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2010年5月18日 (火) 14:05時点における版

山田スイミングクラブ(Yamada Swimming Club)とは、かつて存在したスイミングクラブ。

歴史

1964年東京オリンピック競泳競技が不振であったことから、当時ロート製薬のオーナーだった山田輝郎が私財1億円を提供し、大阪市生野区のロート製薬本社敷地内に1965年3月に開設した。東京の代々木スイミングスクールと並び、日本における最初期のスイミングスクールと言われる。全国の有望選手に英才教育を施すことを目的としていた。

創設1年半後の1966年8月に開催された日本水泳選手権では、出場27選手のうち25選手が入賞。6種目で優勝するなど英才教育の成果を現している。

1972年12月、オリンピックメダリストを養成するとした初期の目標を達成し、加えて山田が高齢で病気がちとなったため解散を発表し、選手や指導ノウハウなどはイトマンスイミングスクールに受け継がれた。

主な出身選手

指導者

後にイトマンスイミングスクールのコーチとなる奥田精一郎加藤浩時がいた。

参考文献

  • 「金メダルへの挑戦! - 世界一を成し得た水泳研究と女子英才教育の戦略的手法」(新風舎)(2004)