近江兄弟社

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株式会社 近江兄弟社
OMI Brotherhood Co.,Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
523-0867
滋賀県近江八幡市魚屋町元29
設立 1920年(大正9年)12月6日
創業は1910年12月
業種 製造業
事業内容 医薬品・医薬部外品・化粧品・脱臭剤製造販売・ビル経営
代表者 代表取締役社長 伊藤康雅
資本金 9,600万円
従業員数 約200名
主要株主 財団法人近江兄弟社
主要子会社 一粒社 ヴォーリズ建築事務所
近江オドエアサービス株式会社
学校法人近江兄弟社学園
関係する人物 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
外部リンク 近江兄弟社ホームページ
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ヴォーリズ像と本社ビル

株式会社近江兄弟社(おうみきょうだいしゃ、OMI Brotherhood Co.,Ltd.)は、滋賀県近江八幡市に本社をおく医薬品メーカー。商標『メンターム』で知られる。

概要[編集]

塗り薬「近江兄弟社メンターム」を中心に医薬部外品等を製造及び販売している。

明治38年(1905年)に滋賀県八幡商業学校に赴任してきた建築家W・M・ヴォーリズが、明治40年(1907年)に八幡基督教青年会館を建設してバイブル・クラスを開設した。そのため、町民の反感を買い教師を解職させられた。

明治41年(1908年)に京都YMCA内にヴォーリズ建築事務所を開き、学校、教会、病院などの設計・建築を行った。明治43年(1910年)には、宣教活動の為に確固とした経済的基盤を築こうとし、村田幸一郎吉田悦蔵と共に「ヴォーリズ合名会社」を設立する。大正9年(1920年)には「近江セールズ株式会社」を創業する。後に現社名へ変更された。キリスト教の信仰に基づいた社業では、「メンターム」など皮膚薬のトップメーカーとして着実な業績を挙げている一方、近江療養院などの病院、老人保健施設、学校なども経営している。また、一時はハモンドオルガンの輸入代理業務も行っていた。

本社は滋賀県近江八幡市魚屋町元29。企業キャッチコピーは「Operations on Mission Industry」。

社名の由来は、近江と「人類皆兄弟」の精神から命名したものである。兄弟が設立した会社ではない。

メンソレータムとメンターム[編集]

近江兄弟社の以前の主力商品は、メンタームではなくメンソレータムであった。メンソレータムは、アメリカ合衆国の「メンソレータム社」の製品であり、近江兄弟社が日本国内の販売権を持ち日本国内向けに販売、その後、製造も手がけるようになった。しかし、創業者のヴォーリズの亡きあと、原材料費の高騰に加えて他社の競合品に食われた。そればかりか、土地ブームにあやかって滋賀県内の別荘地分譲に手を出したために経営が苦しくなり[1]、自主再建を断念し、1974年12月24日に近江兄弟社は会社更生法を申請し事実上の倒産。同時にメンソレータムの販売権も返上した(その後、翌年の1975年4月22日にメンソレータムの販売権はロート製薬が取得、さらに1988年にはメンソレータム社本体もロート製薬に買収された)。ちなみにロート製薬側も世界的に知名度の高い「メンソレータム」には意欲を持っていたこともあり独占契約交渉の合意に持っていく方向を定めていた[2]

近江兄弟社は、1975年3月12日に大鵬薬品工業(現在は東証1部上場企業で大塚HDの傘下)の資本参加で再興をはかることになったが、翌月4月22日、メンソレータム社は再建支援先の大鵬薬品工業に対し、「生産継続の交渉をする意思はない」として、メンソレータムの商品名を使うことができなくなっため、主力商品を失った近江兄弟社自体の再建が絶望視されることになった。そもそもメンソレータム社が大鵬薬品工業の協力をしぶったのは、近江兄弟社の経営破たん以来の経営陣に不信感を抱いていたこと、大鵬薬品が「メンソレータム」と類似品の「オロナインH軟膏」の大塚グループであるうえ、近江兄弟社に対する再建案が好条件だったのを警戒していたようだ[3]

そのため、メンソレータムの製造設備を利用してオリジナルの類似製品を販売するにあたり、メンソレータムの略称として従前より商標登録してあった「メンターム」を商品名として用いることとした(メンタームの商標は1965年7月27日に出願され、1967年10月3日付で登録(第757274号)されている)。1975年9月12日より、新たに主力商品として「メンターム」の製造を始め、自主再建の足がかりをつかんだ。同月16日に発売を開始し、この「メンターム」を、自社の主力ブランドとして育て、今に至っている。

