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2008年7月6日 (日) 15:15時点における版

ラルフローレン表参道(直営店)
ラルフローレン銀座(直営店)

ラルフ・ローレンRalph Lauren1939年10月14日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブロンクス区出身のデザイナー、また彼の持つファッションブランドの名前でもある。本名はレイフ・リプシッツ Ralph Lipschitz

略歴

1939年ニューヨークブロンクス区に、アシュケナージ・ユダヤ人の移民Fraydl(Kotlar)と家屋塗装業者のフランク・リフシッツのあいだに生まれた。 彼の人生は、インテリア・デザイナーのロバート・デニングと多くの類似点を持っており、2人共ファッションなしで成長してきたが、社会、古い金とカントリー・クラブスタイルの生活様式を形成し、市場に出し続けていた。どちらも子供の頃、この世界へ少しの露出も持たなかったが、各々は夢を視覚化し、引き起こすことに成功した。この視覚化は、結局ポロ・ラルフローレンへとつながることになる。

ニューヨーク市立大学シティカレッジにて2年間ビジネスを学び中退。1962年から1964年まで米国陸軍に入隊し、解放後の1968年、彼はリッキー・ロービアと結婚している。 彼はファッション学校に通わず、セールスマンとしてブルックス・ブラザーズで働いた後に、ネクタイビジネスのラベル・ポロを作り、後にこの名前を彼の最初の後援者であるノーマン・ヒルトンから購入している。ローレンのファッション帝国はその後、10億ドルのビジネスになったのである。

1967年に紳士服のブランド「ポロ・ラルフ・ローレン」を立ち上げ、ネクタイやポロシャツ、スポーツウェアで有名になった。1971年から婦人服も手がけている。1977年映画アニー・ホール」で、主演のウディ・アレンダイアン・キートンが彼の服を着たことで「アニー・ホール・ルック」と称され一世を風靡した。

1986年には、フランスパリ市内にアメリカ人デザイナーとして初めて路面店をオープンした。1990年代中頃、ポロ・ラルフローレンは株式会社になり、シンボルであるRLの下でニューヨーク証券取引所に上場された。

2006年3月30日東京表参道にアジアの旗艦店となる「ラルフ・ローレン表参道」をオープン。日本の路面店は表参道の他銀座にある。

2007年現在、ラルフローレンはニューヨークビバリーヒルズシカゴボストンイーストハンプトンニュージャージー州サンフランシスコホノルルでブティックを持っている。

彼自身はデザイナーではなく自分の持つコンセプトをデザイナーへ提案する人、コンセプターであると称している(彼はデザイン画を描く事が苦手である)。

日本国内の店舗

直営店

  • ラルフローレン表参道店 
  • ラルフローレン銀座店

免税店

デパート内

池袋本店、有楽町、渋谷
新宿本店、府中、立川、松戸、浦和
日本橋本店、名古屋栄、新潟、高松
銀座本店
名古屋本店、上野
日本橋、新宿、玉川、横浜、大阪、京都、名古屋
心斎橋本店、東京、京都、神戸
うめだ本店、都筑
横浜、千葉、大宮、神戸

関連事項

外部リンク