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'''建水分神社'''(たけみくまりじんじゃ)は、[[大阪府]][[南河内郡]][[千早赤阪村]][[大字]]水分にある[[神社]]である。通称'''水分神社'''(すいぶんじんじゃ)。'''水分大明神'''、'''上水分社'''(うえのすいぶんのやしろ)とも称する。[[式内社]]で、旧[[社格]]は[[府社]]。


古来より[[金剛山 (金剛山地)|金剛山]]鎮守として、また[[楠木氏]]の氏神として崇敬された。
古来より[[金剛山 (金剛山地)|金剛山]]鎮守として、また[[楠木氏]]の氏神として崇敬された。
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==由緒==
==由緒==
社伝によれば、[[崇神天皇]]5年([[紀元前1世紀|紀元前92年]])、諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を作ることが勧められたが、このときに金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのに始まる。[[延喜式神名帳]]に「[[河内国]][[石川郡 (大阪府)|石川郡]] 建水分神社」と記載されている。「上水分社」の呼称は、[[美具久留御魂神社]](富田林市宮町)を下水分社と称するのに対応したものである。
社伝によれば、[[崇神天皇]]5年([[紀元前1世紀|紀元前92年]])、諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を作ることが勧められたが、このときに金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのに始まる。[[延喜式神名帳]]に「[[河内国]][[石川郡 (大阪府)|石川郡]] 建水分神社」と記載されている。「上水分社」の呼称は、[[美具久留御魂神社]]([[富田林市]]宮町)を下水分社と称するのに対応したものである。


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元の鎮座地は現在地より北約100mの水越川のほとりにあったが、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に兵火にかかり、荒廃した。このため[[建武 (日本)|建武]]元年([[1334年]])、[[後醍醐天皇]]の勅命を受けた[[楠木正成]]が、現在地に本殿、拝殿、鐘楼などを再建し遷座した。[[延元]]2年([[1337]])[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]、最高位である[[正一位]]の[[神階]]を授けられた。


中世、[[織田信長]]軍の河内国攻略の際に社領を没収され一時衰退するが、[[豊臣秀吉]]が社領を寄進し、復旧された。
中世、[[織田信長]]軍の河内国攻略の際に社領を没収され一時衰退するが、[[豊臣秀吉]]が社領を寄進し、復旧された。


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==例祭==
==例祭==
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*摂社:南木神社(なぎじんじゃ)
*摂社:南木神社(なぎじんじゃ)
**祭神:楠木正成公(大楠公)
**祭神:楠木正成公(大楠公)
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**延元2年(1337年)4月創建。
*末社:金峯神社(きんぶじんじゃ)
*末社:金峯神社(きんぶじんじゃ)
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**祭神:[[天照大御神]]


==文化財==
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*本殿:重要文化財
*本殿:[[重要文化財]]
**本殿は三殿で構成されている。中殿に一間社[[春日造]]、左右両殿に二間社[[流造]]、各殿を渡廊で連結するという全国でも唯一の珍しい様式で、「水分造」とも呼ばれている。構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範とされる。明治33年に大阪府の[[神社建築]]として初めて特別保護建造物(旧国宝)に指定され、昭和25年に重要文化財の指定を受けた。但し通常は非公開である。
**本殿は三殿で構成されている。中殿に一間社[[春日造]]、左右両殿に二間社[[流造]]、各殿を渡廊で連結するという全国でも唯一の珍しい様式で、「水分造」とも呼ばれている。構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範とされる。[[1890年]](明治33年に大阪府の[[神社建築]]として初めて特別保護建造物(旧国宝)に指定され、[[1950年]]([[昭和]]25年に重要文化財の指定を受けた。但し通常は非公開である。


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2009年5月20日 (水) 03:32時点における版

建水分神社
建水分神社
所在地 大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分357番地
主祭神 天御中主神
天水分神
国水分神
罔象女神
瀬織津媛神
社格 式内社(小)・府社
創建 崇神天皇5年
本殿の様式 水分造
例祭 4月25日
10月第三土曜日
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建水分神社(たけみくまりじんじゃ)は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分にある神社である。通称水分神社(すいぶんじんじゃ)。水分大明神上水分社(うえのすいぶんのやしろ)とも称する。式内社で、旧社格府社

古来より金剛山鎮守として、また楠木氏の氏神として崇敬された。

祭神

中殿に天御中主神、左殿に天水分神罔象女神、右殿に国水分神・瀬織津姫神を祀る。このうち天水分神・国水分神と罔象女神は水神であり、瀬織津姫神も大祓詞で「速川の瀬に坐す」とある罪穢を祓い清める神である。

由緒

社伝によれば、崇神天皇5年(紀元前92年)、諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を作ることが勧められたが、このときに金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのに始まる。延喜式神名帳に「河内国石川郡 建水分神社」と記載されている。「上水分社」の呼称は、美具久留御魂神社富田林市宮町)を下水分社と称するのに対応したものである。

元の鎮座地は現在地より北約100mの水越川のほとりにあったが、南北朝時代に兵火にかかり、荒廃した。このため建武元年(1334年)、後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成が、現在地に本殿、拝殿、鐘楼などを再建し遷座した。延元2年(1337年4月27日、最高位である正一位神階を授けられた。

中世、織田信長軍の河内国攻略の際に社領を没収され一時衰退するが、豊臣秀吉が社領を寄進し、復旧された。

1873年明治6年)の社格制定の際に付近18ヵ村の総鎮守産土神の故を以て郷社に列格した。1907年(明治40年)に神饌幣帛供進社に指定され、氏子地域内の17神社を合祀し、1913年大正2年)に府社に昇格した。

例祭

  • 4月25日:春祭
  • 10月第三土曜日:秋祭

摂末社

  • 摂社:南木神社(なぎじんじゃ)
    • 祭神:楠木正成公(大楠公)
    • 延元2年(1337年)4月創建。
  • 末社:金峯神社(きんぶじんじゃ)

文化財

  • 本殿:重要文化財
    • 本殿は三殿で構成されている。中殿に一間社春日造、左右両殿に二間社流造、各殿を渡廊で連結するという全国でも唯一の珍しい様式で、「水分造」とも呼ばれている。構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範とされる。1890年(明治33年)に大阪府の神社建築として初めて特別保護建造物(旧国宝)に指定され、1950年昭和25年)に重要文化財の指定を受けた。但し通常は非公開である。

その他

  • 戦艦金剛艦内には守護神として建水分神社の祭神が勧請されている。

外部リンク