現在、一人当たりの収入は合衆国平均の81%に当たる、24,000米ドルであった。
サウスカロライナ州の主要農業生産品はたばこ、家禽、牛、酪農製品、大豆、及び豚である。産業生産品は繊維製品、紙製品、機械及び観光業である。
その他
同州出身の有名人
- レジー・サンダース - 野球選手
- ジョー・ジャクソン - 野球選手
- ベン・テイラー - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ラリー・ドビー - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ウィリー・ランドルフ - 野球選手・監督
- アル・ローゼン - 野球選手・ゼネラルマネージャー
- ケビン・ガーネット - バスケットボール選手