その再建の裏には、260人だった人員が大幅な人員削減で従業員は78名に減っており、そのころの従業員は大部分が定時制高校の生徒であり、その半分を36名の女子高校生たちが占めているという若い従業員が中心となっていたこと。会社側が職を失う学生の学費確保に強い責任を感じ、再就職のあっせんに走りまわったほどであったという[4]

なお、かつてはメンタームは医薬品、メンソレータムは医薬部外品とされていたが、今日ではいずれも医薬品(主に第3類医薬品)とされる製品と医薬部外品とされる製品がある。

メンソレータム以外[編集]

エアーウイック(現・エアーサーバー、芳香剤、提携先はユニ・チャームアース製薬と変遷)や胃腸薬コモンも展開していた。

沿革[編集]

  • 1907年明治40年) – 近江八幡YMCA会館建設。「近江ミッション」設立
  • 1908年(明治41年) – 京都三条YMCAの一室に、建築設計監督事務所開業(後のヴォーリズ建築事務所)
  • 1910年(明治43年) – ヴォーリズ・村田幸一郎・吉田悦蔵により「ヴォーリズ合名会社」設立。建築設計・建築関連資料輸入など(ヴォーリズ宣教活動支援の為)
  • 1918年大正7年) – 結核診療所「近江療養院」(近江サナトリアム 現ヴォーリズ記念病院)開設
  • 1920年(大正9年) – 「ヴォーリズ合名会社」解散。「W・M・ヴォーリズ建築事務所」及び「近江セールス株式会社」設立。メンソレータム輸入販売開始
  • 1922年(大正11年) – 清友園幼稚園創立(現・近江兄弟社幼稚園
  • 1933年昭和8年) – 「近江勤労女学校」創立。「近江家政塾」発足
  • 1934年(昭和9年) – 「近江ミッション」を、「近江兄弟社」に改称。「湖畔プレス社」設立
  • 1936年(昭和11年) – 「満州セールズ株式会社」設立。ヘレン・ケラー、近江兄弟社女学校来校
  • 1941年(昭和16年) – 「財団法人近江兄弟社」設立、「ヴォーリズ建築事務所」を「一柳建築事務所」に改称
  • 1944年(昭和19年) – 「一柳建築事務所」解散、近江セールズ株式会社を「株式会社 近江兄弟社」に改称
  • 1946年(昭和21年) – 近江兄弟社建築部復活
  • 1947年(昭和22年) – 女学校を廃止し、近江兄弟社に小学校中学校設立
  • 1948年(昭和23年) – 近江兄弟社に、共学の高等学校設立
  • 1951年(昭和26年) – 「学校法人近江兄弟社学園」誕生
  • 1961年(昭和36年) – 「株式会社 一粒社建築事務所」が、近江兄弟社建築部から独立
  • 1962年(昭和37年) – 「近江オドエアーサービス株式会社」設立
  • 1964年(昭和39年) – 5月7日ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 死去
  • 1974年(昭和49年) – 12月24日、近江兄弟社倒産。
  • 1975年(昭和50年) – 3月12日、大鵬薬品工業の資本参加を受け、自主再建にとりかかる。
    7月28日、会社整理取り下げ。生産の再開に向け動き出す。
    9月16日、「メンターム」(当時の商品名はメンタームSであった)を発売開始

グループ[編集]

  • 株式会社 近江兄弟社(医薬品製造販売『メンターム』)
  • 株式会社 一粒社 ヴォーリズ建築事務所(建築設計)
  • 近江オドエアサービス株式会社 (臭気総合専門会社)
  • 公益財団法人 近江兄弟社(管財・伝道・出版・病院等)
  • 学校法人ヴォーリズ学園

近江兄弟社(薬品)の主な商品[編集]

  • 近江兄弟社メンターム(一般的な統一ブランド。軟膏・薬用リップの他、ハンドクリーム、かゆみ止め、シェービングジェルなどがある)
  • サンベアーズ(日焼け止めの統一ブランド。業界有数のシェアを誇り、マツモトキヨシ向けにもOEM生産されている)

外部リンク[編集]

  • ^ 読売新聞1975年12月2日 8面「再建企業・不況下のいま・・・ 若さと熱と努力で 近江兄弟社」
  • ^ 朝日新聞1975年4月23日 3面
  • ^ 朝日新聞1975年4月23日 3面
  • ^ 読売新聞1975年12月2日 8面「再建企業・不況下のいま・・・ 若さと熱と努力で 近江兄弟社」