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ケリーはティーンエイジャーのとき [[リズム・アンド・ブルース|R&B]] グループのメンバーとしてプロのキャリアを開始した。レイ・エイブラムズ Ray Abrams 、[[セシル・ペイン]] Cecil Payne 、[[ダイナ・ワシントン]] Dinah Washington 、[[ディジー・ガレスピー]] Dizzy Gillespie <ref>[http://www.downbeat.com/artists/window.asp?action=new&aid=572&aname=Wynton+Kelly ''Wynton Kelly''] - [[w:en:Down Beat|DOWNBEAT]].COM (英語)</ref> と働いた後、[[1959年]]から[[1963年]]には[[マイルス・デイヴィス]] Miles Davis のクインテットのメンバーとなった。彼はデイヴィスの1959年の影響力のあるアルバム『[[カインド・オブ・ブルー]]』 ''Kind of Blue'' のトラック「フレディ・フリーローダー」 "Freddie Freeloader" に[[ビル・エヴァンス]] Bill Evans に替わり(デイヴィスがケリーに、より[[アーマッド・ジャマル]] Ahmad Jamal のようなサウンドを求め)参加した。同様に[[ジョン・コルトレーン]] John Coltrane の『[[ジャイアント・ステップス]]』 ''Giant Steps'' からの一曲「ネイマ」 "Naima" では[[トミー・フラナガン (ミュージシャン)|トミー・フラナガン]] Tommy Flanagan に替わり参加している。 |
2008年6月26日 (木) 05:19時点における版
ウィントン・ケリー(Wynton Kelly, 1931年12月2日 - 1971年4月12日)は、ジャズピアニスト。西インド諸島のジャマイカ生まれ。39歳でカナダのオンタリオ州トロントで死去した。
ケリーはティーンエイジャーのとき R&B グループのメンバーとしてプロのキャリアを開始した。レイ・エイブラムズ Ray Abrams 、セシル・ペイン Cecil Payne 、ダイナ・ワシントン Dinah Washington 、ディジー・ガレスピー Dizzy Gillespie [1] と働いた後、1959年から1963年にはマイルス・デイヴィス Miles Davis のクインテットのメンバーとなった。彼はデイヴィスの1959年の影響力のあるアルバム『カインド・オブ・ブルー』 Kind of Blue のトラック「フレディ・フリーローダー」 "Freddie Freeloader" にビル・エヴァンス Bill Evans に替わり(デイヴィスがケリーに、よりアーマッド・ジャマル Ahmad Jamal のようなサウンドを求め)参加した。同様にジョン・コルトレーン John Coltrane の『ジャイアント・ステップス』 Giant Steps からの一曲「ネイマ」 "Naima" ではトミー・フラナガン Tommy Flanagan に替わり参加している。
マイルス・デイヴィスはケリーを、レッド・ガーランド Red Garland とビル・エヴァンスの「ハイブリッド」と評した。これは彼のかつてのバンドリーダーによるケリーについての非常に正確な説明で、ケリーは(レッド・ガーランドのような)リズムドライヴを根底にしながら、かなりをビル・エヴァンス流の控えめな表現で演奏を行った。
大部分のジャズピアニストは、ウイントン・ケリーがこれまでで最もスウィングするジャズピアニストであると見なしている。彼の8分音符の分析は、彼がスウィングの幅を広く変化させていたことを明らかにしている。時には伝統的なスウィングする8分音符よりも、むしろよりストレートな8分音符に演奏する傾向があり、更にはビートの「オントップ」で、初期のピアニストの習慣であった「レイドバック」をより少なく演奏した。ケリーはまた、明確なスタッカートのタッチによる均等な8分音符のラインで演奏する傾向がある。この様式上の特徴は、より「モダンな」サウンドのためにこのコンセプトを採用し拡大したマッコイ・タイナー McCoy Tyner 、チック・コリア Chick Corea 、ハービー・ハンコック Herbie Hancock のようなピアニストの方法を導いた。
素晴らしい伴奏者、ウイントン・ケリーは特徴的なソリストでもあった。彼はトリオでブルーノートのためにレコーディングし(1951年)、1951~1952年の間にダイナ・ワシントン、ディジー・ガレスピー、レスター・ヤング Lester Young と働いた。軍役を勤めた後、ダイナ・ワシントン(1955~1957年)、チャールズ・ミンガス Charles Mingus (1956~1957年)、ディジー・ガレスピー・ビッグバンド(1957年)とともに働いたが、マイルス・デイヴィス(1959~1963年)との期間が最も有名であり、マイルスと『カインド・オブ・ブルー』 Kind Of Blue 、『ブラックホークのマイルス・デイビス』 At The Blackhawk 、『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』 Someday My Prince Will Come といったアルバムをレコーディングした。ケリーは自身のトリオを結成するために、残りのリズムセクション(ベーシスト: ポール・チェンバース Paul Chambers 、ドラマー: ジミー・コブ Jimmy Cobb )とともにデイヴィスのもとを去った。このグループはウェス・モンゴメリー Wes Montgomery の最高のバッキングを聴かせた。
早世する前にケリーは、ブルーノート、リバーサイド、ヴィージェイ、ヴァーヴ、マイルストーンへリーダーとしてレコーディングした。パートナーのアン Anne とケリーには、1963年に娘トレイシー Tracy が生まれた。 LP 『カミン・イン・ザ・バック・ドア』 Comin' In The Back Door のトラック「リトル・トレイシー」 "Little Tracy" は、ケリーの娘の名をとって名づけられた。現在トレイシー・マティサック Tracy Matisak は、フィラデルフィア・テレビのパーソナリティである。
ケリーのまたいとこ、ベーシストのマーカス・ミラー Marcus Miller もまた80年代と90年代にマイルス・デイヴィスと演奏した。
ディスコグラフィ
- 1951 - Piano Interpretations By Wynton Kelly (Blue Note)
- 1951 - Sonny Clark / Wynton Kelly: The Immortal Session From Blue Note (Blue Note)
- 1958 - Wynton Kelly Piano (Riverside)
- 1959 - Kelly Blue (Riverside)
- 1959 - Kelly Great (Vee-Jay)
- 1960 - Kelly At Midnight (Vee-Jay)
- 1960 - Alternate Takes Of Fantastic And The Others (Vee-Jay)
- 1961 - Wynton Kelly! (Vee-Jay)
- 1961 - Someday My Prince Will Come (Vee-Jay)
- 1961 - Alternate Takes Of Wynton Kelly! (Vee-Jay)
- 1961 - The Complete Vee-Jay Paul Chambers And Wynton Kelly Sessions 1959-61 (Mosaic)
- 1963 - Comin' In The Back Door (Verve)
- 1964 - It's All Right! (Verve)
- 1965 - Undiluted (Verve)
- 1965 - Wynton Kelly / Wes Montgomery: Smokin' At The Half Note (Verve)
- 1965 - Blues On Purpose (Xanadu)
- 1965 - Wynton Kelly / Wes Montgomery: Smokin' At The Half Note, Vol. 2 (Verve)
- 1966 - Full View (Milestone)
- 1967 - Interpretation's By The Wynton Kelly Quartet (Vee-Jay)
- 1968 - Wynton Kelly On Powertree (Delmark)
- 1968 - Final Notes (Vee-Jay)
- 1968 - Wynton Kelly In Concert (Vee-Jay)
参考文献
- ^ Wynton Kelly - DOWNBEAT.COM (英語)